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嶋津亮太『感知する力』を再構築する(フィードバックの流儀III)


嶋津亮太さんから、大変おもしろく、かつ難易度の高いお題をいただいた。この記事では、嶋津さんが1年半前に書いたnote『感知する力』を、読まれるように/読み手の心を動かすように変えるにはどうすればいいか、私の視点でまとめる。

思考回路

文章に対するフィードバックの依頼を受けた時、私はまず書き手が一番言いたいことはなんなのかを探し、次に一番言いたいことを最もすんなり伝えられる流れはなんなのかを考える。

だいたい、キーメッセージは最後に出てくるので、まず後ろの方を読んでみる。すると、嶋津さんらしいフレーズが出てきた。

経験知が、言語化可能な域、さらには知覚を遥かに超えた域での審美眼を育てていく
あらゆる芸術や自然の美に触れ、体感し、経験知を獲得していきたい

嶋津さんの突出した長所として、①圧倒的な美意識の高さ、②美を言語化する力、③それを支える知識と教養の量、あたりを挙げたい。そういう意味で、このnoteはまさに嶋津さんらしい一本といえる。

ちなみにあえて短所を挙げるなら、美に酔いやすいところかな。(完全に長所の裏返しだ)

自分に見えている世界を記述する時、つい省略飛躍が増えがちだ。そうすると、読者は置き去りにされてしまうので、丁寧に補うようにすると、読者の裾野は広がりそうだ。


そんな書き手の姿を思い浮かべながら、上述のキーメッセージ:『審美眼を育てるには、一流に触れる経験の量を増やすべし』というテーマに向かって、それぞれのエピソードがどのように結びついているか、整理を試みた。

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付箋を使ったり

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起承転結にはめたり


さて、ここから3つ、再構築の視点を提供してみたい。


提言① 結論に至った道筋を示す

上に貼った手書きの起承転結の「転」の部分に、

美は佇まい=知覚できない領域に宿る

という、本文中にない言葉を書いている。これは実は、昨日DMで嶋津さんに聞いた質問への回答だ。

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明瞭に答えが提示されていた。

この経緯が、『感知する力』単体で見るとほぼ省略されている。だからロジックが飛躍して見えるのではないか。

noteでは、記事単体=点での評価でスキを押すかどうかが決まりやすい(逆説的~)。noteは「連載」と相性が悪い。だから、嶋津さんがそれまでずっと考えてきた「美意識」について、このテキストの中で十分に補う必要があると思った。いわば起承転結の「転」を手厚くすること。


この美意識は〝不明瞭であることが、質感を伴った時により伝わる〟という日本文化の不思議(特質)とリンクしているような気がしてならない。


それは時限爆弾のように、ライフスタイルの中で突如として所有者の感性へ目がけ、爆発する。
しかしそのことに気付く者はほぼいない。
人は生活の中で溶け込んでいく〝かわいさ〟に知らぬうちに感染しているのだ。


美は、佇まい。感知できるが、見えない/聞こえない/触れないものの総体に『美』が宿っている。

そのことを圧倒的な思考量と言語化量でほぐしてきた嶋津さんが言うからこそ、「経験知が最も頼りになる」という言葉が強い説得力を持つ。

この流れを丁寧に伝えることで、読み手は「やばい、一流に触れる経験を増やして感知する力を磨かなくては……!」という行動変容を否応なく促されてしまうだろう。

提言①、結論に至った道筋を示す。


提言② 例示を厳選する

「感知する力」にはたくさんの例示が盛り込まれている。具体の例示は、抽象的なメッセージを伝える上でとても有効なのだが、少し伝わりにくい例示が含まれていると感じた。以下は個人的な感覚になるが……

🔹僕たちはその言葉を知らなくても分かってしまう  →△わからない
🔹知らない言葉で書かれていても「この文章うまい」 →△わからない
🔹知らない言葉で喋っていても「この人頭良い」とか「わ、ユーモラスな人!」など何故か分かってしまう →△わかるようなわからないような

🔸《歌》ちょっとした鼻歌やハミングを聴けば〝その人がどれくらい歌がうまいのか〟がなんとなく分かりますよね →◎わかる
🔸《演劇》映像や舞台に登場してから30秒もあればその役者さんの技量っていうのは分かってしまう →◎わかる
🔸《落語》腕のある落語家さんは喋る前から既に面白かったりします →◎わかる

