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人生最初の、最大の転機

私は高校卒業後、県外に進学しました。
とてつもなく大きな転機、人生をガラリと変えてくれた、要となる選択でした。

小学生高学年の時、私は高校を卒業したら就職しようと考えていました。
当時、大多数の現代日本人は高校卒業後に進学しており就職を選ぶのは少数派なのだという事実を、私は知りませんでした。両親への金銭的な負担を最小限に生きて早く自立したいと思った時、思い描いた進路が「高校卒業後に就職」だったのは自然な流れでした。

私の父は教員で、母は時々パートに出ていて、裕福とは言えませんでしたが困窮していたわけでもありませんでした。必要な物は買い与えられたし、三姉妹三人ともピアノを習っていたし、年に一、二回は国内近場の家族旅行もしていました。
おもちゃやゲームの類いは誕生日やクリスマスといった大イベント以外で買ってもらえませんでしたが、同様の家庭は周りに多く見られましたし、両親は教育方針としてそうしていただけであって、ちょっとしたおもちゃも買えないほど貧しかったわけではなかったように今は思います。

私史上最大の謎なのですが、なぜか、いつの頃からか、私は両親に経済的な遠慮を強く感じるようになっていました。
両親からの愛情を確信できずにいた幼い私が思いついた、両親に嫌われずに済むために実践できる現実的な方法、それが「私にかかる費用を最小限にして一日も早く自立する」だったのかもしれません。

中学に入り、「就職に有利だから」の理由で選んだ高校名を進学希望調査のプリントに書いたところ、親にも担任の先生にもギョッとされました。
「進学校にした方がいいよ!大学に行った方がいいよ!」と方々から必死の形相で諭され、ようやく自分が変なことを希望しているようだと悟りました。今日日の「普通」がそうならばと、あっさり進路希望先を変更しました。
めでたく進学校に入学した当初は、地元国立大を第一希望としていました。実家から通学できる国立大に行くのが、最も安価に済む道だからです。
とにかく私は、両親に金銭的な負担をかけるのを心苦しく思っていました。例えば小学校の時に入っていたバドミントン部では、ラケットなど必要な道具をそろえたり、合宿のための費用がかかったりします。部活で発生するお金を出してもらうことすら私には「贅沢」、「必要最小限をオーバーする出費」になってしまうと、両親に申し訳なく思っていたのです。

そんな私が一転して県外の大学を目指すようになったきっかけが、高校1年の冬に起こりました。クラスメイトの一人が、仲良し女子4人組でお泊まり会を企画してくれた時のことです。
私は両親に「同じクラスの子がお泊まり会に呼んでくれたから、行ってもいい?」と尋ねました。父からの返事は
「泊まるのはちょっとまだ早いね。大学生になったらいいよ」
というものでした。
その瞬間、私は県外の大学に進んで高校卒業と同時にこの家を出よう、と決意しました。

と、この出来事だけお話しすると、「なぜそんな急に?」と唐突な趣旨替えのように思われるかもしれません。実は伏線となる出来事が、小学4年生の時あったのです。
同様にお泊まり会へ誘われ両親に話したとき、
「泊まるのは相手のお宅に迷惑がかかるからダメ。高校生になったらいいよ」
と言われていたのでした。
だからこそ、それ以来、高校に入るまでの我慢と、誘われるお泊まり会は全て断ってきました。同時に、高校生になってお泊まり会に参加できるのを楽しみに夢見ていたのです。
それなのに、それなのに…
「えっ?前、高校生になったらいいよって言ってたよ?」
とその場で食い下がりましたが、覆りませんでした。

ダメだ、この家を出よう。
県外の大学に進学して、一人暮らしを始めよう。
私は唇を噛んで引き下がりながら、心で炎をたぎらせ強く決意しました。
大学生になったら「社会人になったら外泊していいよ」、社会人になったら「一人暮らししてから好きにすればいいじゃない」と言われるに決まっている。
外泊以外にも、門限やら何やら同じようにたくさんの制約がつくはず。今「大学生になったらOK」と両親から言われていることは、大学生になっても決してOKにはならない。そんな大学生活、絶対楽しくない。絶対にやだ。

進学希望先を変更し、私は猛勉強を始めました。
地元国立大に行くよりお金がかかるのだから、偏差値の高い、「ぜひ行っておいで」と快く送り出してもらえるような学校に行こう。そうすれば私は一人暮らしで堂々と自由を謳歌できるし、両親にとっても少しは自慢になるのだからwin-winじゃないか。

両親制約下の不自由な大学生活だけは何としても避けたい、その一心で私は、目の色を変えて勉強しました。受験にその後の人生を懸けたのです。
必死の努力は運良く報われ、私は高校卒業と同時に実家を出て、両親の制約から解かれたのでした。

それまでの自分の方針「両親になるべく金銭的負担をかけずに生きる」を全否定して、何よりも自分の自由を優先する進学先を選んだ、最初にして最大の転機でした。
両親への経済的負担が増える。金食い虫と思われた私は迷惑な存在と認識され、両親から嫌われるかもしれない。その恐怖は当然ありました。
でも、それでもいい、と思ったのです。嫌われたっていい、自分の自由の方が何倍も大事と心から思ったのです。
県外への進学は、私の環境を大きく変えました。地元国立大に行っていたら夫には出会わなかったし、キャリアも今と全く違っていたでしょう。そうした環境の変化のきっかけになったという意味で「転機」ではありますが、今振り返ってより価値を感じるのは、両親に嫌われる恐怖を乗り越えて自分を最優先できた、その心理的な「転機」だったという点です。
16歳の私の、一点の迷いもない自分ファーストの決断、我ながらアッパレな決断でした。

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