見出し画像

就活

文化は人間によって消費されているのです。と地理の先生が話したとき、ああ、そうだなと思った。同時に、人生(時間)も消費されていくよなと思った。

オンラインで開催される企業の合同説明会への参加を申し込んだ。本当はこんなことしたくないけれども。ぼんやりと美術館、博物館をめぐって、勉強していたい。

2023年9月にファウンデーションコースに入学したから、卒業するのは順調であれば2027年6月と決まっている。1日は24時間と決まっていて、何もしなくても、何かしていても、卒業するのは2027年6月だ。コネとカネがある家の子供だったら就活なんてしなくてもいいのだろうけれども、幸か不幸か私にコネとカネはないため、就活をしなくてはいけない。ぼんやりと過ごしていたら就職できているなんて訳はなくて、能動的に、自分が「今」やりたいことを犠牲にして、「将来」のために時間を消費しなければならない。別に当たり前じゃんと言われれば、はい、そうですと首肯するしかないが、現在を現在のために消費するのではなく、未来のために消費するのが嫌なのである。

日本と海外での就活の2本立てで考えている。ビザの問題等あるため、日本での就職口は確保しておきたいところである。日本にいたとき、通学電車で、黒いリクルートスーツを着て、髪の毛を一つに縛って、薄く化粧をした、髪の毛を整えた、女子学生、男子学生を見てきた。駅のベンチで踵のばんそうこうを張り替え、車内で就活対策本を読み、虚空を見つめる学生を見てきた。あのとき、制服を着た私はリクルートスーツを着る自分が想像できなかったし、リクルートスーツを着るのは遠い未来の話だと思っていた。自分の人生を物語のように語り上げて、思ってもいないことを真実かのように話し、創り上げた笑顔を顔に張り付ける就活生を心の中で嘲笑っていた。就活だと言って学業を疎かにする学生を軽蔑していた。けれども、もう、就活の2文字は私の前に現実として鎮座している。「今」を学業に投じたくても、投じることができないのだとようやく理解した。順番が巡ってきた。

受験が終わったら、就活が来て、就活が終わったら婚活が来る。人によるけど。子供が生まれたら保活をするのだろうか。その前に妊活なのだろうか。退職したら、終活だ。○○活、××活という人生をフェーズごとに分けた活動に順次取り組んで死ぬのだろうか。○○活、××活と名付けられた活動をこなして、死んでいく人生は、餌を口に詰め込まれて、死へと出荷されていくブロイラーみたいだなと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?