嫉妬と、身体を刎ねること

パチッ 街角の電灯にゆらりと近づき弾け散る、脆い虫虫と我々人間に、存在論的な優位差はあるだろうか?

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今日は嫉妬という感情について書く。最近の僕の苦悩はもっぱら嫉妬に依るところが大きい。脊髄の芯から滲み出る黒ずんだ感情が身体中に滲み出るdisgustな感情は、晴天すら憎むほど僕の人格を捻じ曲げんとしている。感情は得てして整理によって退路が見えるものだ。

嫉妬とは、所有物を失う恐れから生まれる感情である。とりわけ人間関係で僕らが所有すると自認する誰か(親密であり君だけのものであると認識する誰か)を、第三者によって喪失することによる恐れ。
この感情は憎悪や怒り、resentmentなど複数の感情が絡み合うグロテスクな様相を呈する。そして、恋愛感情が絡むことで、さらに増幅される。

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つまり嫉妬という感情が成り立つには君以外の登場人物が2人必要である。
①君が所有すると認識する人間と、②その人間を奪い取る第三者。②に関しては、君と関係や立場が近かったり、君が忌み嫌う人間であればあるほど、①を奪われるリスクを感じた際・奪われた際に覚える嫉妬の感情は絶望的に深くなる。漫画『ベルセルク』のレイプシーンはそういう意味で、強烈である。

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そもそも嫉妬という感情の成立には、君自身のなかで「誰かを所有している」自覚がなければならない。深く密な関係は次第に、僕ら身体の一部となっていき、次第に所有している感覚を抱かせる。身体を刎ねる痛みに耐えさえすれば、またそのことに対して不感になれたら、こんな辛い思いしなくていいのかもしれない。


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