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育休の終わりの方の或る一日(長い日記)

息子(1歳5か月)の慣らし保育直前のある一日の日記です。
ほとんど自分の記憶のために。
あるいは他者の長い日記を読むのが好きな方へ。(13745字)


7時のアラームを2度無視して7時半。息子が私の頭のうえで反復横跳びをはじめて、ちからづくで起こそうとしてくる。

まだ寝たい気持ちと、でも寝過ぎると息子の生活リズムが狂い、昼寝や夜の寝かしつけの難易度が上がり、結局痛い目をみるのは自分だということを思い、追いたてられるように起き上がる。息子がにやぁ〜と嬉しそうに笑う。

後ろ向きで器用に足からベットを降り、颯爽とリビングに向かう息子の後ろをついていく。ぺたぺたぺた、とリズミカルな足音が廊下に響く。

居間のカーテンをあけると空は春らしい曇天で、朝、公園にいくか、他の場所にいくかを迷いながらテレビをつける。
息子がシナぷしゅを見ているあいだに、豆を電動ミルで砕いてコーヒーをセットする。

ダイニングに腰掛け、コーヒーメーカーのぽこぽこと沸く音を聴きながら、直立不動の息子を眺める。
息子はまだ「ねんね」としか言わない。できればそろそろ、もう少し話してほしいところではある。
言葉の発達を促すには、テレビはあまり見せないほうがいい。
わかってはいるけれどゼロにはできない。
朝からフルスロットルで息子に関わると自分がもたなくて反動が来るのを、もう何度も経験している。


番組があまり興味のないコーナーに差し掛かると、息子はねこのように私の方にやってくる。

「おはよ」

伸びたねこくらいの長さの息子を、ぎゅーっと抱きしめる。精巧なミニチュアのような肩甲骨。しっかりと背筋のついた背中。

「ごはん食べる?」
「う!」

息子は理解して、すぐにキッチンゲートの前に移動する。ゲートの中に私だけが入り、チーズトーストを2枚焼く。

冷蔵庫からスライスチーズを取り出すと、「う!う!」と息子が興奮するので、剥がしたフィルムをプレゼントしたけれど、すぐに「う!」と突き返された。

冷凍した野菜スープをレンジで温め(これは息子の分)、コーヒーを注ぎ(これはもちろん私)、2枚の焼けたトーストを取り出す。

ベビーチェアの足元に移動し、待ちきれない様子の息子を抱き上げて座らせる。
チーズトーストを一口大にちぎり、息子の口に入れる。

「いただきますは?」

忘れてた、とでもいうようにニンマリと笑いながら、息子がペチンと手を合わせる。ここまではいつも平和なのだ。

食事中、息子は席からみえる全てのものに、律儀に気持ちを散らしていく。要求し、手に入らないと癇癪を起こして泣き崩れる。

大体こちらが根負けして、生贄(たとえば養命酒のカップなど)を捧げるけれど、それも結局は机に叩きつけられ、床に投げられる。投げたらまた拾えという。拾わないと泣き崩れる。

ちいさな口をちからいっぱいに歪めて、芯から悔しそうに、あまりにも完璧に、絶望的に悲しそうに泣く。その漫画のような泣き顔に、私はついつい見入ってしまう。

「この時期、おもちゃを取られてぼんやりとしているのは腑抜けです」

育児書にあった言葉を、私はいつも思い出す。
どうやら腑抜けではないらしい、と、そのたびに思う。

2歳頃に「イヤイヤ期」があるとは聞いていたので早くもそれが来ているのかと思っていたら、どうやら違うらしい。

「プレイヤイヤ期」

ネット記事の言葉を思い出して笑ってしまう。プレってどうよ。

大騒ぎの果てにご飯を終わらせ、口を拭き、ごちそうさまをして、息子をリビングに移動させる。
食事のあいだは消していたテレビを再びつけると、ワンワンという緑の犬が一瞬で息子の心を鷲掴みにしてくれた。

自分でもびっくりするくらいホッとしながらダイニングに戻り、テーブルや床を一度拭く。

「這いつくばって床を拭く」という、ルーティンになりつつあるこの行為を初めてした時、なんだか信じられないような気持ちだった。

本当にこれを毎食、毎日するの?
何かやり方を間違っているんじゃないの?

