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SS【とりもどした笑顔】


ぼくは久しぶりに図書館へやってきた。

本は好きだが図書館で読むのは数年ぶりだ。

かなりの蔵書のあるここなら掘り出し物が見つかるかもしれない。

有名なものは後からでも見つけられるが、そこまで伸びなかったものはネットでも入手困難な時がある。


ここに来たぼくの目的は別にある。

先日通信制大学を卒業し、司書として働き出した娘の偵察だ。単位を取れるかヒヤヒヤものだったが、なんとかなったらしい。

偵察に来るのは三度目で、小さな知り合いもできた。

その子は小学五年生になったばかりの女の子で、いつも自己啓発コーナーにいる。

ぼくはといえば中学生の時に好んで読んだ有名な海外作家の推理小説を読んでいる。

どちらかというと子供向けで字も大きく、借りていかなくても一回の滞在で読み切ることができる。


壁際の椅子に座り集中して読むぼくは、その女の子の視線を感じた。

横を見るとぼくの読む本に興味があるような顔をしている。

「こんにちは」と挨拶すると、笑顔で「こんにちは」とすぐに返ってきた。

彼女の顔立ちがそう見せるのか、周囲を本棚が埋め尽くす独特の雰囲気がそう見せるのかは分からない。彼女は知的なオーラを放ちながらも、その笑顔はどこか感情を殺しているようにも感じられた。

ぼくは読んでいた本を少し持ち上げて言った。


「あ、もしかしてこの本読みたかった?」


「いえ、その本、学校の図書室にあるなって思って」


「ああ、そうなんだ。君は何読んでるの?」


彼女が見せた本の表紙を見て、ぼくは心底驚いた。

以前ぼくが読んだことのある自己啓発本で、豊かな人生を送るために実践すべき考え方と習慣が書かれた本だった。

かなり分厚い本で六百ページは超えている。とても学びになる本だが、小学生がこれを読んでいるのには驚いた。

漫画を取り入れながら分かりやすく簡略化した本もあるというのに、あえて分厚い本を選んでいることに驚いた。


「ぼくも読んだよ。その本、漫画版もあるよね」


「はい。学校で漫画の方は読んだので、今度はこっちを読もうかと思って」


ぼくはそれから月に一度か二度くらいのペースで図書館を訪れ、その度に彼女と少しだけ本の話をした。ぼくが彼女に小説を薦めたこともあった。


そんなある日、座って本を読んでいたぼくの横にやってきた彼女は、無言で四つ折りにしたメモ用紙を、ぼくの前のテーブルの上に置いて足早に去っていった。


意味が分からず「え? え?」っとなるも、すでに彼女の姿は見えない。

メモ用紙には鉛筆でこう書かれていた。


(小説のおすすめありがとうございました。おもしろくて二回読みました)


その下には意味不明の文が書かれている。


をうすださたけくぎていけいたすまいくてゃ


最後に彼女のフルネームが書かれていた。


ぼくはこれが直接は言いにくい何かのメッセージだと悟った。それも重要なメッセージだと。

そうでなければフルネームは記さない。


ぼくが薦めた本を二回も読んだと書いてある。

単純におもしろくて読んだだけともとれるが、本のことを強調したかったともとれる。

彼女は賢い子だ、何か意味がある。


ぼくはその夜、彼女に薦めた本を読んだ。

それは学生向けの読みやすい推理小説で、還暦を迎えた元体操選手で弁護士の主人公の男が、その身軽さと知識を使って、未解決事件を次々と解決に導くストーリーだ。

ぼくは読んでいくうちに、すぐにヒントになる単語を見つけた。


「なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだ」


ぼくは少し悔やみながらも、例の暗号を解読した。

彼女がどこか感情を殺しているように見えた理由も分かった。


ヒントになった単語とはアナグラム。


ぼくの薦めた小説には死に際の被害者が、特定の人にだけわかるメッセージをアナグラムで残した場面が出てくる。


ぼくはもう一度、彼女の書いた意味不明な文字を見た。


をうすださたけくぎていけいたすまいくてゃ


そして文になるように文字を並べ替えるとこうなる。


ぎゃくたいをうけていますたすけてください


ぼくは翌日の朝一番に児童相談所に通報した。

それからしばらくの間、彼女が来そうな時間に図書館を訪れたが、彼女は姿を見せなかった。



数ヶ月経ったある日、ぼくの家に一通の手紙が送られてきた。

その中に入っていた一枚の写真を見て、ぼくは嬉しさで涙がこぼれた。

そこには児童養護施設の友人とともに写る、感情を殺さず、心から笑っている彼女の姿があった。


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