冬の全国大会の涙。
みなさんはじめましての人ははじめまして。またお前かの人は今回もどうぞよしなに。いろれふです。
高校2年生の冬、自分は全国大会のピッチに立っていました。
高校生の全国大会?高校選手権?
そうじゃないんですよねえ。
それは全日本少年サッカー大会。
(当時のものを載せておきます)
サッカーをやっている小学生なら誰しもが目指すU-12カテゴリの日本一を決める大会ですね。
んじゃなんでお前高校生なのにいんの?年齢詐称でもした?
年齢詐称はしてないですよ。身長は小学生に抜かれてましたけど。
サッカーに詳しい方や勘のいい方はお気づきでしょうが、自分は審判員としてこの大会に関わっていました。
この全日本少年サッカー大会の審判員は全国の高校生審判員によってグループリーグから決勝まで務められます。
自分が担当したのは第39回大会(2015)
この年は例年の夏・静岡開催から初の冬・鹿児島大会に変更になった大会でした。
集合は12/24の夜。クリスマスイブでした。
まあ別に予定はなかったんですけどね。
男女のカップルが宿泊してる部屋の隣の部屋でいろいろ騒がしくされたのはさすがにキレそうでしたけど。
初日は全体トレーニングで、身体を動かしつつ実践的トレーニングで目も養います。
各県一人ずつの代表の高校生審判47人が決勝の4人を目指す戦いが始まったのです。
この大会はグループリーグに一回ずつ主審を担当し、評価を受けて決勝トーナメントを担当する担当が決まります。
ラウンド16(決勝トーナメント一回戦)はグループリーグ最終戦と同日の午後なので朝のバスに乗る前に決まっていました。
ラウンド16を済ませ、ここからが本番です。
夜に翌日の準々決勝、準決勝が発表され、それ以外の審判員は大会に敗退したフレンドリーマッチの担当です。
当日の朝に県担当にフレンドリーマッチの担当であることを伝え、翌日の決勝へ向け準備します。というのもフレンドリーマッチにはいわゆる「脱落組」と決勝を担当する可能性がある「プール組」が混じっているからです。
自分がプール組であることを祈りつつ試合を担当し、決勝の割り当て発表を待ちます。
夜は懇親会。決勝を残して無事に大会が進められたことの安堵と、決勝への不安がワイワイした雰囲気の中47人全員にうっすらと漂っていました。
懇親会も終わり、決勝4人の発表に移ります。
第四の審判員は...違う。
副審2は...また違う。
副審1の発表も違う。
もしかして..という嫌な予感を感じました。
決勝の4人に自分の名前を呼ばれることはありませんでした。
結果に呆然とし、あまりにも悔しくてホテルの階段で泣きながら県の担当に電話したことを今でもよく覚えてます。
審判員としてここまで悔しさと無力さを感じたことは今もまだありません。
決勝の朝。鴨池陸上競技場(現白波スタジアム)は抜けるような晴天のサッカー日和。
もっともっと強くなると心に誓った2015年の12/29でした。
P.S. 試合を見にきた高円宮妃殿下がとても綺麗でした。あとSPの数がすごいすごい。
ちょこっと映ってますね。
それではまた。
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