大人はそれくらい床を汚さないし、子供は当たり前のようにボタボタとこぼす。
三回食になりたての頃は特に、食事のほとんどを投げられ、潰されて呆然とした。何度も布巾を洗っては拭き、それでも足りなくて途方に暮れた。

いまは一度で全て拭き切れる。本当に進歩した。

やっと今度は、落ち着いていすに座る。ぬるくなったコーヒーを啜りながら、朝は散歩にしようと決めた。
公園に行くことが多いけれど、最近、目に見えて大きい子が増えて(春休みに入った影響だ)、色々と気を使うのに疲れている。

「ミルク飲む?」
いぬの番組が終わったのを見計らい、声をかける。
「う!」

ストローマグにミルクを用意して飲ませる。
「歯並びが悪くなるから、コップ飲みをさせないといけない」という言葉が頭をよぎる。

分かってはいてもコップではすぐにひっくり返されるし、時間も2倍はかかってしまう。それに息子はストローが大好きで、どうせ途中からこれをつけろと煩くせがむ。

育児には正解がないとは云うけれど、それでも1歳児の世話をするにあたっての「最善」や「理想」は山ほどあり、私はなるべくならそうしたいと思っている。
だけど頑張ったあげくに余裕をなくすと、「ママの笑顔が一番です」という、配点の大きな項目を落としてしまう。100点はけして目指してはいけない、と思っている。

自分でそう割り切っているつもりでも、やっぱりたまに、ちいさな罪悪感に首のうしろが重たくなる。


ミルクを飲んだ10分後、息子はだいたい決まって大便をする。
立ったまま中腰になり、「う、ゔ…」と喉をしぼった声を出し、口は半開きになり、顔を真っ赤にして、わかりやすく催す。

おむつを替えているあいだ、息子がうんちをマジマジと見ている。
「うんちに否定的な言葉をかけると、排便に抵抗感が生まれるので良くない」という話をどこかで聞いたので、

「息子くんのうんち、かっこいいねー」

なんて、よくわからない言葉をかけてしまう。息子は満更でもない顔をする。

「うんちポイしに行くよ」

そう言ってトイレに向かうと、息子が喜んでついてくる。
うんちを便器に入れて、流れていくまでを興味深そうに見守っている。丸めたオムツを渡すと、嬉々としてゴミ箱に捨ててくれる。

すぐにトイレットペーパーで遊ぼうとするので、慌ててトイレの電気を消し、外に出てくるように仕向ける。今のところ排便に拒否感はなさそうだ。



トイレから出ると、そのまま寝室のシャッターを開けに行く。
息子はダイソンの掃除機が大好きで、部屋が明るくなるなり、部屋の隅にあるそれに一目散に駆けよって、掃除機をかけろと要求する。

「う!う!う!」

おかげで毎日、私は忘れることなく掃除機をかけている。


息子を着替えさせて、自分の身支度をする。
控え目にしようと思っているのに結局3杯目になるコーヒーを飲みながら、ようやく外に出る準備を整えた。

「息子くん、お外行くよ」

声をかけると、息子は喜んで玄関に向かう。

靴下と靴を履かせ、ドアを開ける。
息子が外の傘たちを一本ずつ地面に並べようとするのを制止しつつ、ベビーカーを出してカバンを持つ。

さいごに、息子に玄関のカードキーを渡し、抱き上げて鍵を閉めてもらう。一発で閉まった。
カードキーをかざしたり、エレベーターのボタンを押したり、そういうことがすごく好きで、不思議とそういうことは、大体じょうずにできる。


調整池のまわりの土手に向かう。
町中にはだいぶ桜が咲いている。やっぱり咲くと、一気に華やぐ。

「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」

桜を見ると、いつもこの短歌が思い浮かぶ。
在原業平が1200年以上前に思ったことに、しんから共感できることにびっくりする。

調整池の手前の遊歩道に入り、ベビーカーから息子を下ろす。
息子はすぐには歩き出さず、そばの民家のエアコンの室外機を、じっと見ている。

遊歩道には、街路樹のハクモクレンが並んでいる。私はこの木がすごく好きだ。

桜よりも少しだけ早く咲き始めるので、見つけると、ああ春だなあ、となんだか明るい気持ちになる。
大きくて優雅な白い花、木肌のすべすべとして清楚な感じ。
花びらが茶色くなって、力尽きたように落ちるところも好きだ。桜のように綺麗なままでどんどん落ちてしまうより受け入れやすい。桜は桜で好きだけれど。

まだ傷みの少ない花びらを選んで地面から拾い上げ、やっと歩き始めた息子にあげる。
息子はしばらくじっと見て、すっと私に返してきた。
花びらをベビーカーの笠に乗せ、息子の歩調に合わせてゆっくりと進む。

