見出し画像

愚かなだけでは尊敬されない、賢いだけでは成功できない

--------------------------------------------------------------

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」といったように、古来より、成功のためには賢さが必要不可欠であると考えられてきた。我々は、学生時代から知能による凄烈な競争に巻き込まれ、ひたすらに知恵をつけ賢くなることを求められる。現代の能力主義で重要視されている能力とは、”賢さ”一辺倒なのだ。

しかし、本来”良い能力”というのは恣意的に定義して良いものではない。何が良い能力かを決めるのは環境であり、結果からしかその効力は評価できない。生物の生殖に”突然変異”が起こるのも、この絶対律を反映している。通常の環境では圧倒的に不利であろう遺伝的特徴をあえて生み出すことで、環境が急激に変化しても、それに対応しうる個体を生み出す可能性を残しているのだ。

ここらへんを理解すると、現代の「賢さ」だけを目指そうとするマインドセットは宗教に過ぎないことがわかる。我々は結果を出すために賢さを獲得しようとしているのではなく、”賢い”周りの人間に同調することによって不安を解消しているに過ぎないのだ。

賢さとは、堅実さ・誠実さ・明瞭さ・明晰さ等のイメージで描写できるが、それは一方で、冒険心・反骨心・曖昧さ・愚鈍さの喪失でもある。

冒険心はリスクをとる勇気であり、反骨心は現状への不満であり、曖昧さは失言の回避であり、愚鈍さは愛される条件でもある。

実は、我々の人生には賢さと同じくらい愚かさが重要なのだ。二律背反な要素を時には使いこなさなければならない。しかし、みなさんも薄々感づいている通り、社会的動物である人間にとって相反する性格を使い分けるのは、かなりの苦痛を伴う。その要因のひとつとして、ラベリングがある。私達は、自我が芽生えてからおとなになるまでに、周囲の環境によって自分の性質・性格にラベリングを行う。

「私は、勉強ができず、愚かな人間だ。」
「僕はかっこよくもないし、いじられるくらいしかみんなの役に立てない。」
「自分はどうやら他人より勉強ができるようだ。」

このような無意識で行ったラベリングが私達の性格に一面性を与え、賢さ↔愚かさ、賑やかさ↔静かさ、のような相反する性格を使いこなす能力を失わせる。性格や能力は遺伝でほとんど決まると考えられていたが、実は近年、後天的な影響もかなり大きいことが明らかになった。後天的な要因は、共有要因(兄弟で共有する親などの環境)と非共有要因(兄弟でも異なる友人環境など)に分けられるが、この非共有要因というのがかなり大事で、例えば、周りが東大に行くような賢い連中ばかりだと自分が馬鹿に思えるし、周りがイケメンばかりだと自分を三枚目キャラだと思うようになる。この思い込みはノセボ効果(プラセボの反対で、思い込みによる悪影響)となって影響し、さらに自分のラベリングを強める。

こうして、賢者はさらに賢者となり、愚者はさらに愚者となる。しかし、僕に言わせてみれば、両者とも自己を見失った動物であり、とても人間らしいとは言えない。安易に自分の性格に一面性を与えると、自分の人生から柔軟性を奪うことになるのだ。先程も言ったように、本当に強靭な人間というのは、賢さと同じくらい愚かさを持ち合わせている。堅実な仕事をする一方で、時には愚かなリスクを取ることで膨大なリターンを得る。誠実な上司として有能に振る舞う一方で、時には恋愛で横暴なアルファオスとして振る舞う。

誇大妄想のように思えるかもしれないが、自らの認識・マインドセット次第では十分に実現可能である。「自分には確固たる自己があって、その本質を見失うことは精神にとって悪影響だ」といったような思想を持っている人もいるが、それこそ妄想に過ぎない。実は、我々の自己というのは虚構に過ぎないことが、近年様々な研究で明らかになってきている。自己なんてものはスポーツに集中しているときには消えるものだし、性格なんてものは同じ人間でもコンディションや人間関係で簡単に変化するものだ。一貫した自己を求めることは、それこそ精神に悪影響ではないだろうか。

マーティングによって創り出された「妄想」を捨て去り、多面性のマインドセットを獲得しよう。賢者はポジティブな性格で、愚者はネガティブな性格である、という認識もただの思い違いに過ぎない。極端に言えば、すべての性質や能力は評価され得ない。それが存在することこそが、「それが存在するだけのポジティブな理由があった」という事実であり、一個人や一社会の勝手な位置づけで断罪されて良い対象ではないのだ。

愚者であれ、賢者であれ。

--------------------------------------------------------------

今回は、愚かさについて論じてみました。
これは毎回主張しているのですが、社会における常識と自分が生物として持っておくべき常識が異なるということは最重要事項です。今一度確認しておきましょう。では。

>>鉄の家計簿トップはこちら
>>サイトマップはこちら
 
*――――*
Note: https://note.com/iron_kakeibo/
Twitter : https://twitter.com/iron_kakeibo
質問や意見は上記Twitterまで。基本的に、Note記事にて返答します。
(ペンネーム等あれば、記載ください。)
 
免責事項:本メディアの情報により、みなさまに発生あるいは誘発されたいかなる損害について、作者及び全ての関係者は一切その責任を負いません。本メディア作者は弁護士の資格を持っておりません。実際の法律相談、法的措置等に関しては、弁護士にお問い合わせください。

その他ポリシー:鉄の家計簿は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できるアフィリエイトプログラム(Amazonアソシエイト・プログラム)の参加者です。
*――――*
 

いただいたサポートは、全てメディア運営に使わせていただきます!