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英語を使って生きていくということ

英語圏で学び、生活をしていくということは、英語を主な使用言語として生きていくということである。授業で、買い物で、友達との交際で、アルバイトで。そんな中に放り込まれていると英語できないなと思うのである。今はTerm1のWeek4である。昨年の今頃も同じことを考えていた。これは確かである。先輩に英語が出来ないんですと泣きついたし、泣き付きたいから私のために時間を作ってくださいと連絡したメッセージも残っている。

英語を使うと圧倒的にタスク処理が遅くなる。文章を読むことに時間を要するようになって、ネイティブの子が1時間で読み終わるような文章を3時間くらいかけて読んでいる気がする。Seminarとかで初見の文章を読んで、その後にディスカッションをするようなものだと一人、心の中でまってまってと焦っている。グループワークをするときもそうだ。複数人ならいいのだけれども、2人とか3人とかのときは悲惨である。別に話に入っていけないわけでもないし、発言しないわけでもないけれども、「ごめんね、こんな奴と同じグループで。他の子が良かったよね。他のもっときれいな英語を話す子が良かったよね。あと数分我慢してね。」と心の中で謝りながら発言している。

開き直ってぐいぐい行けるタイプではないし、胃をきりきりと痛めながら社交に授業に、日常を乗り切っていくタイプである。出来ねーなぁと思いながらも日常は続いていくし、私のアサイメントの締め切りが延びるわけでもないのである。

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