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自分にとっての格闘技

自分の格闘技との明確な出会いは小学三年生くらいの事だったか、記憶は朧気だ。初めて見た試合はボクシング。
祖母が流しているテレビ中継…内藤大助選手の試合だったか…八ラウンドあたり、パンチが当たってどちらかの選手が思い切りダウンした。眉をカットしてただ血を流してダウンしている選手の姿が衝撃的だった。
僕はそれを見てひどく暴力的だと思った。
この日本でお互いが傷つけあう拳闘が支持を集めているのを見てコロッセオを野蛮だと思う現代人のような感覚を抱いた。
そこから数年後僕は友達とよくケンカをするようになった。言い合いではなく殴り合い、つかみ合い。ADHDだったので衝動的に手が出て後は前述のとおり。
数年前に見た試合とさして変わらない事をやっていた。(実際には両者合意の下行われている試合のほうがはるかに健全だが)
あまりにも衝動が収まらないので学校には行かなくなった。仲の良い友達はいたがやはり衝動が収まらなかった。
最初の一二年は平気だったが一人部屋にこもり精神を病み始めた。
他社との繋がりで得ていた世界の客観がなくなり自分の精神が狂い始めているのを感じた。
その抵抗として始めたのがワークアウトだった。初めてもった父の持っていたダンベル。6kgだった。今では軽々とカールできるが、当時の小枝のようにか細い腕では持ち上げるのがやっとだった。
6kgに物足りなさを感じ始めてきたころ、僕はボクシングの動画を見た。昔野蛮だと思っていたもの。見てみると奥深さを知った。戦略、ファイティングスタイル、そして何よりも僕の心を捉えて離さないもの。
それは選手の精神力だった。いくら貰っても不屈の精神で立ち上がる。アルツロガッティ、ロッキーマルシアノそんな選手たちの精神性に感動した。
自分と重ね合わせた。部屋に一人、夜にふがいなさで枕を濡らす自分、彼らのようになれたなら。
そういって見ていたボクシングの関連で総合格闘技という競技を知った。ボクシングよりはるかにマイナー。名前だけ聞いたことはあるレベル。
最も驚いたのはそのコンセプトだ。”バリトゥード”(なんでもあり)その野蛮さに力を。タフさを感じた。
しかし見続けていると技術、戦略あらゆる要素が総合されたスポーツであると知った。
当時、もっとも好きだった選手たち。ジョンジョーンズ、ファーガソン、ディアス兄弟。相手を血塗れにし、八角形のただでさえ野蛮なケージを屠殺場と化すファイターたち。
僕はそれを見て…こうなりたいと思った。何から始めよう?よく調べると彼らにはバックボーンがあることを知った。いきなり総合を始めるのではなくボクシングやレスリング、バックボーンを作るのだ。
数ある格闘技の中で僕が選んだのは…柔術だった。
いきなり始めたわけではない。引きこもっていてあらゆるものに怯えた僕が道場の門を叩くのは容易ではない。数か月踏ん切りがつかずようやくたたいた門。契約書にサインをしたとき僕はビビりすぎて手が震えて文字が書けなかった。書痙というのだそうだ。だが入ってみて…大したことはなかった。普通だ。怖くはない。ただ初めて技を決められたとき。もちろんビビった。タップが早すぎて笑われた。
スパーはもっとビビった。当然だ、本気でくるんだから。相手が。
だがそれも慣れて何も思わなくなったとき。これが成長なのだと思った。恐怖を乗り越えることが人生の大切なことだと。
それを続けて三年、あらゆるものにおびえた子供は少し成長して青年になった。
そして念願の昇帯。泣きそうになった。何もなかった自分の唯一誇れるものができた気がした。そして、自分は絶対にこの道を進むべきだと思った。
今は忙しく柔術はぼちぼち。だが必ず復帰したい。自分の誇り、存在価値はここにあるから。
今は総合への挑戦にビビっている。だがそれも乗り越えたい。
そして、あの胸焦がれたあの美しく、残酷で、憧れのオクタゴンに必ず入るのだ。

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