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『世界は僕を拒む』⑥

それからも高橋さんから仕事をもらうこともできず、ほかの同級生と同じような生活をしながらも僕の学校生活というものは質素なものだった。友達もいなければ、そもそも誰かと話せる話題さえ持ってはなかった。太田先生からわざわざ呼び出されることもなくなり、僕は意義を感じられない教室の中でただただ呼吸をしていただけだった。

夏も過ぎ、校庭が落ち葉に染められたころ、僕のそんな学校生活が少しだけ変わった。僕が初めて登校したあの日と同じ美術の授業でのことだった。

先生が指定したとおりに席に着き、隣同士でペアを組みお互いの似顔絵を鉛筆一本で描き切るという授業だった。先生が言うには、デッサンではなく、よくコミュニケーションを取り、相手の個性を見極め、それを描くということが目的らしい。
「よろしく…ね」
僕の相手は佐藤さんだった。僕が(一方的ではあるが)話したことがある人と言えば佐藤さんくらいしかいなかったので指定されたペアと言われた瞬間に予想はしていた。
「どっちが先に描く…?」
「どっちでもいい」
「じゃあ私が先に…」
僕らは向かい合わせに座り、佐藤さんは鉛筆を手に取った。
「私そんなに絵…上手くないから緊張しちゃうな…」
だんだんと騒がしくなっていく周りに比べて僕らは取り残されたように静かだった。
「こうコミュニケーション取れって言われちゃうと難しいね…何話したらいいか分からなくなっちゃう。本当は橋本くんと話したいこと…たくさんあるんだけど」
「僕と話したいこと?」
「うん。橋本くんほど不思議な人っていないというか。やっぱりみんなとは何かが違うから…今まで何してきたんだろうとか知りたくなっちゃう」
「…みんなと違う」
「ごめん…全然嫌な意味じゃないの。みんなと違うってクラスメイト、誰もが思っていると思う。だから避けちゃう人ももちろんいるけど、そう思わせられるほどの雰囲気をまとっているのってすごい…と思う」
「褒めてくれているのかな。褒められている気がしないけど」
「ほ、褒めてる。だってほら私ってなにも取柄がないというか、誰にも気づかれないような地味で色も何もない人間だから、橋本くんが羨ましくて」
「僕も取柄なんかない」
それから僕らは黙り込み、佐藤さんは僕の絵を描き進めた。

一時間が経ち、先生から交代と指示が出されると、佐藤さんは隠すかのように僕の絵を裏返しにして机の上に置いた。僕は邪魔なワイシャツの袖を捲し上げて鉛筆を取った。
たまに佐藤さんから何か質問が飛んできたが僕はどれも適当に返しながら絵を描き進めていた。何かに集中して黙々と作業をすることは工場の仕事以来、久しぶりの感覚だった。それは、僕にとって必要のない物を視野に入れず耳にもせず、何も考えないでいられる僕だけの優しい世界だった。しばらくすると僕が画用紙と交互に見ていた佐藤さんの顔が曇り始めたのに気が付いた。
「どうした?」
僕は佐藤さんに聞いたものの佐藤さんの視線と僕の背後からの気配を感じ取り、佐藤さんの返事を待たずすぐに後ろを振り返った。するとそこにはクラスメイト数名が僕の画用紙を覗き見ていたのだった。
「え?」
「橋本くんってめちゃくちゃ絵がうまいんだね」
「もうこれ佐藤さんそっくりじゃん」
「いや、そんなことは無いけど…」
僕は画用紙を隠すように持ち姿勢を戻すと佐藤さんと目が合った。
「さっきから橋本くんの絵が話題になっていたよ。気が付かなかった?」
「…気付かなかった」
「あの…ありがとう」
「え?」
「そんなにかわいく書いてくれて…」
「え…いや」
僕はもう一度自分の絵を見直した。それは、佐藤さんの一重に長いまつ毛、しっかりとした黒い髪の毛、しっかりと特徴はとらえたつもりではあるが、デッサン等とは程遠い、どちらかというと漫画の様なタッチの絵だった。
「私の絵も描いてほしいんだけど」
「え、俺も。俺描いてもらったらそれアイコンにするわ」
「ねえ、いい?」
いつの間にか僕に注目が集まっていた。絶対に仲良くなんてなれないと思っていたクラスメイト達が突然僕を褒め始めたのだ。僕はこの一瞬に何かの罠なのではないかとも考えてしまったが、それでも良いとさえ思えるほど僕のことを認めてもらえたことが嬉しかった。
「…いいよ」
僕が佐藤さんのほうを向き目が合うと、佐藤さんは目を輝かせ少しだけ笑って頷いた。僕はそれに応えるように頷いた。

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