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この世は面白い。

人はどうしてこの世に生まれて生活しているのだろうか。

この問いは多分死ぬまで分からない。

生物学的に言うとそれは、子孫を後世にまで残すためであり、DNAの保存のためであると言われるかもしれないが、自分はそれよりもっと本質的な大切なことがあるのでは無いかと思う。

それは人が人と関わる機会が日常的にあるということである。

人が関わると言うと家族と話したり、友達や学校、会社でのコミュニケーションをとったりと自分たちにとってごく自然のことに思えるかもしれないが、

実はこの人とかかわり合うことが人生を生きるということにおいてとても重要な役割を果たすと思うのである。

というのは、この自分たちが生きている(起きている)世界には、人と物質(動物や植物、水、土地など)のような自分たち(人)とそれ以外という関係性で構成されており、

例えば海や木などは自分たちとは関係性の無いものであり、自分たちにとってそこまで重要視していない存在でもある。

しかし、自分はこの海や木などのある種コミュニケーションができないような物質的なものにも人間の根本にある気持ち、心のようなものがあるのではないかと思う。

これは、昔からアニミズムとして広く知られていた概念であるが、どうしてアニミズムという価値観があるのかという根本にはさほど注目がいっていないような気がする。

というのは、物質的に魂のようなものがやどっているというような価値観はたとえば、食器を大切に使うことや、自分の服をなるべく長持ちするように使うといったようにその物質に優しく接するというような点で利点を働かせることはあっても

ではどうして物質一個一個に魂のようなものが存在するのかという点については言及されていないということである。

自分はその理由について、「この世はすべてひとつの関係性で繋がっているから」だと考えている。

というのは、人間同士や動物同士はもちろん人と人との間に言語という方法を使いコミュニケーションを取っているため人間の五感でとらえることができるが、

たとえば、植物と植物とのやりとりは存在するのだろうか。

もし、やり取りをしていたとしても人間には認知することができないであろうものである。

さらに、もしこのような人間には知ることが出来ないが、実際に行われているかもしれないやりとりがこの世の中にあるとしたら

それは、神様や仏様(死んでしまった人)のような価値観にも当てはめることができる。

このようなことを考えると、もしそのような私たちには見えないような世界線があったとしたならば植物や神様、仏様たちは私たちを見守っているという関係性になり、多分それは私たちでゆう「親と子」の関係性なのではないかと思う。

というのは、親と子の関係というのは例外もあるが、親は子供に見返りを求めず、子供がすくすく成長していくことを楽しみに見ていて、子供はその親の愛情をあまり気にせずすくすくと成長していく関係性のことである。

これは「親」であるわたしたちには見えてない存在と「子」である人のようにもとらえることができる。

人は今を今生きている人や存在している動物とコミュニケーションをして生活することに一生懸命に生きている訳だが、

もしかしたらその裏には植物(木)や、生き物(魚)、海、山、森、水
地震、台風、仏様、神様など人間ではすべては大きすぎて捉えることの出来ない存在が私たちを見守っているのかもしれないと考えると、この世の興味深さや、この世に生まれてきたことの有難みを感じることができる。


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