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旅立ち


日曜日が終わらない。

世界は相も変わらず平等に日々は巡っているけれど、わたしだけ取り残されたままでいる。

とは言っても、仕事を辞めて、有給休暇を取得しているだけのこと。来週から新しい職場に行く準備をする期間でもある。
何も変わらないようでいて、着実に時間は過ぎていっている。


別れというのは、何度経験しても慣れない。
今回は自ら選んだ別れだったけど、それでも寂しさは変わらないものだ。
学校からの卒業とは違う。
みんな一緒に、せーので手を振って別々の道を歩くわけではない。
今まで同じ道を歩いていた人たちに、背を向けてひとりきりで別の道に踏み出すわけなのだから。

同業他社というわけでもなく、完全な別業界で、わたしはこれから生きていく。
その道を選んだ経緯は機会があれば書くことにするけれど、とにかくこれはわたしの選んだ道。


「退職させていただきます」
上司とふたりきりの会議室。そう告げたとき、「そういうことかぁ」と少し寂しそうに笑っただけで淡々と話は進んだ。
退社日をいつにするか、残っている業務の引き継ぎのこと。
結局、出勤最終日まで事務的な会話しかしなかった。もしかしたら、寂しさを耐えていたのかもしれない、と今なら思う。
必要以上に会話してしまうと、感情の導火線に火がついて想いが溢れてしまうから。

出勤最終日、お世話になった人たちにひとりひとり挨拶をして回った。
わたしは終わりをとても大事に思っている。
出会いはどんな形でもいいけれど、別れは美しいほうがいい。
中にはもう二度と会わない人もいるかもしれない。また会うかもしれない人だって、また会ったときに当時と同じ温度で話せるようにしておきたい。
一度出会った人は、ずっと大切にしておきたいと思うからこそ、別れだけは丁寧に。

一年しか働いていない職場なのに、思った以上にたくさんの人たちに支えられていたことを実感した。
採用の方々は、当時のわたしが面接で話したことを覚えてくれていて、元々やりたかった仕事に就くのだと話したら、別れを惜しみながらも喜んでくれた。
採用の偉い人は、わたしのことを思いがけない拾い物だったといつか話してくれた。
わたしは内定をもらった時期が遅かったから、その時期にはあまりいい子がいなくて、君が来てくれたときは砂利の中から宝石を見つけたような気持ちだったと言ってくれたこと、忘れない。
その人は、とても寂しそうに送り出してくれた。その言葉を裏切るようで後ろめたさはあるけれど、もらった言葉に勇気をもらった。

入社した頃、部署も違うのに悩みを聞いてくれて優しくしてくれた女の先輩は思っていた以上に寂しがってくれたし、すれ違うたびに挨拶をしていたら仲良くなった、かなり偉い地位にいるおじさんは寂しがりながらも新しい仕事を応援してくれた。
同じ部署の、一時期は口もきかなかったくらい仲の悪かった同僚も、わたしが面倒だからと飲みの誘いを断り続けた同期たちも、一緒に悪ふざけばかりしていた先輩も、みんな門出を祝ってくれた。
何度もぶつかった上司も、望んだ職を得られたことを喜んでくれたし、一番仲の良かった同期は祝杯にとシャンパンを開けてくれた。
一時期好きだった、わたしの一番弱っていた時期に支えてくれた先輩は、今度は好きな仕事なのだから頑張りなよ、と背中を押してくれた。
一番お世話になった上司は、誰よりも寂しそうにしていて、がんばったなぁ。よく耐えたなぁ。と言ってくれた。
「一年保つと思わなかったよ」と言われて、「わたしもそう思ってました」と笑った。
一年やってこられたのは、その人の下だったから。わたしが潰れないようにずっと守っていてくれた。なるべく伸び伸びと働けるように、会社のルールや空気から少し離れた場所に置いてくれていた。
それをちゃんと感じとれるくらいに、その人が部下に対して愛情深い人だということを知っている。

たくさんの人たちに支えられて、守られて、わたしは一年間働いてきた。
思っていた以上に、みんなが別れを惜しんでくれて自分の薄情さに辟易としながらも、周りからの愛に涙が出た。

決していい部下ではなかった。
我儘だったし、自分勝手だった。
じゃじゃ馬娘だとよく言われた。
そんなわたしを、大事に守ってくれてありがとう。

こんなことを言えば怒られるかもしれないけれど、いつも賑やかで学校みたいな会社だった。
一年間勤めても、自分の本当の仕事が別にあったから、これがわたしの仕事だという実感が持てないまま学生時代の延長のような気持ちで過ごしてしまった。
もちろん与えられた仕事はちゃんと全うしたけれど、本来の仕事ではないという気持ちがずっとどこかにあって、心の底から打ち込むことはできないままだった。

モラトリアムの延長みたいな一年間。

だけど、今度こそモラトリアムはおしまい。
優しさに守られていた、あたたかい毛布の中から抜け出して、たったひとりで新しい場所へ行かなきゃいけない。

わたしはいつも、周りの人に恵まれている。
小学生から大学まで、いつも大切な友達と恩師と呼べる人がいて。
バイト先にも就職先にも、尊敬できる上司と仲間がいてくれた。
だから、根拠がなくても信じられる。
わたしはいつも周りに恵まれているから、次の職場でもきっと素敵な人たちに出会える。



ひとりきりの旅立ち。
それはわたしの選んだ道。

出会ってきた全ての人たちに、感謝を。