途中、道沿いから見えるところに数少ないママ友の家があり、思わず様子を伺ってしまう。

彼女は最近がんが見つかり、しばらく療養するという。私は30代の前半だが、同年代でがんになったと聞いたのはふたり目だ。

二人とも元気にやっている(というのも変だけど)のが救いだけれど、そういう年齢になってきたのだと骨身に感じる。とても他人事には思えない。
子供ができてはじめて、「家内安全、健康第一」の有り難さ、切実さに、まざまざと向き合わされている。私はいま、これまでの人生で一番「長生きしたい」と思っている。



近くの小さな公園で、息子にねだられるまま3回くらい滑り台を一緒にすべり(大人になってから滑ると、記憶の中よりも少し怖い)、そのあと目当ての土手沿いに息子を誘う。

息子はまったく大人の思い通りには歩かないけれど、「こっちにタンポポあるよ!」というと、喜んでついてきてくれる。

タンポポを見つけると、
「ああ”あぁ〜!!!」
と、新しい大陸を見つけた探検隊のような声を出して教えてくれる。

タンポポ、なずな、からすのえんどう、ホトケノザ。
あり、てんとう虫、ちょうちょ、ダンゴムシ。

息子とあてもなく歩くとき、世界が、すごく懐かしいものに戻っていくような不思議を味わう。
自分がぐんぐん小さくなり、草花や自然で世界が満たされる。
その安全で閉じた世界に取り込まれても、私はすこしも戸惑わない。この世界の歩き方なら知っている、と思う。四つ葉を探し、シロツメクサを編み、夢中でつくしを摘めばいい。ダンゴムシを丸くして、てんとう虫を探せばいい。

自然のあるところで子育てしたいといまの街を選んだけれど、それは自分の、心理的安全のためなのかもしれない。

1時間半ほどで家に帰った。息子がまた玄関を開けてくれる。
カードキーを両手で握りしめて、たっぷり土がついた靴のまま、リビングに駆け上がろうとするのを慌てて止めた。

息子も私も全身着替え、洗濯物を回しながら、リビングで昨日の洗濯物をたたんでいく。

息子が膝のうえに乗ってきたので可愛くて、ぎゅうぎゅうしながら「かかは息子くんが大好き♪ ととも息子くんが大好き♪」とヤンマーのリズムで歌っていると、息子がこてんと寝てしまった。

いま寝ると生活リズム的には絶対に良くないんだよな、と思いつつ、一体あと何回、私のひざでこうして寝てくれるんだろう、と思うと、胸がいっぱいになって動けなくなった。

南向きの掃き出し窓には、柔らかな光がさしてきている。
それは「うららか」という言葉を絵にしたような、育休中、何度も見とれたあたたかな陽射し。
フローリングに映る窓枠、膨らんではしぼむレースカーテン。

息子の輪郭にはやわらかな生毛が透けて、ぽったりとした頬は少しあからんでいる。頭皮からは、汗と砂の混じった外の匂いがする。

息子が巣立つとき、結婚するとき、私が死ぬとき。この瞬間を折々に思い出すんだろうなと確信する。
その一部も逃さないように。端々まで覚えていられるように。
しずかで敬虔な気持ちになりながら、その一時をかみしめるようにじっとしていた。



15分ほどで息子に声をかけ、起きられそうだったので昼食を食べさせる。

まとめて作っていたハヤシライスと野菜の煮物。
息子は野菜の煮物が好きで、にんじんでも里芋でもなんでも、好き嫌いなくモリモリ食べる。

ハヤシライスの途中で飽きてきて、またオモチャを探してキョロキョロする。
手に入らないとわめく。
スプーンやフォークをテーブルに叩きつけるのでガンガンと大きい音が鳴り、思わず「やーめーて!」と嫌な声を出してしまう。ただ単純に不快だったからだ。夫がDIYした自慢のテーブルには、無惨にも山ほどちいさな傷がついている。

ものを投げるのはその動きに興味があるからだ。
興味があるのはいいことだ。
ものを叩いたり大きな音をたてるのは、それができることが嬉しいからだ。
その嬉しさには共感している、心から。

