雑記 「永遠の愛」を誓う奴は二流

今日は恋バナをしようと思うんだ。わくわくするよな。

もう僕にとって「恋」って「魔法」とか「サンタクロース」みたいなもので、「そんな物、実在するわけないじゃないか! ・・・でも、ちょっとあって欲しいかも!」っていう、非現実的な存在になりつつあるんだよね。

「僕が君を好きだと思う気持ちは、果たして本当なんだろうか?」って疑問に思っちゃう。結局考えるのは自分のことばかりなんだ。すまない。

あと、「恋バナをしよう」って言ってみたかっただけで、雑記のテーマは「永遠の愛」にした。重ね重ね申し訳ない。

カップルが「永遠の愛」を誓うのは世界各地で行われている行為で、起源や歴史は軽く調べても解らなかったが、とにかく古くからある文化のようだ。

まあ、お互いのことを永遠に愛し、大事にしようという誓いの神聖さは、すばらしいなと思う。実際は有限の愛だし、誓いにしては気軽に執り行われている気がしないでもないが、僕は心から君たちを祝福したい。

祝福したいが、ふと思ってしまうことがある。

「愛を誓う」って重たいんじゃないか? って。

「誓う」ってことは「やらなければいけない」ってことで、義務を課せられたということだ。「僕はあなたを愛さなくてはいけない」。・・・何だか堅苦しい気がする。愛ってもっと能動的で、心の底から湧き出てくるような、瑞々しい感情なのではないだろうか。

「誓い」は「約束」と同じで、相手を疑っているから行使するものなんじゃないか? 

僕は放っておくと宿題をさぼるから「宿題するって約束しなさい」と言われるし、危険な仕事に立ち向かう時に「生きて帰ると約束する」のは死の危機を感じ取っているからに違いない。

僕の調べたところによると人間は息を止めると死ぬ。そんなに大事なのに、「息を止めないと誓いなさい」なんて聞いたことがない。

「僕が息をし続ける」って周りの誰もが信頼してくれていたからだろう。

そうすると「愛を誓う」理由としてはお互いに不安があるからじゃないだろうか。愛し続けることと、愛され続けることはとても難しい。

僕はもっとナチュラルに、息をするように「愛してる」と思えるような関係が理想だと思うんだけど。夢の見すぎだろうか。

やっぱり「恋」も「愛」も僕にとっては「魔法」みたいなファンタジーな奴らだ。「見た事ある」って人がいたら、ぜひとも僕に教えて欲しい。絶対にわくわくしちゃうね。

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