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映画『手』前編視聴感想

映画『手』、クラウドファンディング支援者向けの前編動画を視聴した感想となります。

自分は忘れていた。
いつも馬鹿やって陽気に笑う男が、その胸に野心と暴力性を抱え続けて来たことを。
そしてその男が出たがりだったことを。
大きな声で饒舌に語る男は、本来地獄の底から空を見上げて届かぬ叫びをあげていたことを。
そしてその男がウルヴァリンの爪付けてはしゃぐタイプの中二心をまだ持っていることを。

時代に取り残され時が止まったような、廃屋と言って差し支えない住処で主人公の小暮修は無為に日々を過ごしていた。
そこに現れた暴力を纏う過去。
刑務所帰りの男、乾によって時は動き出す。
取り返しのつかない方向へと。
底辺と思っていた場所よりもさらに堕ちる先があった。
その深き澱みの中で汚泥に塗れた修は何を失い、何を手にするのか。

昼日中のシーンですら薄暗くどこか冷たい映像だが、その奥底には間違いなくふつふつと湧き上がる熱い何かが爆発する時を今か今かと待ちわびている。
目を背けたくなるようなどうしようもない現実、その先に突如現れる目を疑う非現実。
続きを見なければ感情を整理することができない作品だ。

前編での小暮修という男は主人公と呼んでいいのか迷う程に何の行動も起こさない。
ただ流されて生きているだけだ。
いや、もはやその心は生きる事すらも惰性であるのかもしれない。
だが彼は少しずつ変わっていく。
冷え切った体(こころ)を抱いてくれる手を見つけて。
少しずつ変わっていってしまう。
その優しさすらも握りつぶしてしまうかもしれない「手」を身に着けて。
ひたすら自身を襲う暴力に翻弄され続けた男は、自らに宿った暴力にすら振り回される。

そんな修を演者である福谷孝宏は自己投影であると言う。
目標を見失いつつあった日々の中で、再び歩き出すために原点となる「好きな映画が撮りたい」という想いに手を伸ばした。
そして実生活でも彼は自分を支えてくれる手を見出した。
心を解かすかけがえのない温もりや、頼もしく担ぎ上げる腕を。

しかしまだ足りないのだ。
前編だけの小暮修も、現時点の福谷孝宏も今はまだ何者でもない。
彼に力を与えようとする夏目大一朗さえも。
何者にもなれなかった男たちが今度こそはと天に伸ばす手は弱々しい人の手ではダメなのだ。
人知を超えたモノでなければ。
だからこそ、この「手」を高く掲げたのだ。

その手を掴み高みへ引き上げるのはみなさんの支援かもしれない。
一緒に見届けてみませんか、何者かが生まれる瞬間を。

クラウドファンディング:映画『手』完全版制作応援プロジェクト
https://camp-fire.jp/projects/view/502428
CAMPFIREで実施中のクラウドファンディングで1000円の支援から制作済みの前編を視聴することができます。
良ければご覧になった上で完全版制作のために追加支援をご考慮ください。

前編の冒頭は無料公開もされています。
映画「手」特報
https://www.youtube.com/watch?v=08b36gUkYg4

映画『手』特報第2弾
https://vimeo.com/589133765

映画『手』(前編)冒頭8分51秒

https://www.youtube.com/watch?v=FJFahOkjivc

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