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映画徒然随想日記

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映画にまつわるエトセトラ。個人的に思い浮かべた出来事や感情を、私的に書き殴っただけの随想日記です。恋愛や家族関係、病気やトラウマなど、暗い話も書きます。はたまた、嬉しい出来事や幸…
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#忘れられない人

映画『海底悲歌』のクランクアップから1年。

昨日、俳優部やスタッフから、「クランクアップしてもうすぐ一年ですね、元気ですか」という旨の連絡を頂いた。もう少し前には、出演してくださった長森要さんや、生田みくさんも、SNS上で懐かしんでくれていた。少し載せる。 監督としては、懐かしんでくれるのも勿論嬉しいし、プロフィール欄とかに『海底悲歌』と書いてあるのを見つけるだけでも、めちゃくちゃ嬉しい。特に川瀬陽太さんのように、出演作が膨大な数の俳優が、自分の作品を書いてくださっているのもありがたい。彼らの中で、『海底悲歌』の立ち

JK売り子に取材をした話#3

この記事は、シリーズものの第3回になります。今回で終わりますので、以前の記事をご覧になっていない方は、ぜひ読んでみてください。 本題を始める。 衝撃の告白の真相私は、話そうとしている彼女の口元を見て、とにかく黙って聞いていようと心がけた。 「初めは、酒に酔った勢いででした。小学校6年生の時です。もうそういう知識は周りから吹き込まれていたので、嫌悪感と恐怖でいっぱいでした」 と語り始めた。ひとたび話し始めると、潤んだ瞳からどんどん涙が引いていき、平常時に戻っていった。以

JK売り子に取材をした話#2

前回の記事の続きを書く。 是非読んでみてください。 Profile.1 『京都出身 高校3年生 シズクさん』 窓際の座席に座ろうとしたけれど、彼女は、人目を気にしてか、店の一番奥の座席に向かった。座席に座るなり、彼女は切り出した。 「映画って、どういう映画撮ってるんですか?菅田将暉さんとかと会ったりしますか?」 今時の女の子なら大抵質問してきそうな内容だった。私は、オブラートに包みながらも、自分が性を題材に撮る映画を撮っていること、そして菅田将暉には会った事ないけど、

JK売り子に取材をした話#1

こんばんわ。本日も、映画徒然随想日記を更新します。#3です。順調に毎日更新が続き、今日で6日目。noteで書くのは、ブログで書いていた頃と違って非常に楽しいです。「スキ」というボタンが読者の存在がチラつかせてくれて、マガジン機能やパッと作れるサムネイルのおかげで、非常に綺麗な見栄えのプロフィールページができ、書く前から気分を良くしてくれます。 一体、あと何日毎日投稿を続けられるか自分でもわかりませんが、毎日何かしら書こうと思いますので、是非読んだらスキを押してください。フォ

とある”トラウマ”について

初めに。 これを読んでいる方で、同じような体験をした方がいたら連絡が欲しい。それほどセンセーショナルな体験ではないような気もするけれども、私にとってはなかなか大きな出来事で、未だに立ち直れていない事が何個かある。今後の自分の創作にも、もはや人生にも影響があるような気がするので、一度自分のために振り返って書いてみようと思う。 ※ちなみに今回の記事は、2021年3月31日に前ブログ「我が逃亡と映画の記録」にて書いた記事をガッツリ加筆・修正したものです。見覚えのある方も、新たな

「手紙」にまつわる随想日記

今日から始める「映画徒然随想日記」 これはタイトルの通り、退屈な日常の中、あれこれと心に浮かんだままのに思うことを、日記として書き留めるものです。ただし、私は辺境ではあるものの映画監督なので、「映画」に関連した出来事を書いていこうと思います。 勿論、更新は不定期。”書きたい時に書きたいことを、書きたいだけ書く。”そういう奔放な日記です。随想なので、時系列は過去の出来事である可能性もありますし、もしかするとまだ見ぬ未来を書くかもしれません。ですので、今現在私に起こっているこ

東日本大震災から10年経って

  ※この記事は、2021年3月11日に、私の前ブログ『我が逃亡と映画の記録』にて、書いた記事です。どうしても残しておきたかったので、こちらにアーカイブします。 東日本大震災から10年経って 今日は、あの日から10年。この日が来るたびに思い出す、ある人がいるので、少しばかり筆を取る。 こんなことを書き始めたが、奈良の片田舎出身の私にとって、当時、あの震災は、それはそれは他人事だった。まだ中学1年生の自分にとって、地震は他者の体験でしかなかった。確かその日は、学年全体で、飛