「まちづくり」というマジックワードへの違和感 ~僕が「大塚」で目指すべきもの~
うつをきっかけに山口不動産に入社し、訴訟や融資を巡るトラブルという修羅場を乗り越えた経験が、「主体的に生きる」意味を教えてくれ、僕を目覚めさせてくれたーー。
そんな僕の挫折や変化を、前回(6話)までで書きました。読んでくださった方は、僕の人生と大塚が、深く結びついていることを知っていただけたかと思います。
戦前より大塚に根を張る小さな不動産会社が、想いを持って大塚を変えようとしていることが、少しでも伝わっていたらうれしいです。
今回は、僕が考える「まちづくり」について書いてみます。
「まちづくり」が多用される違和感
このnoteの連載タイトルに『僕は、まちづくりなんてしてない』とありますが、大塚を変えていこうとしている「ironowa ba project」を説明するとき、「まちづくりをしている」という言葉を、あえて自分たちからは発信していません。
なぜなら、「まちづくり」とは、その「まち」に暮らす人や、その「まち」でお店やサービスを営む人、訪れた人たちと共創していくもの、つまり、主役はその「まち」の人々のはずだから。
なので、「まちづくりをしている」と僕らが言うのは、エゴが強すぎる気がするのです。
加えて、「まちづくり」というワードは、今やあらゆるところで耳にするようになりました。
「まちづくり」を英訳すると、「town management」。日本語で「まちづくり」と呼ばれているものは、その規模も予算もアプローチも幅広いです。
大手ディベロッパーや鉄道会社が、莫大な資金を投下して駅前の土地を仕入れて開発し、オフィスや商業施設、マンションなどの大規模な複合施設をつくるのも「まちづくり」。
かたや、土地を所有しない事業会社やNPO法人などが、古い建物が立ち並ぶエリアの不動産オーナーや自治体と手を組んでリノベーションを行い、地域住民の交流の場をつくるのも「まちづくり」。
いずれの場合も、そこに暮らすひとを幸せにする、素敵なプロジェクトはいくつもあります。
一方で、昔ながらの街並みをつぶして作られた商業施設に行ってみたら、どこかで見たことあるようなテナントばかりが並んでいたり、あるいは、まるで文化祭を瞬間的に楽しむような文脈で「まちづくり」を語られたり。
そんな場面に出くわすと、何でもかんでも「まちづくり」というワードで一括りにされることに強い違和感を覚えます。
本気でまちを開発をしてきた先達たちをリスペクトしているからこそ、僕は「まちづくり」という言葉を、解像度高く使うべきだと考えています。
大手ディベロッパーをはじめ、「まちづくり」を事業として標榜する会社は数多ありますが、僕がリスペクトしてやまない会社は2つ。それが「森ビル」と「立飛ホールディングス」です。
森ビル・森稔さんのスピリッツ~六本木ヒルズ~
およそ50年前、森ビルの2代目社長で、実質的創業者である故森稔さんを中心に、戦後の復興や東京オリンピックの整備計画から取り残された赤坂六本木一帯の大規模再開発が計画されました。
それから19年という長い歳月を費やして完成したのが、赤坂一丁目と六本木一丁目にまたがるアークヒルズ。
次いで1986年より着手されたのが、六本木六丁目一帯の開発―後の六本木ヒルズです。
森ビルがもともと六本木周辺に所有していた土地は、ごく一部にすぎませんでした。住民からは「よそ者が踏み込んできた」と猛反発を受けながらも、空き家となれば社員を住まわせたり、イベントを主催したり、さらにコミュニティ誌を自社で刊行したりと、地道な対話を重ねました。
実に17年にわたって住民とともに汗を流し、そこに暮らす人々との共同開発を目指したのです。
こうした粘り強い対話と交渉を積み重ねた結果、かつて木造家屋が密集していたまちは、住宅棟と文化施設、オフィス棟とホテルという超高層都市へと生まれ変わりました。
地区内の権利者が数百に及ぶなか、1軒1軒立ち退き交渉や売買の価格交渉をまとめ、複雑な権利関係を調整し、この開発を成し遂げたのかと思うと、その途方もなさにおののきます。
さらに特筆すべきは、六本木ヒルズの最上階に、森美術館を置いたこと。最も高い賃料が取れるはずであろう最上階を美術館にしてしまう独創性とその懐の深さは、アートへのリスペクトや、文化を育むまちを作ろうという熱い想いがなくては生まれません。
六本木が「文化都心」としての魅力を保ち、森ビルが森ビルたる所以だと感嘆します。
現代アートをテーマにした森美術館が最上階にあることで、「文化都心」というコンセプトが視覚化され、まちはブランドになりました。
確固たる信念のもと様々なプロジェクトに取り組む森ビルを参考に、まちづくりを試みる総合ディベロッパーはたくさんありますが、六本木ヒルズに続く表参道ヒルズや虎ノ門ヒルズの開発を見ると、その圧倒的な魅力作りは、僕が思うに唯一無二。
経済だけで文化がない都市には、人は惹きつけられない。
森ビルの社員さんたちには、そんな森稔さんのスピリッツが今でも受け継がれているように思います。
立飛ホールディングスの覚悟~GREEN SPRINGS~
僕がリスペクトするまちづくりの2つ目は、東京都立川市に本社を置く、立飛ホールディングスが手がける「グリーンスプリングス(GREEN SPRINGS)」です。
