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【犯罪小説】10年のときを超えて 〜「リバー」 奥田英朗〜【感想・考察】

群馬県桐生市と栃木県足利市を流れる渡良瀬川の河川敷で若い女性の死体が相次いで発見される。
蘇るは10年前に起こった未解決連続殺人事件。それと酷似した手口の事件が再び起こり、周囲を震撼させていく。

刑事、被害者遺族、若手新聞記者。様々な視点から事件の真相に迫っていく。現代屈指の群像劇の達人・奥田英朗による渾身の犯罪小説を考察していきたい。

はじめに

奥田先生にとっては3年ぶりの長編犯罪小説となった今作。物語の比較的早い段階で真犯人の特定ができた「オリンピックの身代金」や「罪の轍」とは違い、犯人側の視点がない群像劇・地方警察の活躍・真相が最後になって一気に明らかになる、という部分を踏まえたら「沈黙の町で」に似たテイストになっている。

再興

2019年5月8日、群馬県警に110番通報が入る。桐生市の渡良瀬川河川敷に若い女性の全裸死体がある、と。
その5日後、今度は栃木県警に110番通報。足利市の渡良瀬川河川敷に同じく若い女性の全裸死体が発見されたとの連絡。

通報を聞いた群馬県警、栃木県警のベテラン刑事たちはそれぞれに胸騒ぎを覚える。
10年前にも渡良瀬川河川敷で若い女性の死体が発見される事件が起こっていた。一件目は足利市で、その半月後に二件目が桐生市で。今回発見の順番は逆になったが、同一の手口で行なわれた犯行であることは明らかだった。

そして被害者女性たちには共通点があった。今回の被害者たちはマッチングアプリ使用による援助交際(パパ活)をしており、10年前の被害者たちは出会い系サイト使用による援助交際をしていると報道されていた。

犯人は同一人物か、それとも模倣犯か。10年という長い歳月がその予想を難しいものにしていた。

容疑者たちの肖像

池田清

この事件の最重要参考人。足利市在住。10年前の足利市側の犯行で決定的証拠となる自身の体液を現場に残すも、桐生市側の犯行ではアリバイが認められ、逮捕されるも証拠不十分で不起訴処分を受けた。

異常人格の持ち主で、警察を幾度となく挑発するサイコパス。覚醒剤所持、強姦、恐喝と数々の前科があり、周囲にそれらを得意げに話す。自己承認欲求の強さに頭抜けたものがある。伊勢町のスナックママと交際。

刈谷文彦

群馬県太田市在住。ゼネラル重機の期間工(トラック運転士)。遺留品と同じものが勤務先でも使用されてたこと、勤務中の巡回ルートが事件現場を通過すること、そして事件前となるこの年の4月から勤務開始するが、10年前の事件当時もゼネラル重機の期間工として群馬にいたことから容疑者の一人として目される。

無口で友人はあまりいないが、マジメな性格なので勤務先からの評判はいい。しかし過去にケンカの最中に我を忘れて人を殺しかけたことがある。太田市のスナックママ(吉田明菜)と交際。

平塚健太郎

太田市在住。県会議員の父を持つ引きこもり。過去に若い女性への尾行行為を複数回起こし、今回の桐生市側と足利市側両方の犯行日時に、現場付近を自家用車で走行していたことから操作線上に浮上。ただ10年前の事件当時は東京で大学生活を送っていた。

解離性同一性障害を持つ。ときおり別人格が現れては消えて、その間の言動は健太郎本人の記憶はない。物語が進むにつれて徐々に凶暴な側面を見せていく。普段は気弱なジキルも、大声で怒鳴り散らしながら思いっきり食器を投げつけるハイドにいきなり豹変する。

容疑者たちの共通項

物語の中で容疑をかけられた者たちの暴力的な部分が描写される。常にハイテンションでいつでも人殺しの準備ができていそうな池田、普段はおとなしいがスイッチが入った途端に誰も止められなくなる刈谷と平塚、という違いはあるものの。

真犯人は物語の中で映画「スリー・ビルボード」を鑑賞している。アメリカの田舎で無惨な殺人事件が起きたものの、犯人逮捕まで至らない地元警察に対して遺族である主人公女性が強硬的な抗議を行なう物語だ。あの映画の主人公は後述する松岡芳邦の姿そのものだった。

真犯人はどのような気持ちでこの映画を鑑賞したのだろうか。遺族の無念と精神が壊れていく様は、それを焚きつけた側としての心情を少し覗いてみたかった。些細な日常シーンだったため細かい心情は描かれず、こちらの願いは虚しく散った。

犯行動機という需要

本作では真犯人が殺人の標的として、援助交際をしていた若い女性に狙いを定めた経緯にも少し触れられている。
しかし物語の中で奥田先生自身が動機解明の必要性について疑問を投げかけてる箇所があったのが興味深かった。

世間からの関心

小生が学生の頃、クラスメートたちと「世の中で一番怖いもの」という話題で盛り上がったことがある。
一番多かったのは「無差別殺人事件の被害者になること」だった。特定の誰かの恨みを買って殺されてしまうのはまだ理解できるが、理由もなくただその場にいただけで殺される、というシチュエーションがとても恐ろしいのだという。

