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喜多川泰さんの講演会にいった

2023/10/29

 こんにちは、伊左衛門です。今日は京都の綾部で開催された喜多川泰さんの講演会「行動する勇気をもって一歩踏みだそう〜未来へのタネマキ〜」に参加してきました。

 私の人生は一年前に喜多川泰さんの著書『賢者の書』に出会えたことで動き出しました。コロナ禍で大学生活を楽しめていない自分に対する嫌悪が日々募っていた時期、ふとした時に手に取った一冊。価値観をガラッと変えるきっかけになった大切な本です。その著者である喜多川泰さんの講演会にいってきました。

 綾部の会場まで2時間ほど車を走らせて会場に向かうと、手厚いスタッフと満席100人の参加者で埋め尽くされていました。講演会終了後にサインをいただくには当日の物販を買う必要があり、私は「賢者の書」を手に取りました。喜多川さんの作品はいくつも読みましたが、やはり思い出深いこの本にすることにしました。

 その後、時間になると、まず司会の方が用意した喜多川さんムービーを視聴。会場の雰囲気はとてもよく拍手が飛び交いました。周りを見渡すと私が一番若い参加者のように見えました。後から知りましたが、講演会の参加者はすでにコミュニティができているようで、愛知や新潟、福岡に沖縄、そして韓国の方までいろんな場所から喜多川さんのお話を聞きにきているようでした。

 そして喜多川さんが登壇し、私自身はじめての講演会にワクワクしていました。以下に、今日の講演会でメモしたことを書いときます。


人と人が出会う場所は貴重である

友達の量ではなく、“孤独”を感じないことが大切
 (子どもの頃は)一人になるのが怖いため、マイナスの仲であっても保とうとする/(大人は)周りに人はいるが自分でいられないと“孤独”を感じる。

映画やドラマをみて感動し共有するのと、本を読んで感動し共有するのは、共感のレベルが全く異なる。

近くにいる人から仲良くならないといけないと思ってしまっている。
 出会うべき人というのは、本当はもっといて、行動し動くことで出会いがある。

日本は素晴らしい国であり、大切なのは“未来にタネを撒くこと“
 ほとんどの親は子育てが下手だが、子どもはしっかり成長している。子どもたちを創っているのは、社会であり、10年、20年前の子どもと今の子供とでは、全く違う考え方をしている。
 昔は大学入試の倍率が高く、滑り止めでも18倍もあった。それが今では、大学全入時代となり、受験生より定員数の方が多くなっている。しかし、昔の時代を生きる人たちは、当時みな口を揃えていい時代だと言っていた。それに対して、今を生きる人たちというのは、どこか陰鬱としている。
 それは学校教育や身近にいる人の教えで変わるということだ。プラスの言葉「先祖は素晴らしいことを成し遂げ、あなたたちはその血を受け継いでいる」「日本は素晴らしい国だ」と言われ続けられると、子どもたちの目は輝き“自分もそうありたい“と考えるようになる。しかし、マイナスの言葉「先祖には大罪を犯した人間もいる、それを忘れないように」「日本はもうダメだ」と言われ続けられると、子どもたちの輝きは失われていく。大切なのはプラスの言葉を伝え“未来にタネを撒くこと“、それが叶わない社会なら、自ら一歩外にでて気づくこと。

本を読む人が減り、スマホばかり見るようになった

 昔は病んで、精神科にかかる子どもは全くと言っていいほどいなかった。それが今ではどうだろうか。
 人は答えを知りたがる生き物で、スマホはその誘惑で溢れている。ある動画を見ていると、関連動画として気になる動画が溢れている。そのとき人は、もう出会えないかもしれないと考え、次の動画をおす。その繰り返し。子どもはそれをずっと繰り返してしまうため、1日の情報をインプットできる許容量の1,000回をすぐに超えてしまう。その結果、他のことへの興味や集中力が低下していくのだ。
 しかし、本を読む人が減ったということは、逆にチャンスでもある。受動的に情報を取り込むスマホに対して、能動的に情報に向かう読書をする人は、前者に対して圧倒的な差を生むことができる。

吉田松陰の「本を読む際の7つのルール」
 (前文)本をパラパラめくると、すばらしいことが次から次へと向かってくる。しかし、本を読まない。読んだとしても行動しない。大事なのは“徹底的な体験“である。

