ジェンダー幻想
2023年になってから文庫版の発売、ドラマ放送ととっつきやすくなったナオミ・オルダーマン著「パワー」。女性特異的な発電器官が発達し、電流を自在に操れることで肉体的な弱さを克服したら世界はどうなるのか?というSF小説。
”女らしさ”という言葉から連想されるものは「優しい・かわいい…」といったもの、”男らしさ”では「たくましい・強い…」などが挙げられるだろう。先史時代に男性は狩りをし、女性は採集と育児を、近代まで男は仕事、女は家庭と言った性別役割分担が当然という認識に基づいたイメージからかもしれない。
女性は妊娠をし、出産と育児を行うための身体システムになっているのだから、母になることが生物として当然一番の幸せである。それが本能であり女性の本質。子どもを守るためには自己の犠牲も厭わない献身さをもち、愛情深く、闘争を好まず、平穏を慈しむ存在なのだ。そうでなければならない。
女性になるか男性になるかは受精の段階で精子がXとY、どちらの性染色体をもっていたかで決定する。成長過程で身体的な特徴が顕著になり、性差が生まれる。
パワーで題材となっているのは「力の差」。シンプルだけれど根源的かつ決定的な肉体における差を電気の力で凌駕できたなら、女性は今までのステレオタイプにはまったままでいるのだろうか?という試みだ。僕個人的にはフェミニズムの流れが結実したひとつの形だと感じた。
スケインを管理しようとする社会
女性特異的に発達した発電器官の”スケイン”を薬物によって抑制することや電気の力を法規制するといった展開が作中で登場する。女性特有の臓器を、言い換えれば女性の身体を社会がコントロールしようとすることは現実における女性生殖器への社会的関与を連想せざるを得ない。
日本には堕胎罪が存在し、妊娠当事者が堕胎すると犯罪になる。ただ、母体保護法で認められる場合なら合法である。2023年4月28日にようやく経口中絶薬が認められたが、これまでは掻爬法が広く選択されてきた。この中絶も配偶者の同意要件によって難しい場合がある。アフターピルのOTC化も実現していない。
生まれながらに持っている自分の臓器を自分で管理するのが当然の権利である。社会にとって有益な臓器を使わせようとすること、危害の及ぶ可能性のある臓器を排除しようとすること、どちらも侵害的な干渉である。
暴力による権力勾配
マーゴットはダンドンとの会議中、彼の話に苛立ちをおぼえながらも聞いている仕草を忘れない。彼の話す内容自体は至ってどうでも良いものだが、その場を継続し続けることに協力してあげている。マーゴットの「パワー」を使えば今すぐに、その場でダンドンを殺せる。彼女の良心によって彼は生かされているだけだ。
殺そうとすれば殺すことができる。他者を支配することができる。暴力によって裏打ちされた格差は、女性と男性を強者と弱者に確実に線引きしてゆく。物理的な「力の差」が権力格差へ連なってゆくというシステムだ。
腕力であっても電気の力であっても、実行する側の匙加減で他者への暴力になる。男性が女性からの暴力で制圧される状況になった世界で、静かに、そして着実に男性は女性への恐怖心を募らせてゆく。
ミラーリング
男性が弱者となった世界では、やがて男性減少政策への言及も現れる。男は危険で、多くの犯罪を犯し、知的に劣り、勤勉さにも真面目さにも欠け、筋肉とペニスでしか思考できず、病気に罹患しやすく、資源を食い潰す存在である。女は子どもを孕むことができるが、男は射精するだけの存在なのだから女ほどの数は必要ない、というロジックである。精子の提供元としての価値しかない存在は高度な社会活動も不要であるから、運転もさせず、事業もさせず、選挙権も与えない。なおかつ、女性の後見人が必ず必要である。従わないものは法律に従い罰する。男性は性的な存在となり、女性による男性のレイプや殺人が横行する。
この状況を非人道的だと思うだろうか?あまりにも酷い悪趣味な設定だと思うだろうか?現実世界に置き換えるとそのまま女性が辿ってきた歴史のミラーリングなのである。
おそらくこの世界の日本では「産む機械」ならぬ「出す機械」という男性への認識がなされ、精通した記念にはとろろご飯が用意され、多胎児が出来れば畜生根、妊孕性が無ければ石男(種無し)と蔑まれていることだろう。男性に期待されているのは生殖活動のみであるため、あらゆる生殖の問題が男性に還元されることは想像に難くない。
支配という誘惑
女性が身体的な力を手にした時、社会的な力をもった場合、それを行使する欲求を伴わないと言えるだろうか?「男性」という弱者に対して支配・コントロールをせず平和的な人間社会を築くだろうか?僕の見解はNOだ。パワーがあれば性別問わず誰でもそれを振りかざす。人間は支配欲にとても弱いと考えている。
現代の女性らしさと男らしさは、パワーの世界では完全に逆転している。社会的性別のジェンダーは社会によって作られた幻想であり、その時々の環境・情勢・価値観でどんなものにもなり得る。
パワーの世界の女性たちの多くはミサンドリーであると言えると思う。それはこれまでのミソジニーに満ちた世界で男性から受けた数々の仕打ちに起因している。女に生まれたという偶然の、ただその一点であらゆる不利益を被ってきた理不尽を社会に精算させることは難しい。
スケインという手段でなくても、いずれツケを払う時が来るかもしれない。
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