死とは何か。

みなさんは『死』という言葉を聞くと何を想像するだろうか。怖い。楽になれる。そんな死ぬなんてやだ。まだ死ねない。などその人個人のメンタルの状態によってそれぞれ思うことはあるだろう。例えば、今に夢や希望、やりたいこと、やらなければいけないことがある人は、「まだ死ねない。」、メンタルがやんでいて、今の生活を辛いと感じているなら、『楽になれるかもしれない』、特に何も不満もなく生活していて、死ぬことについてあまり気にしていない人は、『怖い』などである。では、実際、死とはどのように捉えたらいいのか。今回は完全に自分だけの考え方を共有して、今、現時点での自分の死についての考え方について共有していきたいと思う。(これから生活していく上で価値観が変わり、死についての考え方も変わることは前提で書いている。「逆に変わってなかったら未来のお前が成長してないのかと疑う。by、20の自分」)では、本題に入ろうと思う。

死とは締切のようなものである。

さっきも言ったように死にはさまざまな考え方がある。死んだら天国か、地獄に行く、だから今生きている間に良い行いをしてみんな天国に行けるようにしよう。といった考え方や、死んだら何もかもなくなりただ無になるだけ。といった考え方などである。しかし実際死んでどうなるかなんて誰も完全に死んだことがないのだから解りゃしない。臨死体験とかいって一回死んでしまってもう一回生き返った人の話で、死んだら前に死んでしまったおばあちゃんが迎えにきてくれたという類の話を聞くこともあるが、その人だってもしかしたらそのような話を捏造しているかもしれないし、本当だとしても、その人は生き返っているわけで実際に死んでしまったわけではないから結局死んだ後のことは死んだ人にしかわからないのだ。つまり、今私たちが生きている中で死んでしまったらどうなるのか考えることは無駄でしかないのかもしれない。では私たちは『死』というものをどう考えるべきか。それは、『死を今生きている貴重さを再認識する原点として捉える』という考え方である。確かに、死は必ず訪れて、死んだ後はどうなるかわからない。そして、それらは生きている自分達には制御できないものである。しかし、死というものが訪れるまでの生きている期間は自分達で行動でき、変えることができる。ならば、自分達はいかにこの与えられた有効期限のある『時間』を存分に使い、人生を通して成長させるかが大事なのではないかと自分は思う。なのでこの限りあり、かつ、その限りがいつ来るのかわからない時間の経過の中で、今できることを精一杯することが自分の『死』を満足させることができる唯一の方法なのかなと思った。このことから死とは、本質的には生きている自分達にはわからないものだが、死ぬまでの過程は自分達によって変えることができ、自分達が重きを置くのはそっちの生きているまでの間に何をするかだなと思う。


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