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知るを愚直に、納得感を着実に。 –27歳のバースデーリフレクション–

「この1年が一冊の本だったとしたら、あなたはそこにどんなタイトルをつけますか?」

これは、今まで受け取った問いの中でかなり印象的だったものの1つです。
目を閉じてこの1年を振り返ると、そこに浮かんでくるのは「納得感」。紐解き、帰還、静観なんかも当てはまるかもしれない。そのくらい、自分の中にうごめいていたものがまるっと静かに収まっているような、そんな感覚があります。

1年の自分の変化を、自分の言葉で残しておく。そんな目的で書いているのがこの「バースデーリフレクション」です。
ちなみに一つ前のリフレクションはこちら。個人ブログに書きました。

ひととおり読み返してみると、1年前はすごくうずうずしていたなぁ…と、当時の心境がぶわっと蘇ってくる感じ。同時に、今の私はしっかりその地点から歩けているんだな、ということも確かめられて、胸を張りたくなるような、ちょっと誇らしい気持ちも湧いてきます。

さて。今の自分を残していきましょう。

この1年でできたこと

この1年は、「自分を観る」時間をたっぷりと持つことができました。

自分を知る。固定概念を取り払う。客観的な視点を持つ。

丁度1年前に「目指したいもの」として掲げていたものです。自分の興味や気持ちを大事にすることはもちろん、外側にあるものも手にとって見てみたい。そんな思いから、徐々に惹かれていたコーチングの領域に足を踏み入れたのが、この1年で一番の大きな変化です。

そこで出会ったのは、単なるスキルの獲得にとどまらない、自分の生きている世界観にまで影響を及ぼすようなものでした。今までの自分なら夢物語だと思っていたようなことを、現実で叶えようと取り組んでいる人たちや、その言葉。自分の中にあった本音を、認めて受け止めてくれる場所。今まで無意識に判定してきた「当たり前」「仕方ない」の障害を手に取り、これはどこから来たものなんだろう?と辿っていくうちに、出会うものが数多くありました。

特に自己分離の痛みから信念や願いを探していくワークでは、時に苦しく目を背けたくなることもありました。プラス思考とはまた違う、カモフラージュで起こった反応を除外してただあるものだけを観る。今でもなかなか難しいです。

ただその世界観の根源にある

  • 本当はあってはいけなかった体験など何一つない

  • 現象は変わらないけど見方は変わる

というメッセージを受け取った時は、自分の中にあった否定性が確かに和らいだ感覚がありました。大袈裟ですが、生きているうちにこんな体験ができてよかったと本心から思えた時間でした。

この1年でできなかったこと

特に今年に入ってからですが、好奇心とエネルギーのバランスがなかなか取れませんでした。やりたいことに対して単純に身体がついていかないのは、なかなかに歯痒いです。

特に大きな心残りになっているのは、かねてより登録していたドナー制度の協力依頼を見送ったこと。参加したいという意思とは裏腹にうまくいかないことが多く、ここでもまた自己否定を受け取ってしまったような感覚がありました。せっかく依頼をしてくださったレシピエントさんに対する申し訳なさもありました。一生に一度は参加する計画を立てているのですが、年齢のタイムリミットが設けられているので、正直今はまだ、本当にこの先には縁があるのだろうか…と気弱な気持ちが大きいです。

ただ自分に足りていないものに自覚的になることで、必要なものを補ってくれるものを調べたり、検査を申し込んだりと行動できたことも多いです。その結果から気づきを得て、より健康状態にアンテナが向くようになりました。来年はこの気力・エネルギーの値をもう少し増やせると嬉しいです。

この1年の印象的な知見や体験

今あるものを整理する「未完了の完了」

コーチング界隈でよく扱われる「未完了の完了」という言葉。どうやら何かの変化を迎えるには、自分の中に残っている未完了に目を向けて着実に完了させていくことが大事なのだそうです。

例えば自分の場合は「一人暮らしをしてちゃんと自立をしたい」という変化欲があるのですが、未だにそれは実現できていません。初めは生活費が心配なのかとか、自分一人で本当に暮らしていけるのだろうかとか、そんなことがストッパーになっているだろうと思っていました。でも何度かその理由を言葉にして辿っていくと、どうやら家族ごとが整理できていないらしいのです。THE COACHの応用B最終セッションで「自分は母のヒーローになりたいのだと思う」と口にしたとき、自分でも驚くほど涙が溢れてきたのを今でもよく覚えています。

未完了の完了という言葉へアンテナが向いてからは、自分や周りにある未完了を見渡すようになりました。その中の一つとして浮かんできたのは、最初に父が提案してから20年もの間放置されていた「北海道旅行」。正直もう実現されることはないだろうと思っていたものですが、母の還暦と有休消化のタイミングが重なり、今しかない!と実行しました。

