SS【不思議な黒ぶちメガネ】
正(ただし)はやっとの思いで忙しかった五連勤を乗り切った。
行きつけのうどん屋で夕食をすませ、スーパーで週末に飲む酒を買い込んだ。
車の後部座席に酒を積み込んでから運転席へ乗り込もうとする正の耳に、隣の車に買った荷物を積みこもうとしているパッと見姉妹にも見える母娘の会話が入ってきた。
「ねえ、うどん屋の隣のリサイクルショップさ、今日で閉店らしいよ。最後の売り尽くしセールやってるって」
「閉店セールなんて年中やってるよ」
「違うって。今日で最後なんだよ。店の前に閉店のお知らせって貼り紙してあって、長らくのご愛顧まことにありがとうございましたって書いてあるみたい」
「あら、ほんとに? 行ってみる?」
先ほどまで居たうどん屋の隣の店のことだと正は思った。
その店は昔、娘の子供服を見にいったくらいだ。
最近はネットで買い物をする人が増えたせいか、昔から見ると客足は少ないのだろう。
本当の閉店セールならおいしいかもと、正はふたたびうどん屋の方へ車を走らせた。
店内に入ると、よほどお買い得なのか大きめの電化製品や、両手いっぱいに服を抱えた人たちの姿が見えた。
ぐるっと店内を見てまわり、正はアンティーク調の本棚が少し気になったが、よく見ると予約済みの札がつけてあった。
小物雑貨コーナーの横を通った時、一つだけ異質な空気をまとうアイテムがまぎれていることに気づく。
黒ぶちメガネだ。
しかもなぜかレンズが無い。
手に取って見ると、フレームの内側にレンズを納める溝も無い。
完全に飾りというわけなのだろうか。
正はメガネに不思議な魅力を感じた。
気がつくと何かに引き寄せられるようにメガネをかけていた。
なんてことはない。
レンズの無いただの黒ぶちメガネだ。
当たり前だが、見える景色だってメガネをかけていない時と変わりはしない。店の入り口の方に置かれた商品のソファーに、赤い帽子をかぶった小さな男の子が座っている。
男の子は足を交互にブラブラさせてソファーにバンバンとかかとを当てている。
困った坊やだと正は思った。
黒ぶちメガネには五十円の値札が貼られていた。
メガネを棚に戻し、これは最後まで売れ残りそうだなと正は思った。
帰ろうと店の入り口へ向かって歩き出した正は、妙な違和感を感じた。
ちょっと前まで入り口のソファーに座っていた赤い帽子の男の子が居ない。
正が男の子から目を離したのは十秒足らず。
正は小声でつぶやいた。
「いや、待てよ・・・・・・。メガネを外した瞬間に居なくなった?」
正はもう一度、棚の上のメガネを取ってかけた。
赤い帽子の男の子は足をブラブラさせるのをやめ、正の方をジッと見ている。
もう一度メガネを外すと、案の定男の子は消えた。
正は黒ぶちメガネを購入して店を出た。
一度帰宅してから、黒ぶちメガネをかけて徒歩で駅の方へ向かった。
途中、近くの高層マンションから飛び降りる人の姿が見えた。
正が慌てて駆けつけると、ちょっと前に道路に叩きつけられたであろう中年男性は、何事もなかったかのように立ち上がり無表情でマンションの中へ入っていった。
しばらくあぜんとして立ち尽くして考える正の目の前に、先ほどの中年男性がまた空から落ちてきた。
正は心臓が止まりそうなほど驚いたが、メガネを外すと道路で倒れた中年男性の姿は消えてしまった。
周囲を歩いている人たちも、まったく見えていないのか何事も無かったかのように通り過ぎていく。
正は確信した。
すでに亡くなったけど、何らかの理由でこの世に残っている人が、このメガネを通しては見えるのだと。
メガネをかけて少しすると、中年男性は起き上がり、ふたたびマンションの中へ入っていった。
「死ねないから何度も何度も試しているんだよ」
突如背後から声が聞こえた。
振り返ると、先ほどリサイクルショップに居た男の子の姿があった。
正は呼吸を整えてから言った。
「ぼくは正。君の名は?」
「ぼくは勝(まさる)」
「勝くんはどうしてあの店に居たんだい?」
「おじさんを待ってたんだよ」
「ぼくをかい?」
「うん。ほら、さっきの人みたいに永遠と自殺を繰り返したり、未練を残してさまよい続ける人を説得してほしいんだよ。でね、ぼくは彼らと交渉できる人を探していたのさ。メガネの力を活かせる生きている人をね」
正はしばらく考えてからこう返した。
「おじさんも忙しいからさ。週末の空いた時間とか、たまにでもいいかい?」
「それでいいよ」
こうして正の交渉人としてのボランティアが始まった。
男の子は見た目こそ小さな可愛い男の子だが、実はあの世でもかなりの地位の人だと後になって知ることとなる。
正はのちに成仏できない霊との交渉人として、富と名声を得ることとなる。
終
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