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【本編】初めての自然妊娠で子宮外妊娠。妊娠発覚した翌日、緊急手術で卵管を切除しました。【まとめ】

前回の続きです。
【プロローグ】
【その壱】
【その弐】
【その参】

妊娠検査薬で陽性反応が出た翌日、子宮外妊娠と判明。
緊急手術で受精卵ごと右卵管を切除することになりました。
その手術から入院までを経験しての、まとめです。


今、感じていることは

実は、あまりショックを受けたり、喪失感やストレスを感じてはいない。
それは何故か。
おそらく、以前から子供は望めないと、ある種の諦めとも覚悟ともつかない感覚があったからだろう。

自業自得だった。という考えもある。
今回、子宮外妊娠という妊婦全体では1%程度(ウェブ調べ)らしい状態に陥ったが、自分に関してはその確率がもっと高かったのだ、という自覚があるのだ。

また、お腹に傷が残るのたが、傷跡についても幸か不幸か、昔からある傷跡のお陰でケロイドについて忌避感がないのだ。

順に記載していこう。

妊娠しづらいと言われ続けてきた

まずはじめに、わたし自身それほど子供が欲しいという欲求がなかった。
これは子供の頃からの考えであり、今回妊娠したことにより、人並みにはそういう気持ちがあるのかもしれないという気づきはあったものの、あくまでも出来たら欲しい、というスタンスなのは変わりがないのだ。

みっつの出来事が、その考えを強くしたように思う。
10代のころ、痩せ型だったこともあり、生理不順が続いていた。
保健の先生には無排卵月経なんじゃないかと言われていた。
20代、またもや生理不順になり、婦人科にかかる。
多嚢胞性卵巣症候群であると診断され、子供は作りづらいかもしれないと伝えられる。
30代、感染症にかかる。治療が遅かったこともあり、不妊症になっている可能性があると示唆される。

以上のことから、自分は自然妊娠が出来ない、もしくは出来にくいのだと考えていた。
そしてそれは、必ずしも妊娠を望むわけではないわたしにとっては然程大きな問題ではなかったのだ。

そして、もし出来たとしてもそう言われ続けてきた体で、本当に子供が育てられるのかも全く自信がなかった。


子宮外妊娠の確率を上げた要因は、クラミジア感染ではないか

子宮外妊娠は、妊娠全体の1%程度らしい。
だが、ある条件に当てはまるものはその可能性がグンと上がると言うのだ。
いくつか要因はあるが、わたしに当てはまるもの。
それは30歳の時に感染した、クラミジアによるものだ。
(念のため、今のパートナーとのことではない。)

クラミジアに感染すると、卵管やその周囲の炎症が起こり、卵管が狭くなったり、塞がったり、または、卵管周囲の癒着が生じるという。
その結果として、子宮外妊娠などの不妊を発生させる可能性があるようだ。

そのため、今回のことは過去の自分の自業自得の部分も少なからずあるだろう。
という考えも持っていた。

余談だが、クラミジアは感染が進行するまで自覚症状がほとんどない。
わたしも全く気付くことができず、突然の腹痛におそわれ、それもまさか性感染とは思いもしなかったため内科や消化器科、婦人科でもなかなか発見に至らず、MRIまで受けることになった。
婦人科系疾患だろうとあたりをつけた当初は、子宮がんの可能性を示唆され、最悪の場合は子宮摘出とまで言われたのだ。

思えば、ここで子宮を失うかもしれない、という可能性をリアルに感じたことも自分に子供は作れないという考えに拍車をかけた一因のようにも感じる。

閑話休題。

お腹に残る傷跡に対する気持ちは、特になかったりする

女性であれば、体に傷が付くことを厭うものだろう。
わたしも、たとえば人相が変わるほどのキズが顔に付くなどは流石に遠慮したいと感じてはいる。
だが、今回のお腹に4箇所傷跡が付くことについては、実はなんの感慨もないのだ。

というのも、過去の自分は望んで自らに傷をつける人間であったからだ。
10代のころに遡る。
精神科に通院していたわたしは、何かあるとすぐにカミソリで手首や腕、肩、太ももを切りつけていた。
その傷は15年以上経った今でもしっかり残っており、人に驚かれることも少なくない。