鬼畜の所業を目の当たりにすると、人々は不安になり、やがてその残忍さが表出した理由を欲しがる。

安倍元首相の暗殺

2022年7月、安倍晋三元首相が銃撃される事件が発生。銃撃した山上徹也容疑者がそのまま現行犯で逮捕。世間を震撼させた。

ほどなくしてメディアは山上容疑者が犯行に至った動機を報道するようになる。なぜならそれを視聴者が強く求めたからだった。

しかしこの山上容疑者の犯行動機の公開はやがて、有名人を襲えば自分の主張を世の中に聞いてもらえるという悪例を生んだことと、統一教会信者(2世も含め)への更なる偏見と差別という好ましくない事態を招くことになる。

被害者は二度死ぬ

残忍な殺人事件が起こると世間の注目を浴びることは先に述べた通り。しかし大衆の関心は加害者の犯行動機や生い立ちだけでなく、被害者の人となりにも向けられる。するとワイドショーや週刊誌はそこにも取材先として着目する。

被害者は二回も殺される。卒業アルバムの顔写真や身近な人たちからの評判だけならまだしも、掘り返されたくなかった過去の出来事や個人的に秘めていた汚点さえも日本全国のお茶の間のもとへ流される。本当の地獄とは現世のことではないか。

被害者遺族の執念

10年前の桐生市側の遺族である松岡芳邦はそれに苦しめられた。娘の殺害にただでさえ打撃を受けたというのに、事件後の報道による援助交際の過去の発覚は追い討ちをかけた。

事件後の10年間は休むことなく、事件現場の写真を撮り続けた。それにとどまらず刑事の真似事まで始めるほど精神面に支障をきたしている。自分でもやってることがおかしいと思いつつも止められない。遺族の最大の悲しみは世間が簡単に日常に戻られること、事件そのものが忘れ去られることだ。

群馬県警からすっかり厄介な市民と認識された松岡であるが、娘の汚名を晴らしたいという執念は後に真犯人特定の取っ掛かりとなる。

ときには家族にまで疎まれるほどの執念の原動は、援助交際するような娘に育てた覚えはない、という確信からだった。ただその真相は物語の中で間接的に判明していくのであるが。。。

石橋を叩いた後も渡らない検察

真犯人の地元の同級生(元ヤンキー)の暗躍や強引な被害届の受理などもあり、逮捕状を請求(別件逮捕だけど)。雲隠れされる前に真犯人の身柄拘束に成功した。

ただ自宅のガサ入れ、スマートフォンの履歴からは決定的証拠は見つからなかった。おまけに取り調べからは有力な証言は得られてない。身柄拘束直後の時点においては犯人と断定するには足りず、新たな証拠集めが求められた。

物的証拠の必要性

別件逮捕とはいえいくつもの有力な証拠を揃えた刑事たちは起訴まで持ち込んでくれることを願った。しかし検察は動かない。物的証拠がないため地検は起訴には及び腰だった。日本の刑事裁判の有罪率99%は、石橋を叩いても渡らないほど慎重な検察によって残されている数字なのだ。

そして不起訴処分による釈放が決定。別件逮捕からの本件による自供は最後まで得られずに勾留期間を迎えた。充分すぎるほど多く揃えられた状況証拠だったが、物的証拠を手に入れることはできなかった。

出してしまった3人目の犠牲者

釈放後も警察は諦めずに任意での取り調べを続ける。しかし24時間の行動確認を解いたことで次なる悲劇を生んでしまった。

渡良瀬川河川敷で新たな若い女性の全裸死体が発見された。この事件の3人目の犠牲者である。捜査本部は荒れた。物的証拠を持ってこれなかった己への情けなさと、不起訴処分を下した地検への恨みが署内に充満していた。

4人が殺害された大事件。求刑は死刑になることは必至で、となれば状況証拠だけでは公判は成り立たない。地検が下した不起訴処分は妥当なものではあったのだが。。

明らかになった真相

警察の己のプライドをかけた捜査は、ついに真犯人の遺留品購入履歴という鉄板の物的証拠を入手して結実した。4人目の被害者が出る寸前で再逮捕に成功。その後、事件の全容が明らかになっていく。

あの日、あの時、あの人物の怪しい行動。全ての伏線が回収されていく。そして10年前の事件の真相も。10年前、犯人を捕まえられなかった当時の捜査員たちはようやく踏ん切りがつけられた。被害者家族の苦しみもまだまだ続くのだろうが一つの区切りにはなっただろう。

この大事件はたくさんの人の人生を翻弄させて、今静かに幕を下ろした。

八王子生まれのアートと音楽が大好きな文化部志望だった若手記者は、激動の事件取材を経て、本社での社会部記者へ志望先を切り替える。事件解決に情熱を燃やす刑事たちとやりあい、経験豊富な先輩記者たちが提唱する勇敢な思想を胸に、群馬の地で志を新たにしたのであった。


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