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自作詩をいくつか、そのに。『雨series』

以前とある投稿サイトにて書いた詩を、noteに投稿しようと思います。今日はまた三つほど。


『雨series』

雨の春。

どんなことにも始まりと終わりがある。
止まない雨はない、なんて名言的に言われたりするけれど、なんで雨が悪者なんだろう。
曇らない晴れもないんだけどなぁ。

ぽつぽつとした雨も。
ざあざあとした雨も。
心地よくリズムを刻む雨も。
ため息スイッチとなる雨も。

他愛もない生活の中、山ほどある機会音、自然音、鼓動音。
続く道が見えにくい京都の雨道。

誰かが歌にすればさも価値あるものに。
テレビが災害といえばさも憚られるものに。

言葉は実に素晴らしく恐ろしい。
雨は雨でしかないのに、そいつは無邪気なのに。

ところで雨は連続してるのさ。
それこそ書物の連続のように。
だから雨seriesと名付けよう。
何部構成だろう?
それは世界中にある雨の数だけさ。
しかし雨は循環してる一つの海。
ならば結局一つ。
一編の話のためになんでそんなに分厚いんだ。

だって雨は何人の人間と物語を生む?

雨の春。
僕と君とそこの君と隣の君とさらに隣の君と向こうの君と雨との物語の始まりの始まり。


『ある余りにも渇いた日』

僕は生きてくことに潤いを探してる。
喉が潤うと安心するように、気持ちが前向きになるように。
人生もそれに当てはめたいのだ。

アメニモマケズ
なんて言葉もある。強く生きる美徳。
だけど健気に生きて理想を描くのが詩人ならば、鵜呑みにするのもまた違うね。

僕は本当のことを見つけたい。

雨がよく降る、砂漠とは無縁の土地にある日訪れたんだ。
そこで少年と少女が踊っていたんだけど、なんて言ったって捻くれた僕さ。
微笑ましくなんかない。
見ないふりして帰ったよ。

家に帰って羨ましくなったさ。

ある日、バイアスが彩った世界に困惑して勢いよく靴も履かず飛び出してみたよ。
浅い海辺、つまりは巨大な水たまりなんだけど、そこを勢いよく走ってみたんだ。
そうすると気持ち良くって被ってた麦わら帽子も嬉しそうに風を飛んでいったよ。

慌てて拾いに行った、かもね、かも。

窮屈な世界だなと思う時がある。
世界は見よう次第なんだけれど、そうは言っても今あるここを捉えてしまうものだ。

砂漠に住んでる人は砂漠を海なんて思えないし、海辺に住んでる人は海を砂丘とは思えないし。

そういえばひどく喉が渇いたって嘆いてたら一人の人に出会ったんだよ。
その人は思ったよりも僕の知らない世界を生きてきたようで、いつも新鮮だった。

好きな野菜ひとつにしても、話が目新しいんだよ。人々が世界旅行をしたがる理由はまさにこれだと思ったね。

思い切って一緒に旅をしようって言ったんだ。

お互い知らない世界で生きてきたんなら、僕だって君の知らない世界を教えられるよって。

そしたら他の世界なんか知りたくないって言うんだよ。ダメなんて言えないさ、僕は彼女を否定なんかしたくない。

でも平行線のまま、水平線は見えたんだけど話は平行線のまま、寂しくなっちゃって。

見えない神に縋っては、見えない扉にノックしては、結局喉が渇くんだ。

でも彼女が僕を試すように言う。

子供の心、その思いを思い出してみてって。

だから麦わら帽子を拾いに行ったエピを話したらこれまた好評で。

手を繋いで無理やり二人駆け出した!

それで気付いたら雨がよく降る街に着いて。
そこで二人ダンスをした。

どこかデジャブを感じながら喉が潤うのが分かっていった。

だけどもすぐ渇く。
ある余りにも渇いた日。
だけども午後には君と出会って渇きを満たす。


『雨の日の子守唄』

雨って痛いね

雨って冷たいね

だからおやすみしましょ

また明日太陽さんに会えますように

いつか雨さんが好きになれますように

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