『哄笑』
「ほら、誰しも人に冷めるタイミングって、あるでしょう?」
女は言った。
「大体ね、私からすれば大抵の男は簡単 好意と色気、この二つで落とせる すごく簡単なの」
私がこのカフェを創業してから2年と6ヶ月が過ぎた。郊外に身を置くこの店に、社会に迎合する軽率な客はいない。地に足をつけ、自分を社会に対して位置付ける。一般的に言う「変わった」人間がこの店を訪れる。
カウンター席に座る客と対峙し、その客の人生に思い馳せる。いつしか私の趣味は、人間観察になった。
この女は、最悪だった。
「どんなにクールにすかした男でも、下心はある 当然よ 私にとって人身掌握とは、塩梅の調節でしかない つまり、好意と色気を、どこまで出すかという話」
私が会社を辞めたのは二十五歳の時だった。製造業を営む日本の大企業で、会社を牽引する次期リーダー候補として、前途洋々たる未来を期待されていた。
私はそれを嫌悪した。
「あなたみたいな無味無臭というか、物事に対して斜に構える男 大抵は2パターンね 十分な好意を人から受け、欲動を満たし切った末の男 ないしは 若い頃から人間関係を断ち、一人で孤独に生きてきた男」
昔ブレードランナーという映画を観た。機械がアンドロイドに対して、アンドロイドか否かを
試すシーンが印象的だった。確か〈フォークト=カンプフ検査〉という名前で、機械から20-30の質問がなされ、レプリカントは無機質に応答する。機械が計測するのは感情の移入度合いで、感情の移入がないと、機械はそいつがレプリカントとだと結論を下す。
この女の話は的確だ。
私は感情を動かさずに務めた。薄汚い人間の社会からは、できるだけ隔絶されていたかったのだ。
「まあ そう怖い顔なさらないで。あなたが孤独を選んだ男だって決めつけたわけではないのよ でもあなたみたいな人に(3年前かしら)出会ったわ 初めは私に目線すら送ってくれなかったのよ(信じられる?) だからいつもより踏み込んだわ 毎日、瞳孔を開いて、笑顔でお顔を覗き込んだわ そして体の距離を近づけたの 普通の人からしたら近すぎる、くらいにね 体もよく触ったわ」
「そしたらもう、簡単に落ちたの」
女は笑った。社会を軽んじる女が見せる罪のない笑いだった。この女にとって、男は、世界は、ネイルや化粧や明るく染まった髪と同じく、その女に隷属する一つの所有物に過ぎなかった。
集団印象操作を経て、高級かつ希少な位置を獲得したブランドの品々を、女はそれが必然かのように所有する。
ブレードランナーのなかで〈フォークト=カンプフ検査〉は3-4分で終わるテストだった。女の話もそれくらいの長さだったと記憶する。
しかし私は、連射される情報を、淡白に打ち返すことができなかった。ひどく感情を動かしたのだ。
この女が憎かった。
殺してやろうと思った。