見出し画像

作品に罪は無いの嘘

「作品には罪は無い」という言葉、皆さんも耳にしたことがあるでしょう。

そこで皆さんにお聞きします。
作品に携わった出演者やスタッフが、犯罪に加担したり、薬物の使用したり、不倫をしたり、ハラスメント行為をしたり、モラルに反するようなことをしたときに「作品を非公開にしてお蔵入りにする」「作品には罪は無いということで、これまでと変わらず作品を楽しめる」「お蔵にはしなくて良いけど、今後観ること聴くことは無い」の、どれ派でしょうか?

私自身は制作側の人間なので、その作品を作るにあたって、どれだけたくさんの方々の協力があって公開されているのかを知っているから、「お蔵にはするべきではない」と思っていて、あとは視聴者に視聴するかどうかを委ねる形にするのが良いと思っているんですね。
多分皆さんの想像しているスタッフ数の数十倍数百倍の関係者が動いて制作されているので、なかにはやらかしてしまう方もいらっしゃいますよ。たくさんの方々が携わっている以上、これはしょうがないことです。

ただ私の場合は「犯罪を犯してしまった人」や「昔悪かったことを武勇伝として話す人」の作品は、ほとんど視聴することはありません。
知らずに視聴して感動することはあっても、そういう情報を知ってしまってからは、よほどの事が無い限り、視聴することは無くなります。

「犯罪を犯してしまった人」の中でも、反省をして社会に復帰しようとしている方々もたくさんいらっしゃるでしょう。
そういう方々には本当に申し訳ない考え方ではあるのですが、私の経験上、「犯罪を犯してしまった人」や「昔悪かったことを武勇伝として話す人」というのは、大人になっても、ヨボヨボの老人になっても、そういう要素は残っています。話をしていると、言葉の節々にそういう要素が顔を覗かせるんですね。

「昔悪かったことを武勇伝として話す人」も、ドラマのような誰にでも好かれてしまう硬派と呼ばれるような方には出会ったことがありません。
そういう方々は仲間同士の結束は固く、そういう部分だけを見れば美しくも感じますが、現実問題として、じゃあ誰にも迷惑をかけていないか?被害者はいないか?となると、擁護する方々の人数以上に膨れ上がるでしょう。

もちろん、私がこれまで出会ってきた方々が、たまたまそうだったのかもしれないので、反省をして社会に復帰しようとしている方々からすれば、とても哀しい偏見でしかないと思いますが、私としても半世紀以上という長い期間で蓄積されたデータなので、今後変わることは無いと思います。

最近、たまたま視聴した作品でも「あーこの方、多目的トイレで〇〇〇するのが好きな人~」とか、「不倫した人~」「パワハラした人~」とか、作品の内容がぜんぜん入ってこないし、他の作品でも犯罪を犯した人が刑事役とか、不倫をした人が「不倫はダメだ」みたいなセリフを言っていたりすると、「どの口が言ってんだ!」ってつい思ってしまいますもの。

作品をちゃんと視聴したいのに、他の情報が邪魔をして全然集中できなくなっちゃうんですよね。「犯罪を犯してしまった人」や「昔悪かったことを武勇伝として話す人」がそういうことを普通にメディアで公言できるのって、もう日本くらいじゃないでしょうか?

「作品に罪は無い」と言いつつも、関係ないとも言い切れず、関係者が何かしらやらかしてしまえば、間違いなく背負ってしまいます。
ご本人たちが考えている以上に、携わった作品には大きな影響が出ますので、なにかしらやらかしてしまったとしても、ちゃんと反省し、「やんちゃ」という柔らかい言葉に変換して自慢してしまうようなバカな真似はせず、墓場まで持っていってほしいと切に願います。

読んでくださりありがとうございます。サポートいただいたものは映像動画コンテンツ制作費用として大事に使わせていただくと共に、昨年の心臓手術、今年の難病発覚と病院代もかさんでいるので、その足しにさせてください。