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#026 旅先では "ひとり" になりたい。海の向こうの対話の約束【伊佐知美の頭の中】

「誰かの生きる音は、私の寂しさを紛らわせてくれる」と気づいたのは、ずっと後になってからだったと思う。あの頃は全然気づいていなかった。

朝7:50に会社のオフィスに着いて、夜21:00まで働いて、終電まで飲みに出掛けて、それを月曜日から金曜日まで。

土曜日は午前中から誰かとブランチに出掛けて、日が高いうちは遊び歩き、夜になったら誰かの家か素敵なお店で、ビールをまた傾ける。日曜日は朝から彼が遊びにきて、日がな遊んで、また寝不足だな、と思いながら、使える目一杯まで24時間を楽しみきる。

また翌週は、月曜日の7:50に会社に行って、金曜日の夜に車に飛び乗り、高速をあてもなく走らせて、気が向いた土地で温泉に入ってワインを飲んで……来月の連休には思いつきでニューヨーク、桜が咲いたら京都に行って、大型連休には東南アジアを周遊してヴィラに泊まって、誕生日にはなんたらかんたら……。

「謳歌していた」と思いたかった。

眠るのが惜しくて、誘ってもらったら断らない、と決めていたし、飲み会は最後まで帰らないのがかっこいい、というか「空気読める」と思っていた。「知美つまんなーい」と言われるのが怖かった。

いつも隣には友だちや上司、彼氏や先輩、今日飲み屋で偶然出会った名前も知らない優しい人や、友だちの友だち、誰かの紹介、いつか就きたい憧れの会社や職に就いている人、など、「誰か」がいて。

賑やかだった。これも一つの充実だ、と思う心の真ん中にに、いつも満たされない何かがあった。大切なことを見落としてしまっているような。ありきたりだけれど、「このままでいいのかな」とか「 "私" は何を望んでいるんだろう?」みたいなこと。

いつも何かの連絡や、誰か / 何かとの運命的な出会いを待っている、探しているような気がしているけれど、私は一体、"何を" 探しているんだろうか ——?

***

そうやって過ごす日々の延長線上で、私は24歳、同期一番の速さで結婚を決め、さらに横にあたりまえに誰かがいる暮らしが加速する。

そして、色々過ごして、ちょっとは大人になって、転職も一度して。それから数年して決めるのだ。「私、仕事を手放して、長い旅に出てくるね」。

帰り道の切符のない、気ままな旅に出てから気づく。

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