とはいえ食事をさせないといけない、いつまでもなんでも良しでは大人になれない。
じゃあ、そんな気持ちを尊重できずに、淡々と食べさせるのはいいのだろうか。

…などと考えはじめるとドツボに嵌るので、ここはサクッと切り上げさせる。

「もう食べないかなー?じゃあはいっ、ごちそうさま!」

スタイを外して椅子から下ろす。
息子は思い通りに行かなかったことに腹を立て、一度は床に大の字になって泣きわめく。だけど、見ていればすぐにケロッと起き上がり、手近なもので遊び始める。
この一連にも、少しずつ慣れ始めている自分がいる。

昼寝の時間(私の自由時間)になり、30分経ち、1時間が過ぎても、息子が寝ない。一向に寝ない。完全にあの朝寝のせいだ。

生活リズムが狂ったとき特有のハイテンションで部屋じゅうを走り回り、物を投げ、本棚をひっくり返し、観葉植物の土を撒き散らし、「う!う!」と間断なくあれこれを要求し続ける。部屋じゅうに、つみきやボールや、保湿剤やタッパーの蓋や、土やハンガー、ありとあらゆるものが飛び散っている。

あの甘やかな15分を、心の底から後悔する。ひとりになれる貴重な時間が消えて行くことが、悲しくてつらくてイライラする。自分の時間が消えることにイライラする自分がまた、さもしく感じられてさらに落ち込む。

「息子くんねんねは?」声をかけると、
「…ねんね」

息子はやけにハッキリと言い放ち、お気に入りのフリースにうつ伏せにダイブした。

…かわいい。

唖然とする私を前に、さらにちらっと上目遣いで伺ってくる。

こうしたら、かか、嬉しい?
かかが嬉しいと、僕、嬉しくなっちゃう。

その目が雄弁にそう語っている。そして語られたその感情は、もちろん私を嬉しくさせる。
その全てがあまりに可愛いので、携帯のムービーを起動してもう一度してもらうことにする。

「息子くん、ねんね?」

息子は機嫌良く何度も「ねんね」をしてくれた。
結局、いつも起きるような時間になって、倒れ込むようにパタリと寝た。


やっと手にしたこの僅かな自由時間を、有意義に使うべきなんだと思う。
料理をしたり、noteを書いたり、本を読んだり。
だけどいつも、何もできない。

ぼーっとして、自分の昼食は食べたり食べなかったり。
「ねんね」の動画を夫に送り、見返すとあまりに可愛いので義両親にも送る。ついでに実家の父にも送る。

義両親が、まっ先に嬉しそうな返事をくれる。
以前はこの返事の返事にも頭を悩ませていたけれど、最近はなにか思いつけば送るし、何もなければ既読で終わらせる。
義両親も私が四苦八苦しながら気の利いたようなことを送るより、気楽に動画や写真を送る頻度が多いほうが嬉しいだろう、と思うことにしている。

夫からも返事がくる。
以前は勤務時間中に返事がくることはほとんどなかったけれど、あまりに不在がちなのを自分で気にして、なるべく返そうと心がけているのだと思う。その気持ちが嬉しい。

少し時間をおいて、実父から「20万の釣竿を10万で友人から譲ってもらうことになりました」という返事がくる。実父は鮎釣りが趣味なのだけど、昨年14万の釣竿を買い、1か月ほどで河原で転けて折ってダメにしたのだ。

息子の可愛さを共有したい、という気持ちは、すでに義両親と夫に満たされているので、父がそれに触れなくても構わない。
父から返ってくるピントの外れたLINEはそれはそれで、気分転換になるということにしている。


30分ほどで息子を起こす。
これ以上寝かせると、本当に夜寝ないのだ。繰り返すが夫の帰りが遅いので、へたをすると夜中まで元気な息子と1on1 になる。それは避けたい。

暗くしていた寝室の窓を開けると、息子が泣きながら起き上がる。まだ眠いのだ。
息子の温度と湿度がふわりと香り、思わずベッドに潜り込む。息子の足元にぴたりとくっつく。「あ〜〜息子くんの匂い!!」