だからといってキズが増えて良いわけではないが、今さら4つ増えたところで、それも普段そう見えない部分ならばわたし自身はあまり気にもならないのだ。

つまるところは

以上のことが背景にあり、わたし自身は自分の身に起きたことについて憤りなどは特に感じていないのだ。
【その参】のラストでも記載した通り、自分のお尻を叩くために、身を呈してまで早めに来てくれたのだと思っているのだ。

そして、なによりわたしの子は、わたしが自分にかけていた魔法を解くためにここまで来てくれたのだろう。

無意識のうちに思い込んでいた、子供が作れないんだという妄想だ。
そう思い込んでいれば、見なくていいものがきっとたくさんあるのだろう。
メリットがあるからこそ思考はそのように働くものだ。

そのメリットについては、これから紐解かれてゆくのだろう。
その鍵はもう開かれてしまったのだから。


この場を借りて

今回、突然の手術、入院となり、FBでも本記事の投稿を公開していたこともあり、たくさんの人からメッセージをいただきました。
暖かい励ましのお言葉、大変勇気付けられました。
この場をお借りして、御礼申し上げます。

両親にも多大な心配をかけました。
ただでさえ、わたしの私生活が安定しない、不安ななかでの急な知らせは、きっと血の気が引く思いだったことでしょう。
怒ることもなく、心からの心配、励ましを通して、たくさんの愛情を改めて感じました。
面と向かってなかなか伝えられないけど、いつも感謝しています。

パートナーにとっても、寝耳にウォーターで心臓が止まる思いだったことでしょう。
わたしも当初はちょっと調子の悪い生理だなあくらいにしか思っておらず、彼にもそのように伝えていたこともあり、まさかの妊娠、まさかの子宮外妊娠、まさかの緊急手術。
まさか続きで、彼の前線がさらに後退しないか不安なこの頃です。
(彼はこの記事を読むことがないと思っているので書きたい放題です。)
でも、わたしの気持ちを第一に考えてくれて、妊娠したかもと伝えたときも、嫌な顔1つせずわたしとの子供なら欲しいと言ってくれて、夜勤明けの体に鞭打ちクリニックについて来てくれたり、不安を感じることがないようたくさんの心配りをしてくれたこと、本当にありがたいと思っています。


おわりに

今わたしは、明日の退院をひかえた前日の夜、数日お世話になったベッドの上に、怖くてできなかった横向き姿勢でこの記事を書いています。

今回のわたしの身に起きた事は、そう多いことではないのかもしれないし、あったとしても、そんなに参考にならない事なのかもしれない。

【プロローグ】を書き始めた頃は、これからお母さんになっていくのだろうか、子供はお腹で育つことが出来るのだろうかという、不安と希望のなか執筆しました。

原来楽天家なわたしは、まあなんだかんだ育って、なんだかんだ子供産んで、たくさん泣いて笑って家族をつくっていくのだろうなあなんて気楽に考えてもいたのですが、
妊娠して、お腹で育んで、出産する。この普通に感じられる営みが実は奇蹟の積み重ねの結果なんだということが身にしみてわかりました。

当たり前なんて何1つないんだ。
ひとつひとつがすべて特別なんだ。
もちろん、わたしの身に起きたことも奇跡の積み重ねで起きたことのひとつでしょう。

そして、隣の誰か、画面の向こうにいる何かと比べる必要はないんだということも、あらためて感じました。

毎日、自分らしく精一杯泣く子供の声が聞こえていました。
隣の誰かと比べることもなく、お母さんを呼ぶために精一杯鳴き声をあげます、
伝えたい人に、伝えるべき人に、必要な人に必ず声は届くんだと、その方法は自分らしくやれば良いんだと、教えてもらった気がします。

さて、長々と書くことはつきませんが、取り敢えず滅多にないことに遭遇し、同じような誰かの役に立てればいいかなという気持ちで記録をつけ始めた子宮外妊娠シリーズですが、このあたりで筆を置くことにしましょう。
(正確にはスマホをいじる手を止めるですが。)

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
おしまい。

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