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『あなたに会いたかった』

『キミは1人じゃないから 忘れないで
夢見てるその瞳 私が見ているから
羽ばたいていて 輝いていて どんな時も
キミの夢は必ず叶うから』

これは彼女の歌だ。

私はシンガーソングライター『AYUMI』の大ファンである。下北沢で路上ライブをしていた頃から彼女のことが大好きだった。ライブにもかかさず行き、CDが出れば全種類買った。
とある日の路上ライブ中、彼女は音楽を止めた。背の高いスーツ姿の男性に声をかけられたのだ。彼女とその男性がなにを話していたのかは分からないが、彼女は嬉しそうにギターをしまい機材を片付けその男性の後をついて行った。
その日から彼女の路上ライブは一切無くなり、それどころかしばらくの間音楽活動を全くしなくなった。

『嫌いな世界を嫌いなままで終わらせたくないから
私はまだ生き延びてしまってんだ
“何か”に期待して “誰か”を待ち続けて
私はまだ自分に期待してんだ』

シンガーソングライター『AYUMI』は歌手『西山歩美』としてメジャーな芸能事務所に所属した。誰かが書いた曲を彼女が歌うようになり、彼女の作る曲は聞けなくなった。
私としては残念極まりない発表であったが、テレビの向こうで見る彼女はとても楽しそうだった。ギターを持たず、簡単な手振り身振りでアイドルのような可愛らしくポップな歌ばかりを歌うようになった。バラエティ番組にも出演し、その可愛くて鈍臭いキャラクターで彼女はみるみる有名になっていった。彼女が有名になるにつれて歌うことさえ無くなっていった。

『いつか私の歌が 誰かを救いますように
願って 願って 今夜は満点の星空
まだ見ぬ未来はきっと明るく眩しいから
歌うよ 他の誰でもないキミのために』

シンガーソングライター『AYUMI』が恋しくて仕方なくなっていた私は彼女の古いCDを繰り返し聴き続けた。彼女のギターと歌声を録音しただけの簡単なCDだったけれど、温かい彼女の本音の詩が私は大好きだった。

『信じられるものがなにも無くても
自分自身は失えないから
道は自分が作るもの
誰に頼らず 強く生きるの 寂しくないよ』

それから彼女の勢いは止まらず、写真集を出した。それはそれはものすごい売れ行きだったが私も一冊手にすることができ、特典で付いていた握手会に応募をすると見事当選した。そして今日は彼女に会える日。下北沢の狭い広場以来だ。

『西山歩美 写真集発売記念 握手会』と書かれた会場には男女問わず多くのファンが集まっていた。この人達が彼女の歌を聞いたらもっともっと素晴らしいのに、なんて思いながら私は列に並んだ。
握手会が始まり、はけて行くファンの中には涙する人も多くいたし、間違いなく彼女と会えた事を全員が喜んでいた。私の立つ位置が彼女に近づく度に心臓の音が強く響く。「もう一度歌を聞かせてください」「あなた作る音楽が好きなのです」話したい事を頭の中で整理をしては、私の隣を通り過ぎて行く幸せそうなファンの顔がそれをかき乱してきた。
いよいよ私の番だ。

「今日はありがとうございます」
「あ、いえ」
「写真集もう見てくれましたか?」
「いえ、まだです」
「そうですか」
彼女は昔よりメイクが濃くて、ショートカットだった髪も綺麗に伸ばして、より女性らしく魅力的だった。目を合わせることもままならぬまま私は何も言えず、きっと目の前にいる彼女は困っていたと思う。私の肩に男性が手を置く。
「時間です」
「今日はありがとう!また来てね」
彼女と私の手が離れた。ブースから出されるその瞬間、私は最後に一言だけこう言った。
「あなたのことがずっと好きでした。ずっと会いたかったです」
彼女は微笑んでくれた。昔の優しい歌を歌う時と同じあの表情で。

その日の帰り、私はまた彼女の歌を聞いた。

『キミは1人じゃないから 忘れないで
夢見てるその瞳 私が見ているから
羽ばたいていて 輝いていて どんな時も
キミの夢は必ず叶うから』

涙は止まらなかった。


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