息子はドッキリを仕掛けられた芸人のような顔で、私の顔を眺めている。

「おはよ」

息子の膝に頭をすりすりすると、少し間があってから、くすぐったそうに、照れたように笑った。本当に表情が増えたなぁと思う。

「バナナ食べる?」

聞くと、一気に目がパチリと開いて、
「う!」
また器用に足からベッドを降りて、リビングに向かう。
朝のように、息子の後ろをついていく。午後の部がはじまる。


15時。まだ少しぼんやりしている息子を車に乗せて、西松屋へ向かう。
数日後に迫った入園の準備がまだまだ残っているのだ。

近くの西松屋は駐車場の間隔が狭いので、わざと奥のほうに停める。車のドアがスライドではないので、なるべく隣が空いていて欲しい。

息子を店のカートに乗せて、必要なものを思い出しながら順番に回る。
まずは半袖のTシャツとズボンを数枚。

選んでいるあいだ、早速「う!う!う!う!」、降ろせ、降ろせと、主張がはじまる。

徐々に声が大きくなり、「あ”ー!あー!!」と、無音の店内に叫び声が響き渡るのに気後れし、カートから息子を降ろしてしまう。

案の定、ぶらさがっているものを手当たり次第に取ろうとするので腕に抱き上げ、適当にTシャツを数枚選んで次に進む。

布用の名前ペン、アイロンでくっつくゼッケンシート、靴下。

そのあいだも息子はずっと、不満げな声を出している。
肌着のコーナーでいい加減に重くなり、少し床に置いてみる。今度は大人しく周りを見ていたので、そのうちにと選ぶ。

夏物はランニングが多いけれど、肌が弱いとわきが荒れるときくので半袖か。
メッシュが多いけれど、これもコットンの方が肌にはよさそうか。
サイズはせいぜい90。
柄物もあるけどなるべくシンプルで、できれば前に着替え用のマークのあるものを…

もう少しで決まるというとき、足元に立っていた息子が急にしゃがみ、商品棚のしたにあったコンテナを引っ張り出してきた。

「ちょーっと待ってね!」声をかけて抱き上げようとした瞬間、

「あああ”あぁ!!」

抵抗した息子が、目の前の棚にあった商品を握りしめて思い切り引っ張った。
ビリッ!!という音がして、気持ちいいほどの勢いでパッケージが破れた。

あーーー…

一気に脱力する。息子は気配を察して、私の顔をまじまじと覗き込む。
息子の手にあったのは、メッシュのランニングシャツ3枚組。95サイズ。よりによってフルーツ柄の、赤黄緑のハデハデなやつ。

一瞬、見なかったことにしたいと思った。そして嘆息。
ダメだ、私は親になったのだ。

店員さんに相談するか。もしくは・・

逡巡した結果、黙ってそれをカゴに入れた。
店員さんに話しかける精神的余力が残っていなかった。
まあ性別的には(というとナイーブだけど)着られるデザインだ。真夏はメッシュのランニングでもいいだろう。95サイズだと着るのは来年か、再来年か。いやがっても絶対着せてやる。お店で破ったんだよって言ってやる…。

残りの買い物を最速で済ませ(レジで声をかけてくれるかもと思ったけれど、結局何も言われなかった)、店を出ると、ガラガラの駐車場のわざわざ奥に停めた車の隣、それもチャイルドシート側にシルバーのセダンが停められていて、運転席でシートを倒したスーツ姿のおじさんがふんぞり返って携帯ゲームをしていた。こんなところで仕事サボってんじゃねえよ。猛烈に腹がたってク●ッタレと思いながら、息子を逆側のドアからシートに乗せた。

車のステレオにYouTubeをつないで、音楽をかけながら家に帰る。

16時すぎ。本当はスーパーに寄って、保育園から渡されている食材リストの未食の材料を買うべきだった。
カリフラワー、鰆、グリーンピース、粉チーズ。
でももう家に帰ろう。帰って「おかあさんといっしょ」を見よう。あと数日で替わってしまう、あつこの勇姿を目に焼き付けよう。そして癒されよう。


信号で止まったとき、ふいに後ろを振り返ると、息子がこちらを見て嬉しそうにニコッと笑った。…かわいかった。反射的に私もニコッとして、腕を伸ばして足をこしょこしょすると、「へへっ」と息子がもっと笑った。

ああ。

前に向き戻って信号が変わり、アクセルを踏みながら、張っていたものが一気に緩んでいくのを感じた。

こうして24時間一緒にいた日々が、あと数日で終わるのだ。
その心細さに、慄然とした。

出産してから、いつも息子に守られていた。

抱きしめたい時は、いつも喜んで抱きしめさせてくれる。
よく笑う子で、たいていはニコニコ笑ってくれる。
怒ってしまっても、すぐに忘れてくっついてくれる。

こんなに必要とされて、愛されて、抱きしめられて、許される。
こんなことは、いままでになかった。
出産してから、ひとりになりたいと思うことは何度もあったけれど、ひとりぼっちで寂しいと思うことは一度もなかった。怖いくらいに幸福な日々だった。

