名取さなと「オタク」

自分は名取を知ったのも最近だし、Twitterをフォローしたのも2020/10/11だったので、中途半端なんですけども。ばくさんの頃には噂は聞いてましたが。
それでも、名取を知る前と今では確実に変わったことがあるんですね。

「オタク」

という概念です。
オタクである/オタクでないとかいう定義とかではないです。
シンプルに、自分の心持ちといいますか。

かつての自分の中の「オタク」という存在

自分はそれなりにインターネットに触れてきているし、ガキの頃ニコニコ動画で盛り上がっていた世代なのですが、かつての「オタク」って言葉、ネガティブなイメージが強かったと思うのです。
今とは比べ物にならないくらい、「オタク」という存在は嫌われていた気がします。
陰に生きて、「オタクバレ」が禁忌で、バカにされて気持ち悪がられる存在。言葉を選ばなければ、「迫害対象」なイメージが強かった。露見すれば、囲まれて棒で叩かれるような存在。
少なくとも、自分はそう感じていました。だから、自分は「オタク」ということは隠しながら、コソコソと生きていました。

「オタク」であることは恥ずかしい。

そういうイメージでした。
自分の被害妄想ではなく、社会的にネガティブなイメージがかなり強かった……と思います。
それに伴って、同調圧力といいますか、自分の中のイメージも社会のイメージに引きずられていたんですね、多分。
日々ビクビクと怯えて「ジッと生きるし悪いことしないから叩かないで……」と思いながらオタクコンテンツを摂取していました。

名取さなの中の「オタク」という存在

名取の放送とか見てると誰でも分かると思うんですが、名取は「オタク」です。それもかなりマルチなオタク。
で、それを隠していないし、恥とも思っていない。
名取って自分が「オタク」であることに胸を張ってる……張ってるのか?なんか自分の中だとイメージというか概念だから言語化が難しいな……。
一つ確かに言えることは、名取は「『オタク』コンテンツ」と「『オタク』である名取さな」を楽しんでるんですよ。
自分みたいに、そこにネガティブなイメージは無いような気がします。もちろん、最低限の良識は持っていますが。
だからですかね、名取を見てると「オタク」という単語が持っていたネガティブなイメージが薄れてくるんですよ。なんか自分が馬鹿らしいというか、もっと普通に楽しめばいいんじゃないかな、って。

今の自分の中の「オタク」という存在

少なくとも、かつてのように「恥」だとかのネガティブなイメージは大分薄れたかなと思います。
「『オタク』である自分」に対して素直に、堂々と楽しめていると思います。
もちろん、世間一般に対してオープンにしているわけではなく。
「オタク」であることを、オープンにしていい場と、すべきでない場というのは確かにあります。だから、場を弁えるだけの分別は持っています。
しかし、かつてのように「『オタク』である自分」が恥ずかしい、とかは思っていません。
まぁ今でもコラボとかで街中に堂々とオタクコンテンツの旗とかパネルとか立ってたりすると「うわぁ……」って恥ずかしくなったり、「隠せ隠せ……」って思ったりはしますが、それとはまた別の話でしょう。これは、自分の根に染み付いた価値観の話ですしね。

名取さなの影響

上述の通り、自分は名取さなの存在を知って、見て、心の持ちようが少しは変わったように思います。
「You/VTuberに影響受けました!」なんてまぁ客観的に見ればキモいんでしょうけど、それでも。
後ろ向きだった気持ちが、少しは前向きになれて人生楽しめるようになったと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?