行きどまり、 その先

急に風が強くなって空が灰色になったと思ったら、ばらばらと久しぶりに大粒の雨が降り出していた。ものすごく大きな雨音で、開けっ放しにしていた窓を急いで閉めた。

ドイツの窓は特徴的な作りをしていて、大きな窓枠は基本的に木造だ。枠には取手型のノブみたいなハンドルがついていて、ハンドルを上、真ん中、下に動かすことで窓を開けたり閉めたりする。
日本の窓は基本的に横にスライドさせる方式が多いけれど、こちらでスライド式になっている窓枠をそういえばまだ見たことがない気がする。

ばたり、と音を立てて窓が閉まる。雨音が急に遠くなってくぐもる。
わたしはドイツ式の窓が好きだ。密閉性が高いのか、外からの音で今窓が開けているか閉まっているかすぐにわかる。
開けるときは窓を直接開く分、外と密接に繋がっているような気持ちになる。その反面、窓を閉めた時ほんの少しだけ全てが急に閉じてしまった気持ちになるのもまた、わたしの感じるところである。

好きなひとの話をしたい。
わたしには好きなひとがいた。ごちゃごちゃするので省くけれど、決して一緒にはなれないとわかっていた、好きなひとがいた。
出会ったのは去年の夏のはじめ。仲良くなったのは秋のはじめ。関係が始まったのは冬のはじめ。
そして今、春のはじめ。好きなひとはわたしに終わりを告げた。

突然の終わりにわたしは戸惑いを隠せなかった。
しつこいと自分でも感じるくらいにコンタクトを取ってしまった。何が起こったのか、何が悪かったのか聞くわたしに、その人はただ「あなたにこれ以上深い感情を抱くことができなくなった」とだけしか言ってくれなかった。焦燥と悲しみと呆然と少しだけ怒りと。交差して渦巻く感情を経験したのは久しぶりだった。

今の嵐みたいだ。
雨粒はどんどん大きくなる。灰色の雲はぐるぐる動いていて、永遠にこのままなんじゃないかと思ってしまう。

嵐は急にやって来て、抗う間も無く世界の全てを濡らしてゆく。
どうしようもないのは人の気持ちときっと同じだ。
ただ嵐が過ぎるのをじっと待つのか、その土砂降りの中なにも身につけず飛び出すのか、それとも装備した上で立ち向かうのか。
わたしは今回なにも身につけず、それどころかほぼ裸の状態で嵐に向かってしまった気がする。勝てるわけがない。丸腰で、嵐がどう動くかなんて予想もできず、ただ土砂降りに打たれて立ち尽くすだけ。激しい嵐の前になんの言葉を投げかけたって無駄だった。一度降り始めた雨を止めることなんて出来はしないのだから。
今回の経験を生かして、次に進めばいいじゃないかと思う自分がいる。これで少しばかりでも経験値をつめたのだから、と。でもそれと同時に、もうこれ以上は嫌だ、嵐になんか2度と遭いたくないと思っている自分もいる。嵐に巻き込まれるのも、巻き込むのもごめんだ、と。

不意に涙が出始めて、情緒不安定だなあ、と自分の不安定さに笑ってしまう。もう泣き尽くしたと思ったのに、さすが人間は水分でできているだけある。

雨が降っている間、好きなひとがくれたものたちを片付けた。まだ捨てることはさすがにできなくて、でも目に見えないところにしまった。これ以上あの人のことを考えるのは、今は辛い。一緒に開けたキンダーサプライズのおもちゃ。クリスマスにくれた大きな靴下。冗談半分で指につけてくれたプラスチックの指輪。船体にわたしの名前を書いてくれた折り紙の船。前に送られてきた「キタイ」と名付けられたチーターの子どものポストカード。うん、「キタイ」、君に罪はない。でもごめんね、今は少しの間、暗いところにいて欲しいんだ。

ほんの十分くらいで、全て片付いてしまった。あっけない。

ふと外が静かなのに気が付いて、窓を見やる。
嵐はいつの間にか去っていて、嘘みたいな青空が広がっている。
わたしはまた窓を開ける。雨上がりの、少しだけ冷えた風が部屋に入り込む。涙で濡れた頬に風が当たってひんやりした。

過ぎてしまえば、嵐なんてどうってことないのかもしれない。
そう思いたいだけなのかもしれないけれど、今はそれでいいと思っている。