保育園に入ったら、あっという間に小学生になって、中学、高校、大学、あっという間に社会人になって、家を出て、あっという間に、滅多に会えなくなるんだろうか。

保育園に入れるということは、そのエスカレーターの入り口に立つということのように思えて、
別に今までも子どもは子どもで別人格だと思っているし、したいようにすればいいとか、家はむしろ出てくれないと困るとか、そういう考えは変わらないんだけど。
そういう諸々とは別の、なんとも表現し難い断裂を、自分の内側に感じている。
入園のことを考えるとどうしようもなく涙が溢れて、それは息子が心配とか、まだ小さいのに保育園に入れていいんだろうかとか、そういう葛藤では全くない。ただただ息子と離れるのが、私自身が心細く、置き去りにされる子どものような気持ちになっている。

何度も自分で検分したところ、これはすごく生理的な感情の波で、だからもう対処のしようがないとみた。
台風が過ぎるのを待つように、たまに思い出したようにボジョボジョ泣きながら、入園の日を待っている。



家に着いて、破れて買い取った95のタンクトップと、保育園用に買った90のタンクトップ(動転していたのか、半袖ではなくタンクトップを買っていた)を重ねてみると、なぜかサイズが全く一緒だった。タグにはしっかり、「90」「95」と記載がある。

ちょっとどうよと思いつつ、我が家としては結果オーライなので、今年の夏はこれらのタンクトップをたくさん着せようと心に決め、全てにきっちり名前をつけた。


あつこお姉さんの笑顔を見届けてしまうともう16時45分で、何かあるだろうと思って冷凍庫を見ると息子のおかずが何もない。作り置きの離乳食は、どうしていっぺんに無くなってしまうんだろう。

ご飯をチンして(炭水化物)、卵を割り入れて(タンパク質)、混ぜて、一口大ずつフライパンで焼いていく。おかずはお昼と同じ野菜の煮物(ミネラルビタミン)。
この卵のおやきは初モノなので、息子が嫌がって食べなければ食後にヨーグルト(タンパク質)、もっと足りなければバナナ(炭水化物?)をあげればいい、ということにする。

こうして書くと、改めて適当さが際立つ。
ツイッターやインスタで見るようなご飯とはかけ離れている。

昔の自分だったら、比べて悩んだりしたと思うけれど、今は全くそうはならない。頑張っているママたちに敬意を感じつつ、もうすっかり開き直っている。

息子は長い間、本当に食が進まなかった。

歯が遅い影響があるのかないのか、食べてくれるのは1歳を過ぎてもドロドロのものばかり。
最近は固形物も少しずつ食べるけれど、やっぱり魚も肉も好きじゃない。魚はみじん切りにして汁物に忍ばせ、肉は挽肉ばかり食べている。

その一方で、一日中マグロのように動き続けているので、体重は成長曲線を割っている。まずは何でも良いから食べさせたい。

頑張って作って食べてもらえなかった時、食べてもらえなかった落ち込みと、栄養を与えられなかった責任感がダブルパンチで襲ってくる。食事に関して、頑張りどきは今じゃないなと悟っている。

いつか息子が、夫と同じくガタイのいい高校生に成長するのを想像する。

どんなに作ってもモリモリ食べて、足りない足りないと言われるのを。大変だと言いながらフライパンを振り、揚げ物を山ほど揚げるのを。
望むところだ、と思う。私は食べるのと同じくらい、食べてもらうのも好きなのだ。


息子に夕食を食べさせ始めると、またスプーンを投げられ、フォークを投げられ、卵のおやきも投げられた。
野菜の煮物だけを先に食べてしまったので、明らかに水分が足りていない。

「おちゃ飲む?」
「う!」

本当かなぁと思いながら、コップにお茶をすこし注いで渡す。
口に運ぶようにみえた次の瞬間、コップが見事に逆さまになった。
皿から椅子から床まで、麦茶の匂いがぷんとたった。

「こーーーら!!」

息子はテーブルにこぼれた麦茶に手を伸ばし、バシャバシャと夢中で撒き散らす。

「やーめーて!!!」

咄嗟にハイチェアを机から離す。息子は負けずにこんどは椅子にこぼれていた麦茶をバシャバシャと蹴散らす。床のあちこちに麦茶が飛ぶ。

「やめてって言ってるでしょ!!」

大きくて、不機嫌で、威圧的な声が出る。
息子の足2本を片手で捕まえ、薄い布巾で麦茶を拭く。布巾はすぐにびしょびしょになり、すすぐ間にも息子は立ち上がり、身体を目いっぱい伸ばしてテーブルのお茶を触ろうとする。

