妬ましいという気持ちの処理

知人に、自分は子供を持つ余裕がないから、妊娠したとか出産が楽しみみたいなキラキラSNSを見ると妬ましくて嫌な気持ちにしかならない。自慢だろとしか思えないからやめてほしい。見たくない。という意見の人がいた。

私も子供をいろんな理由で今持っていないし、これからほしいかどうか迷ったり悩んだりしているので、見たくないとかマイナスな気持ちを抱いてしまうことはわかる部分もあるけど、妬ましいとか相手に自慢の気持ちがあるとか、そういうふうに思ったことはなかった。

妬ましいという気持ちは、もっていいと私は思う。
でも、妬ましいと言う感情の処理の仕方が、新たな誰かを傷つけてしまっているとか、攻撃的になっていることには自覚的でいたいと思うし、私は直接的な損害を被った相手以外に攻撃をしかけるのは損になると考えるたちなので、妬ましい気持ちを動機に攻撃を仕掛ける人たちは損してるんじゃないかと思ってしまう。

あの人はすぐ妬ましいと思うときつい言葉になるから気を付けて、とか、あの人には何も言えないなと人が離れていったりとか。

あと、「自慢しているように感じる」という印象を持つことは自由だけど、そもそも自慢することってみんな自由だし、自慢の気持ちがあるかどうかは本人にしかわからない。
本人にしかわからないことを、自慢だと受けとるのは、自分がそう感じるかどうかだから、自分の感じ方はコントロールすることができる。
仮に、「自慢だ、うざい」と感じたとしても、それを相手にぶつけてしまうと、あんまり得なことは起こらない。
相手の気持ちを一方的に決めつけている行為になるから。
SNSに書いても、広いインターネット上だと本人に届いてしまう可能性があるから、現代人なりの「自慢だ、うざい」という気持ちをうまく吐きだせる場所があったらいいのかも…と思う。その場所の選び方やアウトプットの仕方は処世術なのかもしれない。

「妬ましい」という気持ちに自覚的でない人もいる。
私も、以前そういう友人がいたことがあって、何をしても「もっと周りがどう考えるか慎重になった方がいいし、やめたほうがいいと思う」「そんなことをするのは理解できない。どんな妬みを持った人に刺されるかわからないんだよ」とアイデアを否定され続けたことがあって、とても病んだことがあった。でもよくよく聞いてみると、その人の言う「周り」や「妬み」は、不特定多数の誰かじゃなくて、友人自身が私に抱いている感情だった。

「いいよね、仕事が失敗しても旦那さんがいるから安泰だから」ということをたまに言っていたので、その子にとって私が結婚していることや、他の逃げ場や他の選択肢のあることが妬ましかったんだと思う。

私は、逃げ場や選択肢があることの何がいけないのだろう、と思う。
人生は自由に選択できるから、私は私がそういう風に人生を設計しようと考えて結果今の自分の環境があるだけだと思っている。
でも、その子は他に選択肢がないから私が妬ましかったんだと思う。
でも、その妬ましい感情を攻撃的にぶつけられても、私はなにもしてあげられない。
自慢だとか、見せつけられているとか、ひょっとするとそういうふうにも思われていたのかもしれない。

世の中の炎上やいろんな攻撃的なリプライをみかけると、自覚的でない「妬ましい」が、こんなふうに刺々しい武器のようになって他人を傷つけているのか、とむなしい気持ちになることがある。

そういうものを見ていると、私も昔、いろんな人や友達を妬ましいと思っていた時期があったと思い出した。
上京して友人も少なくて、毎月食べていくのに精一杯で、クレジットカードが止まってしまったり、毎日仕事にありついて生きていくことにとにかく必死だった。
まったく余裕がなかった。

そういう時に、同年代の子が雑誌に載っている数万円するような服を着て、デパコスできれいにメイクした美しい顔で私大にむかっていくのを見かけると、ワゴンセールで買った服を着て家で握ったおにぎりをもって通勤する自分と比べて泣きそうな気持ちになることがたくさんあった。

でも、くらべて妬ましく思っても仕方ないと言うことに、その頃気づけたからよかった。
仕事で求められることが私の支えになったし、その子達が今できないことを私はできていて、いつか私も高い服を買える日が来るだろうし、その日を楽しみに思うきっかけだと思えば、今妬ましい気持ちはただの一時の感情でしかないなと思えたからだ。
実家暮らしで都合が悪くなると親に全部やってもらえる友達も、いい会社に勤めている友達も全部羨ましかった。
お金や逃げ場があることが羨ましかった。

そう思ってトゲトゲしたときもあったけど、でも自分がこれからどうやって逃げ場や選択肢を広げていくか、今のままじゃなくてお金や余裕を手にすることにフォーカスすることで、妬みや恨みを持つ気持ちは無意味だと気づけた。

これは私がそう思って生きてきて、今もそう考えているという備忘録であって、だからみんなもそうするべきというお話ではないのだけど、
妬ましいという気持ちを攻撃的に発散させることは人が離れていく可能性が高く結果的に損だから、自分がそれを手にするためにどうするか行動していく方が人生を豊かにすると伝えたいなと思った。

そして完全に自分のための日記だけど、あの頃の何もなかった私が、泣きながら生きてきたあの道筋は、間違ってないし、今の私はあの頃の自分より選択肢が広がったよと自分に伝えたい。

妬んでしまう人の気持ちもわかるけど、
わかるからといって今の私が誰かの妬みの攻撃的な発露を許容するかどうかは、別の話。
妬んだり妬まれたり、人間のヘルシーな精神活動だとは思うけど、ぶつけられる方も健康的にかわす工夫が必要な時代になってきたのかなと感じる。
できれば思いやりあえる世の中だといいよね。

他の人の参考にはならないかもだけど、
今辛いひとのtipsになれば嬉しいかな。

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