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芥川龍之介「蜜柑」

「蜜柑」について

芥川龍之介の「蜜柑」という小説は,大正8年4月に「私の出逢った事」という総題のもと発表されました。

この総題からもわかるように,芥川が実際に遭遇した出来事を小説の題材として扱っていると考えられています。(菊池寛は実際に芥川から,口頭でこの話を聞いたことがあると語っている。)

小説の読み方

この「蜜柑」に限らず,小説を読んでいくうえで楽しいのは「この本で作者が伝えたいことはなんだろう」と考えながら読み進めていくことです。(小説に込められたテーマを見つける感覚です。)

そしてこのテーマを見つけるためには小説の中の「情報の変容」に注目することが大切です。「最悪の出会いから徐々に惹かれ合う男女」も,「弱小の野球部が最後には甲子園に出場する」のも,どちらも最初の情報から変化が生まれ,最後には変容しています。逆になにも変化がないドラマや映画はつまらないと思う人が大半だと思います。

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「蜜柑」のテーマ

さてこの「蜜柑」における情報の変容とはズバリ何でしょう?

それは主人公の「私」の心情です。

周りの環境やモノだけではなく,人間の心情もよく変容するものなのです。今日は勉強するぞと意気込んでいたのにYouTubeを見てしまう。早く起きようと思っていたのに二度寝三度寝をしてしまうなど(笑)

「蜜柑」解説(第一段落)

では早速最初の場面から「私」の心情を丁寧に見ていきましょう。

以下小説「蜜柑」の本文の一段落目です。短くておもしろい作品なので,青空文庫などでぜひ全文読んでみてください。

 或曇つた冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待つてゐた。とうに電燈のついた客車の中には、珍らしく私の外に一人も乗客はゐなかつた。外を覗くと、うす暗いプラツトフォオムにも、今日は珍しく見送りの人影さへ跡を絶つて、唯、檻に入れられた小犬が一匹、時々悲しさうに、吠え立ててゐた。これらはその時の私の心もちと、不思議な位似つかはしい景色だつた。私の頭の中には云ひやうのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のやうなどんよりした影を落してゐた。私は外套のポッケットへぢつと両手をつつこんだ儘、そこにはいつてゐる夕刊を出して見ようと云ふ元気さへ起らなかつた。

ここで「私」の心情をわかりやすく表している言葉が,「疲労と倦怠」です。

倦怠の意味は,

① 物事に飽きて嫌になること。飽き飽きすること。「倦怠期」
②心身が疲れてだるいこと。「倦怠感」

「私」は疲労と倦怠を感じており,ゆえに「ぼんやり」と発車の笛を待っているし,「夕刊を出して見ようと云う元気」さえ起こりません。

私の心情:疲労と倦怠,ぼんやり

このような「私」の気持ちと呼応するかのように,周りの環境もどこか寂しく,暗い印象を読者に与えています。

季節は「冬」で,時間も「日暮れ」であるから,ただでさえ光の少ない季節の中で,太陽さえも沈んでしまった暗さが想起されます。

季節・時刻:冬(曇り)・日暮れ

また「とうに電燈のついた客車」という表現からも,周りの暗さを認識できます。

「疲労と倦怠」は私の頭の中に,「まるで雪曇りの空のやうなどんよりした影」を落としているのです。(直喩)

これはもちろん一行目の「或曇った冬の日暮」と対応しています。

「私」がいる駅の様子を見てみると…

「珍しく私の外に一人も乗客」はおらず,

「珍しく見送りの人影さえ跡を絶って」いる。

「プラットフォームには,檻に入れられた一匹の子犬が,時々悲しそうに,吠えたてている。」

駅の様子:乗客は「私」一人,見送りの人影もいない,プラットフォームに       折に入れられた一匹の子犬

駅の様子から,どこか孤独感や寂しさが伝わってきます。

子犬は時々悲しそうに吠えています。想像してみてください。犬が「ワンワン」と悲しそうに吠えた後,一定の沈黙が続きます。そしてまた「ワンワン」と悲しそうな鳴き声が聞こえてくるのです。ただでさえ乗客のいない静かな駅の中で,たまに犬の悲しそうな鳴き声が聞こえてくる状況というのは,静かさをより際立たせる効果があります。

「私」はこの犬の置かれている光景が,自分のその時の心持ちと「不思議な位似つかわしい景色だった」と思っています。

もしかしたら,客車の車両が,「私」にとっての「」のように感じたのかもしれません。

さてこのように「蜜柑」の一段落目は,どこかどんよりとした重い雰囲気を漂わせています。「私」の疲労と倦怠を表すように,駅の様子や気候さえも寂しく暗い印象を与えています。

ではここで思い出していただきたいのは,この「蜜柑」という小説が,芥川の実体験をベースに書かれていることです。そう考えると,この小説はすべて実際に起こった出来事なのでしょうか?駅に人は一人もいなかった?プラットフォームに子犬が一匹だけ檻に入れられて置かれていた?

私はそうではないと考えます。むしろ芥川は,実体験に自分なりの表現を混ぜながらこの小説を構成していると考えます。

つまり,芥川はこの一段落目で「私」の疲労と倦怠を表現したかった。

そしてこの疲労と倦怠を表現するために,駅の様子や季節,時刻までも設定・演出していると考えられます。

芥川の作品は計算しつくされたものが多く,この「蜜柑」も起承転結でしっかりと構成された完璧な作品です。

おそらく執筆スタイルも自分が納得いくまで,長い時間をかけて一つの作品を生み出すタイプだったのだろうと思います。きっとものすごい労力が必要で,いつの間にか彼にも「疲労と倦怠」が重くのしかかったのかもしれません。芥川は,昭和2年に体力の衰えと「ぼんやりした不安」から自殺してしまいます。

今日は芥川龍之介「蜜柑」の第一段落を解説しました。続きはまた今度気が向いたときにでも出す予定です。読んでくださりありがとうございました。




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