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「あったらいいな」をつくるのが僕たちの仕事。〜対談:阿部友彦/やきとり職人(前編)

正直、若い頃は、大塚という街があまり好きではありませんでした。でも、実はすごく可能性を秘めた街。そこに「あったらいいな」をつくっていくことで、どんどん魅力的になるポテンシャルがあると思っています。

駅の北口を出たところにビル「ba05」を新築するにあたって、その最上階には何が「あったらいいかな」と考えたとき、お寿司屋さんなど、様々な候補も挙がってはいたものの、最終的には万人に愛され、カジュアルに楽しんでいただける焼鳥屋さんがいいんじゃないかという結論に至りました。

そこで、以前、お話させていた大塚変革のキーパーソンであり、僕自身が大変お世話になっているブランディングディレクターのKさんからご紹介いただいたのが、焼鳥職人、阿部友彦さんです。

「焼鳥職人はたくさんいるけれど、まっすぐな人柄で清潔感がある人だから、武藤さんと相性がいいはず」というのが、推薦理由でした。

実際お会いしてみると、Kさんがおっしゃるとおりの印象の方。また、1本1本炭火で焼く焼鳥も異次元のおいしさ。「ぜひ、大塚で“焼き”の世界の頂点に君臨して欲しい!」ということで、「ba05」への出店をお願いしました。

※以下、撮影時のみマスクを外しております。

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【阿部友彦さんプロフィール】
1984年生まれ、新潟県出身。元々はイタリアン・レストランのシェフだったが、28歳の時、目黒の名店「鳥しき」の門を叩き、修業。2016年に独立し、目黒に「やきとり阿部」をオープン。2020年、港区白金に2店舗目「やきとり 陽火(はるか)」を、2021年7月、JR大塚駅北口 ba05 8階に3店舗目となる「やきとり 結火(むすび)」グランドオープン。

武藤 「僕は、阿部さんのことを日本一の焼鳥職人だと思っていますが、まさかオープン直後からこれほどの人気店になるとは……正直、驚いてます」

阿部 「おかげさまで毎日、ほぼ満席で」

武藤 「ぶっちゃけ、誘致の話はほかにもあったと思うのですが、なぜ、うちを選んでくれたんですか?」

阿部 「ほかの方は新規出店というと、まず、お金や数字の話から始まるんです。ところが武藤さんは、街の話から始められたのが印象的でした。“お金は後からついてくる”というスタンス。そこに惹かれたというのはありますね」

武藤 「出店を決めていただいて以降、前出のブランディングディレクターのKさん、隈研吾さんの事務所出身で店舗設計をされた白浜誠さんとミーティングを重ねました。『色即是空』などの仏教用語も飛び交うなど、概念的な話も多くて面食らいませんでした?」

阿部 「これまで飲食の世界だけで生きてきた僕には初めての経験で、気づかされることも多かったです。白浜さんの細部へのこだわりもすごかった! 感覚ではなくロジックで説明してくださって、わかりやすかったです。完成したお店もかっこよくて」

武藤 「内装は阿部さんの凛とした佇まいに合わせて、お寺のイメージにしましたからね。障子に見立てた仕切りがあったり、エントランスから客席へは段差を付けたり・・・五感で、仏教的な第六感を意識してもらえるような感じで

阿部 「おかげさまでお客さまにも好評です」

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白浜誠氏設計による、「やきとり結火」店内

武藤 「ところで、阿部さんは新潟のご出身とのことですが、子供の頃から料理の道を目指されていたんですか?」

阿部 「実家は新潟の柏崎で、山あり海あり、食が豊かで魚も野菜もおいしいところで。祖母や母を手伝って玉ねぎを刻んだりとか、よくしていました。勉強は中の上くらい、部活は軟式テニス部で。中学の頃、家に遊びにきた友だちに、おやつがわりにチャーハンをつくって、『うめーじゃん』と言われたことが記憶に残っています」

武藤 「すごい!男子中学生で友だちに手料理をふるまえる子、なかなかいないと思います。やっぱり、その頃から料理が上手だったんですね」

阿部 「ですかね(笑)。中学の後半には料理人になると決めていました。でも、その頃のイメージは山高のコック帽で、洋食に憧れていたんです」

武藤 「今のお姿からは想像つかないですけど、スタートは洋食なんですよね」

阿部 「当時流行っていたテレビ番組『料理の鉄人』で見た料理人のイメージですね。それで上京して調理師専門学校を出た後は、当時、銀座にあってフレンチをベースにしたフュージョン料理の名店『キハチ』で働かせていただきました。でも、2年で辞めて」