好奇心のない者が、本を読んでも意味がない
 
夢や目標を達成するために本を読むのではない。目的や目標達成のために行動すると、他者に「それってやる意味あんの?」と言われると揺らいでしまう(受験や資格試験、昇進など)。そして、あれをやるためにこれはいらないと、取捨選択していくようになると、何もやる気になれなくなってしまう。
 そうではなく好奇心をもって本を読み、行動することが重要である。好奇心をもって行動する人に対して、他者が「それってやる意味あんの?」と言っても、「ない笑」と返す。目的のために行動する人はその質問で揺らいでしまうが、好奇心で行動する人からすると、それは意味ではなく欲望であるからだ。しかし、好奇心というのはどんどんなくなっていくのだ。その原因は、周りの批判である。そうして、好奇心を失い、子どもにも夢や目標を持てと教育するようになる。

行動をすることで、“夢”や“目標”が生まれる
❌ 夢や目標をもち、やる気を出して、行動する。
⭕️ 好奇心を持ち行動すると、やる気が出てきて、その結果夢や目標が生まれる。
 本を読むのは好奇心を育むためである。決して、目標達成のためではない。そして、本を読むことで生まれた好奇心を抱えて行動し、本当の自分に出会うことこそ重要である。

「私は幸せになりたい」
 
本屋に行くと世の中の雰囲気がわかる。書店に並ぶような本は(人との話し方など)売れるからである。
 よく耳にする「私は幸せになりたい」の“私”と“幸せ”は時代によって意味が異なる。江戸時代の“私“が指すのは、「私」とつながっていること全てが「私」である。例えば、家族、食事、自然環境に至るまで、文字通りつながっているもの全てを総称していた。
 対して、現代で言う「私」の定義は人によって異なり、自分一人のことを指す人もいれば、切り離すことができないこと全て「私」とする人もいる。学校に行っているときに、兄弟が部活で優勝したと聞けばあなたはどう感じるのか。大事な試験がある日に身内の不幸があれば、どうするか。経営者であれば社員、環境を加味して日本、そして世界まで、「私」と呼ぶ人もいる。毛沢東の「私」は毛沢東だけに向いていたため、そのまま国を統治していればどうなっていただろうか。
 ここで言いたいのは「私」と世界には境界線などないと言うこと。そして、「知識をつけるということは境界線をなくすこと」である。

目の前のことに没頭する
 目の前のことに集中することで、自分のことを考える時間が減る(過去や未来のこと)。その結果、他者に貢献することを全力で考えるようになる。夕食を作ることに集中すると、いやでも食べる人のことを考える。

全ての挑戦は進歩に寄与している
 
成否を問わず行動すること。あなたはあなたの挑戦に集中せよ!

突き進めどこまでも、歓喜と共に
 
幸せを追求するというのは、自己実現ではない。歓喜は目標達成したときに感じるのではない。見たいものを見たときに、したいことをしたときに歓喜は訪れる。そして、出会いというのは、お互いの心にタネを撒くということである。今日の講演会にきて、心にタネを撒きあうことで、今日という日が素晴らしいと感じれる。それが、幸せを追求することである。

本を読もう!人生を笑って旅するために!!
 
人は言葉でできている。そして、本を読んで、どんな人にも苦悩があるのだと知ることができれば、「あいつも大変なんだ」と、人は愛おしいと思えるのだ。


 2時間30分の講演会は、あっという間に終わりました。これだけ聞き入ったことがあったでしょうか、これほど胸打たれたことはあったでしょうか。
 私の人生を変えてくれた「賢者の書」、そして今日、その著者の講演会で2度目の転換期を迎えた気がします。本当にきてよかったと、心から思いました。会場は最後まで、素晴らしい雰囲気に包まれ、この場を用意した司会者の方は涙を流しながら、今日という日を無事迎えられたことを伝えていました。
 そして、講演会が終わり、その後撮影会とサイン会が行われました。私は長く伸びた列に並び、高鳴る鼓動と感謝の念を抱いていました。すると、前後の人が話しかけてくださり、背後は夫婦で愛知から、前にはなんと沖縄からお越しになられたとのこと。この場を共有し、熱い思いを話して聞きました。そして、喜多川さんにサインをいただき、よくわからない情緒になっていた私は出会った方々に挨拶をし、会場を後にしました。

 講演会のお話は以上になります。今日、ここに来れて本当によかったです。特に印象に残ったのは、好奇心のお話と、目の前のことに集中する、この2つです。今日から取り入れていこうと思います。では。

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