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人が人に学ぶことの大切さ。


スマホの普及化の中で。


スマホは自分の人生を大きく変えた。スマホが普及する2011年前後では小学生だった。そこからスマホとの生活が始まる。その頃スマホを持っている友達というのは小学生の中ではヒーローだった。

というのは、スマホという機械は基本的に大人が持つもので、小学生が持つものでは到底なかったからだ。

なので、小学生や中学生のお兄ちゃんを持った友達の「俺のにいちゃん、小学六年生になったからやっとスマホ手に入れたんだよね〜!」という話を聞いては、自分も小学6年生になればスマホを持つことができるのかという期待感に胸を躍らせていた。

そして小学六年生の時、やっと自分のスマホが手に入ると胸を躍らせて親に相談しに行った。結果は、小学生にスマホは早すぎるため、中学生にならないとダメというものだった。

しかし、どうしてもスマホという媒体が欲しかった自分は、スマホ以外でスマホと同じ役割(LINEやゲーム)ができる方法はないのかと家にあったパソコンで調べ、格安タブレットにたどり着いた。

値段は10000円弱で格安だが、自分の今まで貯めた小遣いでぎりぎり買うことができ、さらにwifiに繋げることで家の中だけだがスマホと変わりなく使うことができるという優れものだった。

1年間も待ちきれなかった自分はそのタブレットを購入した。当時、周りがスマホを持っている人がいるとは言えどもやはりまだ小学生ということもあり、自分の周りで持っているのは、せいぜい5人くらいだったため、その5人でまずは、ライングループを作ったり、オンラインゲームをしてみたりして楽しんだ。

しかしそれもある程度の期間で飽きが来てその次にマイブームになったのが、youtubeだ。

youtubeは当時youtuberという括りももちろんなくただの動画サイトだったが、今日本トップを走るはじめしゃちょーやヒカキンは既にYouTube上では人気を博していた。

最初にはじめしゃちょーをこの人めちゃおもろいと友達に紹介されて見たとき新しい無人島を見つけたようなワクワク感にかられてた。そこからyoutubeをたくさん見ている中で、マホト、ヘキトラ、東海オンエア、などの破天荒系YouTuberなどをたどり、ヒカルというYouTuberにたどりついた。

このヒカルというYouTuberが自分にとって大きな影響を与えた人物の中の一人である。

YouTuberヒカルから得たもの

YouTuberのヒカルとは約10年前にゲーム実況から演者として始まり、今では480万人の登録者を誇り日本最大規模の影響力をもつYouTuberである。

そのヒカルを中学時代からYouTubeを通して見てきた中でとても勉強になる要素が今まで沢山あった。

大きなもののひとつとして、世間の人や周りの人を客観的に見る能力の大切さがある。

たとえば、有名業をしているともちろんいいコメントもあれば批判的なコメントもある。そして、その批判的な内容のコメントをどう捉えるのかによってその人の器が見えてくる。

一般的に批判的なコメントを読むと人は落ち込むため、そのような内容のコメントは非表示にしたり、そもそもコメントできないようにしたり、批判的なアカウントをブロックしたりするのが主流である。

しかし、ヒカルの批判的な人(アンチ)への捉え方は全く逆の発想であった。ヒカルは、「アンチコメントを見ると〈そこはたしかに改善した方がいいな〉という部分もよく見つかるため、自分にとってプラスである。」と捉えるのだ。

なぜヒカルはこの考えを持つことが出来るのかについて自分なりに考えてみた。

1つ目に、根本的にヒカルには素直であるという人間が成長するためにとても大切な要素がある。

そのため、悪口を言われたところでそれを自分なりの解釈で捉え直し再分析するため、自分の感情が動くことなく冷静に次の行動に生かすことができるのだ。

2つ目に、大局観をもっていることの重要性が挙げられる。

ここで言う大局観とは、今日、明日、1週間後のことを考えながら自転車操業のようにその日に追われながら毎日を過ごす感覚ではなく、向こう5年後、10年後の自分を想像しながらその未来に着々と進んでいっている感覚のことを言う。

たとえば、平日に道端に歩いているサラリーマンに急に暴言を吐かれたとする。

そのとき、大局観を持っていなければ、〈どうして急に暴言を吐かれたのだろう、あいつうざいな、大の大人にもなってなにしてんだよ。〉というようにマイナスなイメージを持ち、その出来事を明日に活かすというような発想には至らないだろう。

しかし、大局観を持つ人が同じ状況に出くわすと、大抵の場合、〈急にあの人が暴言を吐いた原因はなんだろう。もしかしたら会社にリストラされて嫌気がさし、見知らぬ人に攻撃したくなったのかもしれない。でも、自分に嫌なことがあってそれを他人に、それも見知らぬ人に攻撃することでストレスを解消するような人はリストラされて当然だろう。もちろんその人がリストラされた理由が暴言を吐くという理由では無いかもしれないが、そもそも人に攻撃するタイプのやばい人は社会からこうやって阻害されていくのだからそうならないように自分はどんな人も受け入れる気持ちで過ごすように気をつけよう。じゃあ、さっき暴言を吐いた人にもちょっと嫌な感情抱いたけどまぁ頑張れって思っとこう〉のようにこれからの自分にどう活かすかを考えることが出来る。

このことから、素直であるということと大局観を持つということが柔軟な考え方をすることができる要因のひとつなのではないかと自分は思う。


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