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#44 「愛してる」と言えたことはありますか【伊佐知美の頭の中】

飛行機は那覇空港を離陸して、私が10日間を精一杯過ごした那覇や、だいすきな読谷村をあっという間に飛び越えて、沖縄の空に浮かぶ雲に入って、いまは奄美を通りすぎるくらいの位置。

沖縄では、このnoteを一緒に運営するのちちゃんが私のマタニティフォトを撮りにきてくれた。嬉しい。

私はひとりしか子どもを産まないのだろうな、と思っている。それは私の体力や体の状態、あとはパートナーが今年44歳になった、という年齢などなど、から考えて、なのだけど。

だから、おそらくこの一生に一回しかないであろうお腹の大きくなってゆく途中の私を、日本、いやもしかしたら世界で一番息のしやすい肌に合う沖縄という土地で、海と一緒に残してもらえた写真は、人生の宝物になるだろうと思っている。ありがとね。

今月の「伊佐知美と古性のちの頭の中」noteメンバーシップは、リニューアルの切り替え期間で、のちちゃんが前回のnoteで書いてくれていたように、本来であれば毎月のテーマを決めて書くところ、自由テーマで書こうね、という話で進んでいる。

昨日はちょうど、月一回の「頭の中見せて!」トークイベント。ゲストに私の元雇い主の僧侶(?)鳥井さんをお迎えして、リアルタイムの考えていることを聞いたのだが、今日は私のリアルタイムの頭の中、を書きたいなぁと。

うーん。
最近はね。

人生と、「私自身の在り方」が綺麗な音を奏でながら、組み変わっていくような感覚で生きている。綺麗な音、と表したように、それは悪い意味ではなく、私が予想できなかった方向に、細胞が組み変わってゆき、今までなかった道が拓けてゆくような感覚、っていうと、伝わるかなぁ?

こんな風に変わってゆく時間がくるなんて、考えたことがなかった。

その理由は明らかに妊娠で、あとは妊娠したことによって暮らしを変化させよう、と決められた心境変化と体の変化、それに伴う時間の使い方の変化、など。

この数年、頭ではわかっていたのに、目先の仕事を減らせずに、変えられずに過ごしてきた。その転換点も、一緒にもらった。わっさりと減らして、やっと両手で数えられる量になった案件たちは、週によっては片手くらいになってきて。

空いた時間は、あたらしく増える家族のために家の中のスペースを作ったり、ベビーカーやベッドなどを揃え始めたり、検診に通ったり両親学級に通ったり。

やっと眠気と疲れに慣れてきたので、5月からは英語を再開したいと思う。産後の仕事について、始動しようと思える余裕も出た。まだ夜は細切れの睡眠だけど、つわりは完全に終わったようで、4月はただただ、しあわせの中にいた。

それは、私は、本当に、ほんとうに妊娠したかったのだとわかる時間だった。子どもがほしい、という言葉ももちろん正しいのだけれど、この身体が子を育て、心と身体が変わってゆく体験をしてみたかった、がもっとも近そうだった。

これは、2019年くらいから、私が心の底から、求めていたことそのものだった。でも、それが叶わなくて苦しくて。今だから自分でも認められるけど、誰かの妊娠を、おめでとうと思うだけじゃなくて、羨ましい、切ない、とすら感じてしまう時期もあって。そう感じる自分にも落ち込んだりした。

だから、このお腹に、日々ぽこぽこ、と胎動を伝えてくれるボーイ(どうやら息子のようですよぅ!)が育ち、流産の時期を越え、ここからはいつ産まれても救命してもらえる時期に入ってくれた、という4月は。私にとって、ひとりの力では叶えられなかった夢の中そのもので。

このしあわせは、充実は、世界一周を初めて叶えた時期に匹敵する。

または、それを超えるかもしれないくらいの。息子でも、娘でも、身体と心が違ってもぜんぜんいいし、ただただ願わくば健康で。

お腹を撫でると、ぽこ、と返ってくる。自然と、産まれる前から愛してるよ、という気持ちになって、言葉が音になって世に贈られる。彼にも、旦那にも、家族にも言ったことがない。抱いたことがない、その真意を図りかねていた、I love youの響きは、この子のためにあったのかしら、と思わされる、誰もが眠る深夜の時間(ただ妊婦の頻尿で起きただけですが笑)。

人生の主体は私でありたい。その気持ちは変わらないけど、君がしあわせに生きられるなら、私個人の想い(たとえば沖縄で暮らしたい、とかかなぁ)は今すぐでなく、未来に先延ばしにしても大丈夫だなぁ、とごく自然に考えている。

Iではなく、Weのことを語れるひとは、豊かだ

そういう風に、灯台もと暮らしの取材をしていた頃の私は思って、I=私自身のことしか追い求められない上に、確立されてもいない自己がなんだか恥ずかしくて、胸を張って取材や発信ができなくて、それでまずは私自身を満たすことが必要だと考え、29歳で長い旅に出ることを決めた。

そういえばちょうど7年前の4月の今日くらいに、初めての世界一周に発つべく、羽田空港からシンガポールを経由して、最初の国マレーシアに到着した。まだ英語は話せなくて、1度目の結婚を続けていて、いつかは子どもが欲しい気はしていたけれど、絶対にいまではないと確信していて、とにかく遠く、行けるところまで、無期限で旅がしていたかった私。

その私が、心の底から望んで、お腹に手を当てながら、漫画や映画みたいに、まだ見ぬ我が子に愛しているよ、と伝えたくなってしまう、くすぐったくて恥ずかしいくらいのシーンをやってしまう親になる経過を歩むとは。ふっつーでつまんね〜!!!と、過去の私に一蹴されそうだ。

でもなんか、これがいい、と思えているの。IではなくてWeだから選べる未来。その中に、私個人の夢をまた描いて叶えてゆく。

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