もしかすると、「知らない言葉なのに、分かってしまった」という強いエピソードの方が、このテキストの出発点だったのかもしれない(それはそれで、ぜひディテールを読みたい)。しかし、共感のしやすさでいうと、すこし敷居は高そうだ。

キーメッセージが「あらゆる芸術や自然の美」に言及することからも、思い切って「言葉」単体の例示は削ってしまう方が、通じやすいと思った。たとえば、次のような書き出しだとすればどうだろう。

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異国のシンガーが、全く知らない言葉で口ずさむ鼻歌を、たった3秒聴いただけで、「この人、めちゃくちゃ歌うまい……!」と感じるのは、なぜだろう。

寄席に行って、うまい落語家の噺を聞くとき、最初の一言を発する以前から、もう「面白い」が始まっている。落語は言葉を楽しむもののはずなのに、言葉以外の何かが「面白さ」を発している。なぜだろう。

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こうしたエピソードは、一般論でも十分わかるけれど、より個別的なディテールを含む個人的なエピソードであればあるほど、引き込む力が増す。

たとえば、「先日、◯◯という演劇作品を劇場へ見に行った。」というエピソードの中で、うまい役者とイマイチな役者の技量の差を、どのようなところから感じたか……という話が冒頭に来るとしたら(エッセイっぽい書き出し。)、読者は容易に書き手の嶋津さんに感情移入ができそうだ。

提言②、例示を厳選する。


提言③ 視覚的リズムを整えてみる

文章単体の再構築とは離れてしまうけれど、モバイル時代のwebプラットフォームであるnoteならではの特徴を踏まえた、ビジュアル面の改善について。

これらの点は、教養のエチュード賞に関する最近の嶋津さんのnoteでは完璧に考慮されているので、言うだけ野暮だけれど、テクニック集として。


🔸見出しを活用する。この量なら、3つぐらい見出しを立てて目次を使う方が、全体の流れがわかりやすくなりそうだ。

🔸1つの文章の塊をある程度小さくして、段落を分ける。意味の塊が変わるところで、二行空きや、区切り線・区切り記号などを入れる。

※強制改行(行間がない改行)は、端末によって折り返し位置が変わるし、塊は塊のままなので、避けた方がよさそう。

🔸イメージ画像を区切り線的に用いてリズムをつくる(『あたしの、ひとりきりの部屋から』は見出しのない小説作品だけど、所々挿入された写真が場面転換を明確に演出している)。

たとえば寄席の舞台、アナログレコードやコンサートのイメージ、川のせせらぎや蝋燭の炎のゆらぎなどのイメージをはさんでいくと、いっそう話の流れがわかりやすくなる。トップ画像の選択も、内容に沿わせたい。

🔸太字を効果的に用いる。現状はキーワードだけを太字にしているところ、「主張」や「原因」にあたる部分も太字にし、太字だけ読めば概要がわかるようにしておくと、かなり親切だ。


繰り返しになるが、これらの工夫は文章自体の善し悪しとは無関係だ。1000円台の安いビジネス書みたいなやり方だから一長一短あるが、「可処分時間を奪い合うnoteというプラットフォームで、多くの読み手に届ける」ことをもし強く意識するなら、こうした親切な工夫はけっこう奏功すると思う。

中途半端にやるくらいなら、とことんチューニングしたほうがいい。逆に、小技に頼らず文章だけで勝負するのも、ひとつの美しい選択だ。

提言③、視覚的リズムを整えてみる。


🛫

あっさりまとめようと思っていたのに、嶋津さんが2018年春夏に書いていた一連のnoteを読んだりしていたら止まらなくなってしまった。

先行する仲高宏さんは、田中泰延を引用しながら、『知識と実感の結合』という視点で書いている。堅実なアプローチだ。

ひょっとしてこのあとヤマシタマサトシさんの視点も読めてしまうのか?


こうしてお題を頂いて思考を練り上げ、言葉にしていくプロセスは、ほんとうに貴重な研鑽の機会だ。出題者の嶋津さんに改めて感謝したい。


たまに他の書き手の作品に読み手視点でフィードバックする活動をしています。

▼フィードバックの流儀 I


▼フィードバックの流儀 II


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