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十年一昔と言うけれど、まるで昨日のことのように覚えている。

今日は3.11
のちに東日本大震災と呼ばれる大きな大きな地震と大きな大きな津波が日本に生きるすべての生命が恐怖と悲しみに襲われた日。

ぼくは当時23歳で、大阪の忍屋という忍者のお店で働いていました。
手裏剣を打てるブースでお客さんの呼び込みをしていた時、目眩のような感覚を身体に感じて、疲れてるのかなぁぐらいに思っていたんですが、近くにあったSeriaの看板が見たこともないぐらい揺れていて、これが地震だと気付くまでそれほど時間はかかりませんでした。

しかし、大阪は少し変な揺れ方やったなぁぐらいの感じで、まさか同じ日本であんなに大変な状態になっていたと知るのはもう少し後になってからのことです。

ニュースは地震と津波の映像で溢れていました。
毎日毎時間繰り返される津波の映像。
まるでジオラマかと思うぐらい簡単に流されて飲み込まれていく家や車たち。
これは本当に現実なのかと思うぐらい信じられない光景が連日連夜流されていました。

ぼくは次第にニュースを観ることが出来なくなり、テレビをつけることすら出来なくなりました。

身の安全が確保出来る場所で、被害も受けていないぼくが何故それほどまでのダメージを受けていたのかは言葉ではうまく説明は出来ません。

今こうして書いていて、はたと気づいたことは、遠くにいたからこそ傷つき落ち込んでいられたのかなと思います。

現地で被災された方々は家族を守ること、今を生きることに必死になられていたと思います。
なんとか復興しようと毎日毎日動かれていたんだと思います。
悩んだり苦しんだりしてる時間もなく、今を生きること、これからを生きるために立て直すことに一生懸命に過ごされていたのかもしれません。

今も復興は続いています。
これからを生きるぼくたちがこれから出来ることは何だろう。
目の前の大切な人を大切にすること。
自然災害の国日本に住んでいる限り、いつ何が起こるかわからない。

東日本大震災を経験していない子供たちと仕事で接することがあるので、小学校低学年以下の子たちはその頃まだ生まれていなかったのかと思うと、時が経つのは早いなと感じます。

自然災害にしても、戦争にしても、ウイルスにしても、経験していない人たちがこれからの時代を作っていくし生きていきます。

何が大切か、守るべきものは何なのか。
そういったことを一緒に考えながらもう少しこの世界を生きていきたいと思います。

世界中のすべての生命に幸あれ!

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