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「変わる」ということ#1

先日、しまばらデザインアートラボで、古着ショップ“SPINS”の古着のイベントが開催されました。このイベントは、地域の若者が出店し、古着ショップを通じて学生に働くことの意義を伝えるものです。


学生による朝礼の風景。みんな緊張気味!


そこで見つけたパッケージには、「買われるってムテキ」という素敵な言葉がありました。



(株)いろはやは、過去何度も時代に合わせて変容し、ここまで暖簾を守ってきました。戦後の足袋屋から始まり、着物の上に羽織るマントや洋傘を販売していたころもあります。

また、メリヤス肌着などの実用衣料を販売していた時期もありました。
戦時中の物資不足の時は引揚者をターゲットにした「観海荘」という旅館経営の時代もありました。


戦後まもないころのいろはや(現在の本店 島原市堀町185番地)



今回から数回にわたり、「変わる」をテーマに綴っていきます。

株式会社いろはやは、私が幼少期には紳士服を扱っていました。一時期はよく売れましたが、私が子供の頃は繁盛していないように思えました。

先代社長には申し訳ないですが、自宅の店が閑散としているのを見て、恥ずかしく思ったものです。そして、友達に自宅がここだと知られたくないと思い、遠回りして帰ったりもしました。


当時の紳士服売り場(いろはや本店)


私が小学校高学年の時、紳士服の売上が落ちてきたのを見かねた妻香代子が奮起し、紳士服の一部を改装して婦人服を取り扱うようになりました。

母は福岡県飯塚市出身で、商売は未経験でした。しかし、彼女の努力の甲斐あって、少しずつ婦人服が軌道に乗り始め、婦人服の売り上げで指示の借金を返済する長い長い戦いが始まりました。


婦人服を創業して店を切り盛りした妻 香代子’(赤ちゃんは5代目社長中山実津雄)



新しいことを始めるということは古いことを捨て去ることを意味します。幼少期にお世話になった古参社員が退職していくこともありました。その退職理由は私には理解できず、とても悲しかったです。

仕入れ、支払い、資金繰りから人材育成、お店の運営、古参社員の退職など、全ての重圧が素人の母の肩にかかりました。しかし、彼女は明るい笑顔で一つ一つ解決していきました。解決できない問題はそのままにし、応急処置を繰り返しながら紳士服の借金を返済していきました。

この時の母の奮闘がなければ、今の「いろはや」は存在しなかったと思います。いや、ひょっとしたら、いろはやという会社自体が存続していなかったかもしれません。


「かわれるってムテキ!」


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