「やめて!!」
「なんでそんなことするの?!」

これまでの人生でありえなかったほど反射的にキレているのに、息子は怒れば怒るほどニヤニヤと笑う。
口を突いてでる言葉はわれながら無意味で、全ての対応が非模範的。そう分かっているのにどうしようもなく腹が立つ。うまくできない。哀しくて惨めになる。
コップを逆さまにして、麦茶が流れていくのを見るのが楽しいという、その気持ちはわかるのに。尊重してあげたいとも思うのに、どうしてこんなに腹が立つのかわからない。

4回も5回も布巾を濯ぎ、それでも床からは麦茶の独特の匂いがする。本当に早く保育園に行って欲しい。もう無理だと思う。切実に。

夕食後ひと息ついていると、また息子が大の方をもよおした。
また一緒にオムツを捨てに行き、「お風呂入ろっか」と声をかけて、まずはお風呂を洗う。

以前はこのすきに、息子が洗面台のしたから洗剤のストックを全部出したり、浴室に入ってきてボトル類を端から落としたり、なにかとやられる時間帯だったのだけれど、目下、息子の全興味は「お風呂の栓をする」ことに向いている。

私が急いで浴室を洗うあいだも何度かそれを練習し(まれに成功すると洗剤が流れなくなり、そのときはコソッと栓を抜く)、洗い終わった後、「いいよ」と言うと、本番の栓をしてくれる。

なかなか上手くいかないこともあるけれど、スプーンやフォークの練習とは違い一回成功すれば済むことなので、私も心穏やかに見守っていられる。
うまくできないと癇癪を起こしたり、すぐに「やって!」とギブアップする息子もこれだけはやる気で、集中して何度もチャレンジする。そして待ち続ければ、最後にはできる。

「できたね!」
そう言うと、息子は嬉しそうで誇らしげで、きらきらした顔をしている。私もぎりぎり「母親」が保てた気がして、ほっとする。


ところでこの間、たまに息子はオムツをしていない。

お風呂の直前だろうと、夫は必ず新しいオムツを履かせる。そして汚れていなければ、お風呂の後にまたそれを履かせる。

だけど私は、お風呂のあとは新しいオムツを履かせたい。かといってオムツももったいない。
それに、多分おしっこしないだろう。
それに息子だって、たまにはオムツなしで生活したいだろう。

という雑な考えで、お風呂を洗ってお湯が入るまでのあいだ、オムツを履かせない時間がたまにある。
これはもちろんちょっとした賭けでもあって、今日は私がトイレに行っているあいだ、脱衣所から「ジョボボボぼ…」という決定的な音がした。見にいくと、息子が水溜りのまん中で悄然としていた。

「おお〜、ちっちしたの!!ちっちしたねぇ!!」

声をかけて息子を浴室に移動させ、急いでタオルで脱衣所を拭く。
息子はこういう時くらいしか、自分の「ちっち」と出会っていない。たまに不思議そうに引っ張っている部分から、急にちっちが出てさぞびっくりしただろう。

このちょっとした経験を重ねながら、少しずつトイトレに向かっていくのかなと思う(時がくれば、もっとちゃんとしたやり方をするんだろうけど)。
授乳が終わって、離乳食が終わって、食事が落ち着いてきたら次はトイトレ。

先は長いなぁと思いながら、まだまだ先があることに、少しだけほっとしている自分もいる。


お風呂から出ると、息子の全身に保湿剤を塗り、まずはオムツだけを履かせる。

化粧水をつけようとすると息子がご機嫌に近づいてきて、自分のほっぺに小さい手をあてて、ぺちぺちした。

これからぺちぺちするんでしょ?

