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写真とキモチ

 こんにちは。ひとり暮らしを始めて一か月と半月ほどになりました。大学生のもえです。八月の半ばに引っ越しをし、ひたすらに遊びつくした夏休み。いろんな人に会って、公園や土手で遊んでみたり、街をひたすら歩いて写真を撮ったりしていました。このご時世だからこそ、外遊びをたくさんして楽しかったです。半年たってやっと、大学生になったんだなと感じた時間でした。

  ひとり暮らし楽しい?とか、山村留学で家事は一通りやってたんだし楽勝だね!とか、よく言われます。確かに家事はなんとかなるのですが、楽勝ではないなと思います。寧ろ環境に助けられてなんとか暮らせている感じがする、というのが実感です。今までこんなにひとりでいたことはないので、なんだか新鮮でもあり、寂しくもあり。
 そんな私に寄り添ってくれているのはカメラです。雨が降っていなければ、カメラを持って外に出ます。外に出るのが億劫なときも、写真を撮るためであれば動く気になれて、ちょうどいいです。

  前置きが長くなりましたが、書きたかったのは撮るときの自分の気分によって、出来上がる写真が全く違うなって話。寂しいとき、やる気が出ないときは周りと比べて一際光っているものを追いがち。

1枚目はフィンランドに留学していた時に撮ったもの。多分3週間目くらい。英語もできないし、ファミリーもなんだか慣れないし、友達もいないし、という感じでとても孤独だった。
この頃の写真を見返すと全部明るくて、光写しすぎて白飛び(明るく写しすぎて画面が白くなってしまうこと。この写真も太陽のところが白飛びしている。)してるよ!やりすぎだよ!というものが多い。
2枚目は家の周りを散歩したときに撮ったもの。光がだんだん秋らしくなってきた。

楽しいとき、嬉しいときは楽しい理由となる人やものを撮る(多分これはみんなそう)。

1枚目は友達の家に遊びに行ったとき。高校で出会った彼女たちは幼馴染同士で、同じ空間で本を読んでいようが寝ていようが写真を撮っていようが適度に放っておいてくれる居心地のいい人たち。
2枚目は火鍋を食べに行ったとき。本当は一緒に行った人も写っていて、彼らがとても幸せそうな顔をしている。今回は切りました。


写真を撮ろうとして出掛けたときは、自分だけの視点を探そうとしているかもしれない。レタッチにも力が入る。やりすぎるとなんだか狙い過ぎだな、という感じになります。

どちらも山梨の実家にて。1枚目は家の近くに咲いていた紫陽花。
2枚目は母が山椒の葉っぱを摘んできて、処理しているところ。オイルにつけて、パスタにするととても美味しい。

 写真を撮って、その時の気持ちを記録しておいたら、いつかそれを題材に展示ができるのではないかな、と思うくらい写真に自分の気持ちが影響します。写真をきっかけに、今自分はモヤモヤしてるんだな、と気づいたりしたこともあるくらいです。
 
 いつもいつも自分の気持ちに正直に、真摯にいられるほどしっかりとしていないので、写真に助けられているなぁと。写真だけじゃなく他にも、絵を描いたり、歌を歌ったり、自己表現の方法を増やしていきたいなと思う今日この頃。

2020/9/25 もえ
渋谷駅に向かう電車内にて。

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