雑記 井の中の蛙、大海を有機ELディスプレイで知る

『井の中の蛙、大海を知らず』

人の世にはびこる言葉の一つで、私が好きな言葉の一つでもある。『井の中の蛙』というフレーズが、何だか私にぴったりだなあという感想だからだ。

ところがどっこい、この言葉『井の中の蛙』を馬鹿にしているらしい。狭い世界に生きる生物は広い世界を知らない、見識が狭い生き物だと言うのだ。

なんと。よくもまあそんな無下なことを言ったものだ。カエルの事情も知らないで。憶測で他人を貶める行為は現代に始まった行為ではないらしい。無知に仕立て上げた上にその言葉を世間へ流行らせるとは、心ある生き物の所業とは思えない。

厭世はこのくらいにして、実際問題、カエルが大海を知る必要があるかい? 井戸に住むカエルに大海の知識を求めるのは、日本で暮らす僕に「英語が話せないのかい?」と問うているような物じゃないか。

いや、知っているに越したことは無いが、普通は知らないじゃないか。なあ、ボンジュール?

相手に必要以上の知識や技術や親切を求めるとお互いが不幸になるぞ。

いや、ちょっと待って欲しい。この世の中インフォメーション・テクノロジー(IT)の時代である。

『井の中の蛙』のように引きこもっている僕も、インターネットを使えば僕が知り切れない情報の海へ旅立つことができるのだ。『井の中の蛙』だって、井戸に居ながらにして大海の知識を得ることも可能なはずだ。

よかった、よかった。…………良いのか?

『井の中の蛙』が大海の知識を得ることは、果たして役に立つのだろうか?

インターネットでまず目につくのはその海で暴れる怪物達だろう。どの分野を調べても、その分野の権威だの、天才だの、金メダリストだの、ギネス記録保持者だの、大海に潜む怪物が目白押しだ。

いやはやカエルサイズの僕にしてみれば、全く違う世界のお話。ファンタジーより遠い世界の話題になるわけで、すごさに圧巻されるだけ圧巻されて、すごすご井戸へ引き返すしかないね。

僕は怪物になれない。ヒーローにもなれないし、スターにもなれない。研究者じゃないし、プロ野球選手でもないし、歌手でもなければポケモンマスターでもない。

まいったね。怪物に目がくらんで、僕が何を目指していたかも忘れてしまいそうになる。何を目指しても、怪物たちの前では取るに足らない存在だという諦観が生まれる。

もしかして、大海を知らずに居た方が僕はもっと平和で素直で孝行な人間だったのではあるまいか? 僕と縁遠い世界の知識が僕を苦しめていやしないか?

怪物に圧倒され傷心した僕は、居心地の良い井戸の作り方を調べることにした。年中ひんやりとしていて、適度に苔むしていて、ほどよく湿っていて、声の反響が神秘的な奴が良い。

自分の住処について考えることが、こんなに楽しいとは思っていなかった。私が多少でも世界を変えられるということにも驚きだ。大海に生きる怪物は、井戸の整備なんてしないだろうしね。

そうして、僕は井戸の中で快適に生きるようになった。今でも大海の様子は覗うけれども、昔ほど傷心はしない。井戸暮らしも悪くない、というのは自分でも負け惜しみに聞こえるが本音だ。

大海を目指すにしろ、井の中を選ぶにしろ、どうかお元気で。では。

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