武藤 「なんと。辞めた理由を聞いてもいいですか?」

阿部 「とにかくキツかったです。自分は朝から晩まで働いてクタクタなのに、周りの友人は大学生活を謳歌しているのが羨ましくなったりして。その後はしばらくフリーターをやってました

武藤 「ちょっと意外な展開です。フリーター時代は、どんなところで働いていたんですか?」

阿部 「チェーン系居酒屋にはじまり、色々やりましたけど、中でもグローバルダイニングが運営するカフェ ラ・ボエムでホールを担当したのは貴重な経験でしたね」

武藤 「と、いうと?」

阿部 「カジュアルではあるものの、お客さまに言われたことに対して“絶対NOと言わない”という社訓があったり、サービスの本質をそこで掴んだように思います。昇給や異動が自己申告制で、主体的に考えて動くようにもなりました」

武藤 「そこでの経験が、今に活かされているんですね。その後はイタリアンでシェフもされてますよね?」

阿部 「新潟時代の友人が赤羽に店を出すというので、そこの料理長兼取締役に就任しました。おしゃれな内装のお店で、それなりにやりがいもあったのですが、27歳になってふと、自分が50歳、60歳になったとき何をしてるんだろう? という疑問が湧いてきて」

武藤「30歳を目前に、悩む時期ですね」

阿部 「はい、自分を見つめ直すことになったんです。それで会社を辞めて、福島にボランティアに行ったりするうちに、焼鳥という選択肢にたどり着いたんです」

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武藤 「なぜ、焼鳥だったんですか?」

阿部 「まず、お客さまと対話しながら料理をしたいという考えがありました。カウンター越しに提供する料理として寿司、天ぷらも考えたのですが、独立するには焼鳥が一番、早いのかなと思ったんです。それで当時、ミシュランで星を獲っていて日本一と言われていた『鳥しき』に予約を入れて、食べに行きました」

武藤 「実際体験してみて、どうでしたか?」

阿部 「これまで知っている焼鳥とはまるで違っていて、衝撃を受けました。カウンター席で、丁寧に焼かれた串が1本ずつ出てくる。化粧室から戻ったら、サッとおしぼりを出される」

武藤 「若い頃焼鳥といえば、居酒屋でとりあえず頼む盛り合わせとかですもんね」

阿部 「そんなイメージを覆されました。大将がバサバサと団扇であおぐ音も心地よいBGMになっていて、これだ! と。その場で弟子入りを申し込んで、翌日面接をしてもらいました」

武藤 「それで受かったんですね?」

阿部 「実は・・落とされかけたんです。フリーターの職歴が長かったせいで、続かないんじゃないかと思われ・・。ですが、『いい意味で期待を裏切りたい。頑張りますのでお願いします!』と頼み込んで、採用してもらいました」

武藤 「危なかったですね(笑)。でも、そこで見事に修業を終えて、3年で独立されたわけですから。すごいスピード出世ですよね」

阿部 「ただ、最初に親方に『3年で独立したい』と言ったら、ムリだよと言われて。親方は修業時代には半年間、肉に触らせてもらえなかったというので」

武藤 「厳しい世界なんですね」

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阿部 「ところが1年目に転機が訪れるんです。親方が支店を出すことになったんですが、先輩が辞退して僕が任されることになって。それですぐに焼鳥の練習もさせてもらって、半年間で焼けるようにしてもらって」

武藤 「おお、急展開!」

阿部 「『ガルス』という店の料理長をやらせてもらうことになりました。ただ、そこは焼鳥メインではなく、唐揚げや水炊き、サラダなどもある鳥料理店という触れ込みだったんです。でも、お客さまからはやっぱり焼鳥のご要望が多くて、3年かけて焼鳥メインに変えていったんです」

武藤 「そこで独立されたんですか?」

阿部 「独立したいから、後釜を育てたいと申し出ましたが、親方からは『まだ早い』と」

武藤 「それは悶々としますよね」

阿部 「はい。そのときはギラついてましたからね(笑)。自分を過信している部分もあったでしょうし、それを見抜かれていたのかもしれません。ですが、その後、後釜も見つからず。結局、『お客さんもあなたについているし、この店をそのまま使ってくれるなら』という親方のご厚意で、店を買い取らせてもらったんです」

武藤 「それが目黒の『やきとり 阿部』なんですね」

阿部 「はい、32歳でようやくスタートを切ることができました」

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次回は、対談の後編をお届けします。紆余曲折を経て、ご自身の店をオープンされた阿部さんが、焼鳥の世界で目指すものとは?

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編集協力:寺尾妙子

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