見出し画像

【連載】チェスの神様 第三章 #9 愛

 何度も何度も礼を言い、私たちは月光寺を出た。空が夕闇に包まれようとしていた。
「わたしは先に帰っているから、ゆっくり話しておいで」
 こちらから何も言わずとも、祖母はそういって一人、タクシーを呼びつけて帰っていった。残された私たちは、タクシーが完全に見えなくなるまで立ち尽くしていた。
 無言で歩き出す。アキは後からついてくる。
 住宅街の一角にある公園の前を通る。もうすぐ日が暮れようとするその場所で、まだ遊び足りない様子の子供に、母親らしき女性が帰宅を促している姿が目に入った。子供は友達に別れの挨拶をし、母親のもとへ行くと手をつないで帰っていった。私は彼女たちが見えなくなるまで目で追った。
 私は子供が産めない。私の中に、命を生み出す元がないのだから。
「実の両親に見放されて、あんな親にはなるものかってずっと思ってきた。親を恨んできた私だから、子供を産む資格がない、ってことなのかな……」
「僕はそうは思わない」
 アキは間髪を入れずに言った。
「病院で結果を聞いた時からずっと考えてた。エリーが生まれつきそういう体だと知ったうえで、僕にかけられる言葉は何かって。……エリーはきっと、子供を産む以外のことを運命づけられてるんじゃないかな」
「アキ……」
「僕はエリーのそばで病気のことを聞いてしまった。だから、エリーが自分らしく生きられるようにサポートするのが僕の役目なんじゃないかなって、今は思ってる。できないことにこだわるんじゃなくて、できることに目を向けるべきだって」
「……病気のことを知ったうえで、私と付き合い続けるってこと?」
「うん。だって、僕はここにいるエリーが好きだから。病気でも何でも、それは変わらない」
 私が私らしく生きられるようにサポートする。それは、父が加奈子を陰ながら見守り続けてきた姿と重なった。
「アキはそれでいいの?」
 私は詰め寄る。
「だって……。だってそれじゃあ、アキのしたいことができないじゃない。私に尽くすなんて、そんなのだめだよ」
「そうじゃないんだ」
 アキは大きく首を横に振った。
「僕は見つけたんだ、やりたいことを。それはエリーがいたから見つけられたし、エリーと一緒にいられたらきっと頑張れる。だから、そばにいさせてほしい。これは僕のためでもあるんだ」
「やりたいことって……?」
「んー、心理学の勉強」
 アキは照れを隠すように空を仰いだ。
「エリーみたいに病気で悩んでる人って結構いると思うんだ。相談したくてもなかなかできない。そういう人の手助けができたらいいなって」
「……そっか。見つけたんだ、やりたいことを」
 アキはちゃんと成長している。なのに、私ときたら……。
 いつまでも、立ち止まっている自分が恥ずかしい。迷ってばかり、落ち込んでばかり。
「焦ること、ないと思うよ」
 そんな私の心を見抜いたかのようにアキは言った。
「僕たちにはまだたっぷり時間がある。ゆっくり探せばいいんじゃないかな」
「アキはいつでも優しいね……。泣きたくなっちゃうくらいに、優しい……」
「泣いてもいいんだよ」
「そんなふうに言われたら、私……」
 堪えきれなくなって、涙にぬれた顔をアキの体に押し当てる。アキはそっと髪をなでてくれた。
 私はずっと、こんなふうに愛されたかったんだ。大丈夫、泣いてもいいんだよって、言ってほしかったんだ。どうしようもなく情けない私でも、すべてを受け入れ愛してくれる人を、ずっと求めていた。それは、親でも悠でもなくて、アキなのだ。
「ずっと一緒にいたい……。ずっと愛してほしい……。我がままだって分かってる、でも……!」
「僕もずっと一緒にいたい。僕だって我がままだよ。エリーがそんなふうに言ってくれてむしろうれしい」
 アキの言葉のすべてが私の心を癒していく。
「ごめんね。迷惑ばかりかけて……」
「違う違う。こんな時はね、ありがとうって言うんだよ」
「うぅっ……!」
 自分の気持ちの伝え方も、私は知らない。でも、アキが一つ一つ、教えてくれる。そのことが、こんなにもうれしい。
「ありがとう、アキ。ほんとに、ありがとう……」
 私もアキのために何かしてあげたい。はじめてそんなふうに思えた。
 これがきっと、愛するってことなんだ。私もようやく、心からアキを愛せる。
 ――「こんな私」でも役に立とうという気持ちが持てたわね。ちゃんと成長できたじゃない。
 ずっと蔑んできたもう一人の自分が褒めてくれた。
 ――もうあんたは大丈夫ね。ちゃんと、この心と体に向き合えたんだから。自分を好きになれたんだから。
 ああ、そうか。私は自分が嫌いだった。だから愛し方も知らなかったんだ。でも、今こうして分かった。誰かを愛するって、自分を愛することでもあるんだ。
 ――ごめんね、悠。あなたからもらった愛でそのことに気づけなくて。
 悠は私を認め、包み込んでくれた最初の人だった。けれど、級友から恋人になった彼との、心や体の距離の縮め方が分からなかった。悠に合わせて見よう見まねで恋人らしく振舞ってはみたものの、背伸びをして付き合い続けることが苦しくなってしまったのだった。
 ――あなたの気持ちに応えられなくてごめんなさい。あなたにはもっとふさわしい人がいるはず。だから、これでおしまい。さよなら……。
 ようやく、悠への気持ちに決着(けり)をつけられた……。すっと、気持ちが落ち着く。同時に、これまでの罪悪を告白する時が訪れたのだと覚悟を決める。
「アキに、謝らなきゃいけないことがあるの……」
 言えばきっと傷つけてしまうだろう。でも、こんな気持ちを抱えたまま付き合えるほど私は強くない。
 夜な夜な、悠に抱きしめられ、キスを繰り返していること。それを拒めず、何一つ言い返すことができないでいること。そして、想いを断ち切った今、懺悔の気持ちでいっぱいだということ……。
 アキは黙って聞いていた。唇は真一文字に結ばれている。少しの間、沈黙の時が流れる。
「……歩こう。エリーのうちまでもう少しだ」
 アキは私の手を握った。痛いほど、強く。
 外灯があちらこちらでともり始める。夜が迫っている。
 今夜も悠は来るだろう。そうしたら、今度こそちゃんと別れを告げよう……。これ以上、アキを傷つけないためにも。

下から続きが読めます ↓ (2/13投稿)


いつも最後まで読んでくださって感謝です💖私の気づきや考え方に共感したという方は他の方へどんどんシェア&拡散してください💕たくさんの方に読んでもらうのが何よりのサポートです🥰スキ&コメント&フォローもぜひ💖内気な性格ですが、あなたの突撃は大歓迎😆よろしくお願いします💖