立飛は、テレビCMでよく目にするようなメジャーな不動産会社ではありませんが、立川市のおよそ25分の1にあたる約98万㎡の土地を所有し、「ららぽーと立川立飛」や、日本最大級のビーチBBQ場「タチヒビーチ」を協業開発した、知る人ぞ知る企業かもしれません。
そんな立飛が一躍脚光を浴びたのが、2020年4月に立川駅北側に開業した「グリーンスプリングス」。
「空と大地と人がつながる”ウェルビーイングタウン”」をコンセプトに、緑と水を贅沢に使った広場、商業施設や飲食店、ホテルなどがそろっています。
よくある商業施設かと思いきや、至るところセンス良く作り込まれており、さらに24時間365日休めないホテルの運営まで自社でやっているところに、その覚悟が表れています。
圧巻なのは、屋上にある全長60mに及ぶ温水プール「インフィニティプール」。目の前に広大で緑豊かな昭和記念公園、晴れた日は遠くに富士山を望む光景は息を呑むほどです。
今年の1月、青梅の澤乃井酒造で社長を務めている従兄弟と2人で泊まりに行きましたが、東京都心部の5つ星ホテルと大差ない価格設定にも、納得できるサービスでした。
つい先日、立飛の村山社長にもお会いしましたが、その圧倒的な器の大きさ、人を喜ばせようとする情熱をひしひしと感じました。
自社の利益追求を最優先に考えたら、こんな施設を作るはずがありません。立川を愛する人とともに立川を盛り上げていく、という並々ならぬ思い入れがグリーンスプリングスに表れています。
魅力あるまちづくりに不可欠な「三つの要素」
職業病かもしれませんが、僕は商業施設を訪れるとき、トイレやエレベーターをチェックする癖があります。ぼんやりとしばしの時を過ごす、その空間をどうデザインしているか。
「神は細部に宿る」と言いますが、トイレのデザインには、その場所で「どう過ごして欲しいか」「どう感じて欲しいか」という企業の姿勢が表れていると思っています。
そこに、人々を喜ばせるという視点があるかどうか。
壁や床の質感にまでこだわられたトイレ。季節の花が飾られたエレベーター。六本木ヒルズも、グリーンスプリングスも当然ながら、清掃のしやすさや効率といったビルオーナー目線だけではない、訪れたひとの心がほっと安らぐ空間づくりを徹底しているのです。
ヒルズやグリーンスプリングスの好例から考えるに、魅力あるまちづくりには、「資本」・「長期的プロデュース」・「愛」の三つの要素が欠かせないと思います。
「まちづくり」に資本が必要なのは言うまでもありませんが、「まち」を変えていく過程には、関わる人それぞれの人生が複雑に絡み合い、多くの時間を要します。短期的視点で見ていては、きっと魅力ある「まち」にはならない。
だからこそ僕は、自社の利益追求だけでなく、長い歳月をかけて、「愛」をもってまちを良くしようとする取り組みこそ、本質的な意味で「まちづくり」と呼びたい。そして、ここ大塚でも目指していきたい、と思うのです。
まちづくりの「リーダー」は、映画の「プロデューサー」
六本木の再開発に熱量を注いだ森ビル、立川のイメージを変えて郊外と都心の人の流れすら変えようとしている立飛。前述の3つの要素に加えて、この2社が持つ特異な共通点。
おそらくそれは、前例がないことに長い年月をかけて挑戦し続けた、森稔さん、村山正道さんという、「リーダー」の存在です。
まちづくりに必要なのは、そのまちの中心にテーマという太い1本の軸を通す人。中長期的に、そのまちに「愛」をもってコミットしている存在ともいえます。
そんな2人の大先輩に自分が肩を並べるには当然まだまだ至らないのですが、まちに対する想いや熱量だけは、負けないようにしなければ、と思っています。
森稔さんは、「まちづくりは映画づくりに似ている」とおっしゃっていました(*)。
「プロデューサー」が多彩な才能や資金を集め、協働して1つの作品を創り上げて、観客に楽しみや感動、メッセージを伝える点は、まさに大人数が関わる映画制作だと。
*…出典:『ヒルズ 挑戦する都市』朝日新書
僕もようやく今、森稔さんの「映画づくり」という喩えが理解できるようになりました。まちづくりとは、共同して一つの作品を作り上げること。
僕には、ブランディングディレクターKさんのようにクリエイティブなセンスに長けている訳ではないし、星野リゾートさんのように日本全国に広く知られ、憧れられる知名度やブランド力がある訳でもない。
でもそのかわりに、先祖が残してくれた土地が幾ばくか大塚にある。
サイエンスとアートのバランスを上手く保ちながら、変革していく大塚を一緒に良くしたい!と思ってくれる人たちに呼びかけて、お互いの才能をこの舞台に持ってきてもらう。
そして、この街に来たら、なんだかワクワクして体温が上がる。そんなカラフルでユニークな「大塚」を、ここに集ってくれる人たちとともに作っていこうと思います。
次回は、そんな才能ある人たちのひとり、ironowa ba projectに加わってくれた「世界一の靴みがき職人・長谷川裕也氏」との対談を公開します。
大塚のまちをカラフルに、ユニークに
大塚が変わるプロジェクト「ironowa ba project(いろのわ・ビーエー・プロジェクト)とは?(▼)
編集協力/コルクラボギルド(文・平山ゆりの、編集・頼母木俊輔)
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