俳句四季新人賞贈呈式で話したこと

 先日、ホテルグランドヒル市ヶ谷で行われた東京四季出版の第21回七夕まつりに出席し、そこで行われた第12回俳句四季新人賞の贈呈式で受賞の言葉を述べさせていただきました。その内容について、文字にしておきたいことがあるのでここに記します。

 受賞の言葉の最後で、私は、ガザで今なお続くイスラエルによるジェノサイドを非難しパレスチナに連帯することを、一人の俳句作家として表明しました。これまでも一人の人間として連帯し、プロテストに参加したりボイコットを続けたりしてきましたが、ジェノサイドの開始から九ヶ月経ってようやく、俳句作家としての連帯を表明しました。今や俳句は日本だけのものではなくワールドワイドな詩型になっていて、(残念なことに地球規模の俳句界のネットワークはあまり強くないのですが)そのなかで俳句作家として連帯を表明することには意味があると考えます。日本の一人の俳人の連帯表明が、なんとか俳句のネットワークで拡散され、パレスチナに連帯を表明する俳人がもっと出てきて欲しい。俳句文学の本源であり大きな拠点である日本から、声を上げるべきだと思います。

 贈呈式の後の講演で、堀田季何主宰は現代世界における戦火想望俳句の重要性についてお話しされました。もはや戦争に無縁な国など無く、日本もいつ戦争の渦中となってもおかしくないという状況において、戦争といういつ死ぬかもわからない状況を必死で想像するのは当然のことです。特に、俳句は短いからこそ想像を喚起する力が強いのだと。ガザでの状況を想望し俳句にするかどうかは、個人の自由だと思います。私自身、想像を喚起する力を信じてパレスチナについての句を書きながら、「文学としての良し悪し」という評価がガザで苦しむ人々とは全く無関係のところで行われることに葛藤しています。それでも、「切実だから」書いています。切実に、ジェノサイドを止めたいのです。パレスチナに目を向け、想像し、虐殺反対の声を上げなければ、ジェノサイドを止められません。俳句という表現を持っている人間が、これを無視することはできないように思います。

 いま改めて文章にしているのは、一人の新人が贈呈式で話したことなどすぐに忘れられてしまうからです。私は多くの俳人にパレスチナに関心を持って恐れずに意見表明をしてほしいと思って、贈呈式という場でパレスチナに言及しました。しかし、実際、七夕まつりが終わった後に覚えてくださっていた方はどれくらいたでしょうか。「勇気があって素晴らしい」と言って下さる方もいましたが、私の「勇気」はどれほど伝播したでしょうか。そう考えると、すこし無力感があります。(一方で、懇親会のときにご自身の鞄につけられたFreeGazaの缶バッジとワッペンを見せてくださった方がいて、私も勇気づけられました。)

 今日もインターネットを通じて、ガザから写真や映像が流れてきます。空爆で破壊された街やからだの一部が無い死体から、目が離せません。胸が痛みます。いまだ終わらない虐殺に憤りを覚えます。そんな中で、無力感なんて理由で諦められないと思い、この文章を公開することにしました。拡散してください。ともに声を上げましょう。どうかよろしくお願いします。

パレスチナについてのウェブサイトや書籍

 特に岡真理『ガザとは何か』は比較的安価で分かりやすく、ブックガイドも充実しているためおすすめです。他、ウェブサイトや書籍、ニュースサイトをいくつか載せておきます。「今更」と思わずぜひ読んでみてください。

 ガザの民族浄化を進めているのは一部のシオニストであり、ユダヤ人全員ではありません。実際、ユダヤ人でも今回のイスラエルのガザ攻撃を非難している人(特にホロコーストサバイバー)も多くいます。パレスチナ連帯、反イスラエル=反ユダヤ主義ではありません。
 また、2023年10月7日のハマスによるイスラエル攻撃は国際法違反であり、これを非難します。実際、国際刑事裁判所(ICC)はハマスの幹部、イスラエルの首脳の双方に逮捕状を請求しています(最後ふたつの記事参照)。しかし、イスラエルによる反撃は明らかに過剰なもので、ジェノサイドであり、今すぐに止めなければなりません。私の主張は「ジェノサイドを今すぐやめろ」です。また、「パレスチナを開放せよ」です。これまでのイスラエルによる何十年にもわたるパレスチナ占領、抑圧を非難します。そして、それを黙認し、問題をパレスチナという地域に押し付けてきた国際社会にも大きな問題と責任があります。


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