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SS【夢仙人】

悟(さとる)は一年に一度あるかないかの貴重な夢を見ていた。


鳥のように、からだ一つで自由に空を飛ぶ夢だ。


両手をまっすぐ横へ伸ばし、つま先を伸ばせば鳥のように自由に空を飛ぶことができた。


伸ばしたつま先を戻すと減速する。


腕の位置を変えることで方向転換することもできた。



季節は日中でも少し肌寒くなる頃。

雲はやや多いが雨雲ではない。

風はやや追い風。




もうすぐ夢から覚める。


これは夢だと気づいた瞬間、夢の世界は一気に無機質なものへと変化して現実世界へ戻される。


それが空を自由に飛びまわるような爽快な夢なら実に名残惜しい。


悟は残念に感じたが、まあいいかとも思った。


いつもほど眠気が強くなく、今朝の目覚めは悪くない感じだったからだ。


悟の記憶では、過去に片手くらいしか夢の中で空を飛んでいない。

ぜんぜんスピードが出なくて歯がゆい思いをした時もあった。


今回は飛行時間、天候、コントロール、スピード、どれをとってもそれなりに満足のいく体験だった。


欲を言えば飛行時間がもっと欲しかったくらい。




夕方になり職場から歩いて帰路につく悟。


その日は比較的仕事もうまくいき、明日が休みということもあり気分も良かった。


いつものように駅の裏口から正面へ抜けると、大きな丸い柱に背をもたれかけて座るお爺さんの姿が見えた。


ここを通る時はよく見かける。

お爺さんの定位置なのだろう。


座る時はいつも、緑のリュックを前に抱え、自分の前に缶詰の空き缶を置いている。


その中に誰かが入れていったであろう小銭が入っていることもあった。



悟は今日もお爺さんの前を通り過ぎようとしていた。


悟の前を歩いていた四十代くらいの品の良さそうな女性が、急に周りをキョロキョロしたあと、方向転換してお爺さんの方へ近づき、お札を缶詰の缶へ押し込んだ。


お爺さんは「ありがとう」とお礼を言って笑顔で頭を下げた。


女性は笑顔で返し去っていった。


朝からずっと調子の良かった悟は女性の行動に後押しされ、財布の中から五百円玉を三枚つかんで缶詰の缶の中へそっと入れた。


お爺さんは頭を下げたあと、立ち去ろうとする悟へ声をかけてきた。


「自由になりたいなら羽ばたくのをやめたらだめだよ」


え? っと思って振り返る悟に対し、お爺さんは話を続けた。


「誰よりも自由に飛んでいるように見える鳥はね、誰よりも翼を動かしているものさ」


悟は「はあ・・・」とだけ答えて少し苦笑いを浮かべた。



悟は、あの人は何を言っているのだろうと、その時は思っていた。


しかしその日の夜。そろそろ眠りにつこうかと明かりを消し横になった時だ。

悟が今している仕事に対し何か違うという思いと、昨日見た空を飛ぶ夢、そしてお爺さんの言葉が奇妙にシンクロして一つにつながった気がした。

「まだ飛べるかな・・・・・・。」

悟はそっとまぶたを閉じて、夢の世界へ飛び立っていった。


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