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好きなことの最終形態

TikTokで制服を着て音楽に合わせて踊ったりしている子たち、なんかすごい楽しそう。

ああいうのを見ていると、高校時代の私たちにもTikTokみたいなコンテンツがあったらもっと楽しかっただろうな、と思わずにはいられない。

学園祭とかもでしゃばるタイプだったし、ああいうの好きな方だから、当時の私たちの手にTikTokがあったら、学校の休み時間とか放課後の時間を使って、本気でやってただろうなって思う。

なんならつい最近、一度だけ大袈裟に動かなくてもいいものを試しに一人でこっそりやってみたけど、なんかこう、見るに耐えん仕上がりになったのでそっと削除し、以降は観る側に徹している。

ネット上に自分の姿を晒すことを「人前に出る」とは呼べないかもしれないけど、幼稚園のお遊戯会でアラジンと魔法のランプの劇をやったとき、ヒロイン役を立候補しその役を掴み取った私は、割と目立ちたがりで、人前に出たがりだったのかもしれない。

今は全然違うけど、ある程度いい年齢の大人になるまでは、そっち側の人間だったと思う。

その幼稚園のお遊戯会の記憶自体は薄いんだけど、なんか手作りの白とピンクのふわっふわのドレスを着たのは覚えてる。お遊戯会が終わった後も、そのドレスを着てお家で遊んでたのも覚えてる。とにかくお気に入りだったんだね〜。

成長と共にだんだんそのドレスがサイズ的に着られなくなってって「なんで?」ってなってたのも、覚えてる。

それからというものの、割と人前に出るのが好きな性格なまま、すくすくと成長していったと思う。芸能活動をしている従姉妹をめちゃくちゃ羨ましく思ってたし、将来の夢もモーニング娘。に入ることだった。

いつからか、歌うことに喜びを感じるようになって、カラオケに通ったり、友達とバンドを組んだり、歌が上手くなりたくてボイトレに通ったり。

割といろいろやったけど、結局その意欲が明確な「目標」とか「夢」にはならなくて「好きなこと」が最終形態だった。だから、今でもお歌を歌うことは好き。

でもべつに上手いわけじゃないんだよね。カラオケで自分の歌を録音したのを聴きながら「なんか変だな」って心の底から思う。でも自分の歌声自体は嫌いじゃないんだよな。(こういうところはナルシストだなと思う)

今は、カラオケ行って歌うのが好きレベルと同じレベルで好きなことがいくつかあって、それもやっぱり「好きなこと」よりも明確な形にはなってない。

なってないのか、ならないようにしてるのか、なれないのか。
分からないけど、好きなことがいくつかあるおかげで退屈だなと思うことがない自分の「今」は好きだったりする。

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