旅行中は2人でいろいろな話をしました。たわいもないことから、今までのこと、これからのこと。特に母から「この旅行で死ぬ時の後悔がひとつ消えた」という言葉を聞けたのはとても嬉しく印象的でした。

もちろん今まで積み重なってきた未完了がこのただ一回の旅行で完了するものではないと思いますし、旅行が終わった後も考えなければならないことはまだ山積みですが、それでも忘れられない、大切な節目になったと感じています。

私たちが旅行する間遥々神奈川から駆けつけて泊まり込みで家のことを代行してくれた叔父や、連日の休暇を快諾してくださった勤め先には、感謝してもしきれません。周りのサポートはいつも偉大です。

この世にある自然なものは全てグラデーションになっている

自分の頭の中に浮かんだことを言葉にしたり、周りの人のストーリーを聞くことを通して、自分の指向や感情、選択肢、進歩がいかに多様なトーンで広がっているかということを実感しました。

今までは、自分が欠陥に向き合っている間に周りがどんどん進んでいるような感覚。そんな周りを見てまた焦り、なぜ私には備わっていないのだろうと考える。足りないところばかりに目がいって、「自分にはない」という疑問だけが残っていました。

それが和らいだのは、この「足りない」という感覚を言葉にできたから。自分が何をないと思っているのか、何をもってないと思っているのか。それを一つ一つ言葉にして眺めた時、自分の足りなさの中にも、案外自分のペースで積み重なっているものがあるということに気づきました。周りと比べたらないも同然かもしれない。でもそれは私の中では0ではなくて、あるものとないもので複雑に構成されている。そう実感したら、まずは自分の歩みを素直に認めよう、という気持ちが自然と湧いてくるようになりました。

自分のリソースに対してでなくとも、今後も忙しい日々の中でたくさんの思考や選択肢と巡りあうと、どうしても二項対立的になってしまう機会は多くなると思います。そんな時はちょっと一休みして、自分を安心させるグラデーションの部分を探しにいく。そんな状態が今の自分にとっては一番理想的なのかもしれません。

自己の自然性を回復するのはアートか

「アート思考」という言葉と出会いました。今まではアートと聞くと才能のある一部の人のものだと羨ましくも敬遠していたところがあるのですが、この言葉には自ら近づいて手に取りたいほど猛烈に惹かれる何かがあります。

アート思考は「内側に湧き上がるものに向き合った自分なりの考え方」に軸を置くフレームワーク。自分の発見から始まって、調べ、開発・創出し、最後に意味づけをするもののようです。私はこれを知ったとき、自分の常識の枠が一つ外れたような感覚を持ちました。というのも、今まで私が取り組んできたのは外側の現象をもとに仮説を立てて、合理的に組み立てていくフレームワークだったからです。

幼児期から学生、社会人と成長していくにつれ、突発的なアイデアや発言を避けるようになっていった文化的な自分。物事の捉え方が論理的になるという意味では、これを成長と呼ぶのかもしれません。しかし最近は、自分の中で利口な正解がある程度できてしまい、そこに行き着くまでの遊びや寄り道をショートカットしているような感覚もあります。先述したアート思考とは対極のモデルです。

今思い描いているのは、これまで築いてきたデザインとロジカルの思考回路から、アートの領域へ架け橋をつなぐようなイメージ。自分の内側に軸を置くアート、自分の外側に軸を置くデザイン、それらを人にわかりやすく伝えるためのロジック。これらの思考がバランスよく共存した時には、今よりさらに自然な状態で社会に立っていられる気がします。

27歳、これから目指したいもの

最近気づいたのですが、どうやら自分の人生には「世の中にはいろんな人がいるということをいかに身をもって感じられるか」が重要らしいのです。

言葉にするとすごく単純ですが、内省を繰り返すと行き着く先に何度も立ち現れてくるものでした。もっとレイヤーを細かくすると、「世の中のいろんな人の中に、ちゃんと自分も除外されずに含まれていたい」というようなもの。積極的に認めはされなくていいけど、含まれていることを否定されたくない、という感覚です。要は、世の中にはいろんな人がいるということを身をもって感じて、安心したいのだと思います。

そのために、リアルな人との触れ合いはもちろん、人の頭の中をのぞくためになんとなく惹かれる本を読んでみたり、好奇心ファーストで扉を叩くということを大切にしたいです。アンテナの感度を高めて、この世の中にある物事や感情をうんと堪能していく。小さな積み重ねでも、日々の全体像が自分の望むものに近づけば、それで十分だと思っています。

明日からも自分のペースで少しずつ、でも着実に、納得と満足を更新できたら嬉しいです。

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