他人にサラッと言ってしまう4つの危険な言葉
今回は「批判覚悟」のマキノタイチです。
ですが、批判があっても知りません。
また、メンタルは強くないので、批判がある方は無視してください。
では、さっそく…
人が他人にサラッと言ってしまう4つの危険な言葉があるのですが・・・
ご存じですか?
それらは、けっこう誰もが無意識に言ってしまう言葉です。
また、それらの言葉を口にした本人は「それは正しいこと」という認識を持っています。
実は、それらの言葉とは、数年前、娘の学校(高校)に呼ばれた際に、三者面談の席で担任の先生から言われた言葉で、私自身封じている言葉たちでした。
今回はそれらをシェアします。
◆1つめの言葉◆
「お前1人で生きているんじゃない!」
これを言う人は、一つだけ決定的に忘れていることがあります。
それは、他人というものは、共に成長し協力しあうだけの存在ではないということです。
他人は時に
・あなたに介入してきたり
・あなたを支配しようとしたり
・あなたを操ろうとしたり
・あなたに危害を加えてくる
そんな存在でもあるということです。
また「お前1人で生きているんじゃない!」という言葉には「感謝を強要するような響き」が私には感じられます。
たとえると、孤独を好む人や独りになりたい人に向かって「そんなわがままな考え方じゃ生きてけいないぞ!」と、上から目線で諭(さと)すような響きがあります。
「世の中持ちつ持たれつなんだよ」
という意味も感じられます。
また「今は威勢がいいけど後で弱音を吐くなよ!」という含みもあると思いませんか?
私はこういう言葉を発する人の「鈍感さ」にうんざりします。
そして、自らを「善人である」とする、その「傲慢さ」が大嫌いです。
また、こういうモノのいい方をされると人は素直に心を開きません。
23年間教師をしてきましたが…
絶対に良い結果に結びつかない言葉だし、反感を買われ、嫌われ、恨まれ、陰口を叩かれる言葉です。
なので、私は使うことをお奨めしません。
◆2つめの言葉◆
「お前のためを思って言ってるんだ!」
この言葉は虫ずが走るほど嫌いです。
なぜなら嘘だからです。
この言葉は単に
・言っている自分を守っているだけ
・暗に恩を着せているだけのこと
・愛情を注いでいると勘違いしている
つまり、徹底的に「鈍感」でしかも狡い(こすい)のです。
こうした台詞(せりふ)は、日頃、一般常識的な価値観でガチガチに縛られている人から発せられることが本当に多いです。
その人たちは
「そんな無作法な態度をしてると世間に出てからうまくいかない」
「そんな自分勝手では人とぶつかる」
「今、勉強しなければ後で後悔する」
こんな言葉をよく発します。
ようは
(私の価値観と同じように)お前に変わってもらいたいと力んでいるだけ。
詳しく言うと
・もっと世間並みになり
・世間の掟(おきて)を尊重し
・その枠の中に収まって欲しい
と言いたいのです。
そうでなければ「お前のため」と言っている自分が不安で不安でしかたがない・・・
「お前のため」
という言葉には、これを語る当人も気づいていない、たいへん傲慢な態度が見えます。
つまり、これを語る人は「お前のために」と言ってあげているその相手より、人間として絶対的に上位にいると、無意識に伝えている傲慢さがあるのです。
具体的には
「おまえは低級な人種だから、私が言ってあげなければ幸せにはなれない。そして私は高級な人種だから、おまえなんかの意見を聞く必要はない」
という傲慢さです。
こういう奴に限って
「本当はこんなこと言いたくない、言ってる私も辛いんだ!ただお前から憎まれても、お前のためを思ってこれだけは言っておきたいんだ」
と、ぐぢゅぐぢゅ教え諭しつつ
後から第三者に非難されたら「私は全て善意からしたのだ!」という巧妙な逃げ道を堂々と作っているわけです。
つまり、そいつの自己防衛の醜さと、根性の薄汚さが反発を買ってしまうということです。
気をつけましょう(^_-)-☆
◆3つめの言葉◆
「みんなが嫌な気分になるぞ!」
これもお馴染みのお説教です。
これを語る人は「自分が嫌な気分になること」「自分の子分を嫌な気分にさせること」を、何よりも恐れています。
≪いんちきリーダーシップ≫
とも言います。
たとえば、力のない店長が、スタッフに「ヤル気出せ催眠術」をかけようと必死になっているとき・・・
1人の鈍感なスタッフが、その催眠術を覚ますような振る舞いをしてしまうものなら
「せっかく皆ヤル気でいたのにお前のせいでぶち壊しだ」
ときます。
自分の勝手な都合と感情を「みんなの気持ちなんだぞ」とすり替える詐欺的な天才です。
これは嫌われるリーダーになるための「鉄板のひと言」かもしれません。
まあ、まずオナニー野郎です。
◆4つめの言葉◆
「自分の好きなことが必ず何かあるはず!」
これは、無責任な「教師」や「評論家」が口から出まかせに言う言葉です。
ハッキリ言って「大嘘」です。
「人は誰も必ず何か好きなことが一つはあるはずだ」
というのは、本音を言わせない(大嘘をつかせる)究極の質問です。
例えば、私の好きなことが
・のぞき
・セクハラ
・痴漢
だったらどうでしょう?
「自分の好きなことが必ず何かあるはず!」と言い切った人が求める答えは、こんな答えではいけないのです。
だから、こういう人の言葉への答えは
・社会的に評価されること
・できれば職業と結びつくこと
・世のため人のためになること
こうでなければならないのです。
自由に答えたくても、実はきわめて制限されていて、無理やり優等生に仕立てあげる強要の言葉でしかありません。
その人の好きなことなのに、何でもいいというわけにはいかないのです。
こういう裏舞台がなんともアザトイのですが、そう認めないところが超・狡い(こすい)のです。
◆結局マキノタイチは何を言いたいのか?◆
私が何を言いたいかですが…
・・・よくわかりません。
よくわからないのですが、日ころ思っていたことと感じていたことを書きました。
ただ、このような上から目線の思考が、今の家庭や学校教育にはびこっていて、グローバル社会不適応者を、今後も量産していくことに懸念を感じていることは確かです。
「超バカ」と「超天才」をつくらない1億総平均的国民をつくる日本。
・所得格差も
・社会的格差も
他国とは比較にならないほど、今は感じられないこの日本。
だけど、時代は(新型コロナの影響もあり)大きく動いています。
気付いたときにはすでに遅く「あちゃ~・・・(@_@)」とならないための生きていく力はちゃんとつけておきたいですね。
そう
「本当に自立できる個人力を身につけておかなくてええんかい?」
と、いつも感じているんですね。
P.S.
うちの子どもたちへ
こんな言葉をかけてくる人は
ロクな者じゃない
だから相手にしなくていいよ
で、お前たちもこんな言葉を
言わないように気をつけてな
from パパ
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