そんな得意げな表情で。
化粧水(無印良品の肌に優しそうなやつだ)をつけたあと、くっついてくる息子にもすこしぺちぺちを分けてやる。
息子は嬉しそうに笑って身体をくねらる。子供は喜びを顕わすのがじょうずだと思う。とびきり嬉しいのだと伝わってくる。

自分の髪を乾かし、息子にミルクをあげて、肌着も着せる。
最近急に暑くなり、風呂上がりに火照りをすこし落ち着けないと寝つきが格段に悪くなるのだ。


息子の両腕を私の両足と床に挟み、股のあいだに押さえつけるようにして歯磨きをする。息子は暴れて叫んで抵抗する。

以前は、このやり方はあんまりでは…と悩んだりしたけれど、ツイッターで「歯科医師に「あなたがやらないと誰がやるんですか」と言われた」というツイートを目にしてから、もう迷いがなくなった。
息子を押さえつけながら、今日もその言葉が胸に去来する。

あなたがやらないと誰がやるんですか。

それは全てのことを指しているように聞こえる。



息子が本棚からスケッチブックを出してきてクレヨンをねだるので、
「絵本ならいいよ」
というと素直に絵本を持ってきた。

「かじだ、しゅつどう」を3回読み、「てんてんてん」「どんどこももんちゃん」「だっだぁー」「しましまぐるぐる」「もりのおふろ」「だるまさんと」
絵本を本気で読んでいると、なかなかこちらもぐったりしてくる。

「はじめてずかん」で大好きなエスカレーターとエレベーターの写真を何度も見て、唐揚げとコロッケの写真を見て、靴下とくつの写真を見たあたりで、ふあぁぁ、とあくびしたのを見逃さない。

「ねんねしよっか」

声を掛けると、今度は「ねんね」とは言わずに、傍にあった私のファーリーフリースを握って立ち上がった。
息子はこのモコモコがお気に入りで、いつもこれを抱きしめて寝る。あんまりお気に入りなので、息子に愛されたい夫の分も買ったくらいだ。息子は夫のフリースでも問題なく寝る。

真っ暗にした寝室に寝かし、フリースをそばに置いて、布団はかけずにオルゴール(の音が出るミッキーのぬいぐるみ)を鳴らす。
体がぴったりとくっつくように私も一緒に隣に寝て(私は布団をかぶる)、ゆっくりと寝息のように深呼吸をする。

息子がぐるぐる動いてもなるべくこちらは介入せず(とはいえ、頭の上に乗っかってきた時はぐいっと戻す)、ひたすら狸寝入りをして、息子が寝るのをただただ待つ。

短い日は10分ほどで、長い日は1時間ほどかけて、徐々に息子の動きが止まり、チュパチュパチュパチュパ、と舌を吸う音がひびきだし、その音が止まってしばらく待つと、ゆったりとした寝息が聞こえる。

寝息を15くらい数えたあとで、息を殺してベットを出る。跳ね上げ式収納がついているせいか、いつもパキッと音が鳴ってビビるけれど、最近の息子はそれでは起きない。そおっとそおっとドアまで歩き、部屋を出る。

一旦、任務完了だ。小躍りしたい気持ちになる。

リビングに戻り、散らかった部屋で少しぼうっとする。おもちゃ箱付きの本棚を買ってから、これでもだいぶマシになったのだ。
のろりのろりと動き出し、あちこちに飛び散ったあれこれを、無心で元の場所に戻していく。

ビーズクッションに腰を預けて、ぼんやりと携帯を開く。
欲に負けて、夕食前なのにチョコパイを食べる。


息子がだいたい20時半頃に寝てから、23時に私が寝るまでの間に、息子は少なくとも一度は泣く。泣くときは必ずギャン泣きになる。

ネントレの本で「泣いても自力で睡眠に戻れるから様子見をする」というのを見たけれど、これはどうしてもできなかった。
息子は私が行くまで全力で泣き続ける。めちゃくちゃしぶとい。そして行くと、ぴたりと泣き止む。

「だいじょうぶだよ」

声をかけながら息子の小さな胸に手を置くと、心臓があまりに近いのに驚く。
手のひらの本当にすぐそこで、どくどくどくどくと脈打っている。
たくさん泣いた直後のその鼓動の速さを感じると、何度でも胸がきゅっとなる。

だいじょうぶだよ
だいじょうぶだよ

そばに横になって、ゆっくりと呼吸をしながら、息子がまた寝入るのをじっくりと待つ。

だいじょうぶだよ

聞こえないくらいに小さな声でそう囁くのは、もはや息子のためじゃない。

日々くりかえされる幸福と自己嫌悪。
それでもどうしようもなく進んでいく息子にとって貴重な「いま」を、丸ごとあずかった責任を背負い、悪戦苦闘する自分に、おまじないをかけている。

だいじょうぶだよ

まあ明日もやられるだろうけれど。
明日もはちゃめちゃ可愛いから。

だいじょうぶだよ

つべこべ言っても、どうせやるしかないんだから。



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