見出し画像

なぜ、書くのか

おすすめに上がってくるnoteやSNSの投稿を見ていると、どうやって、フォロワーを増やすかという記事が時々あり、参考に読んだりすることもある。私としても、せっかく書いてるんだから、多くの人に見てもらえれば嬉しいし、作っているアート作品も載せているのは、宣伝と言う側面もあって、気に入って購入してくれる人などいればと、と思わないでもないからだ。

フォロワー増やすための方法を読んでみると、提案として、『役に立つ情報を書くように』とか、『日記はつまらないから書くな』とか、『他の人の記事に、コメントやスキをするのが良い』などと書いてあったりする。そういう記事を書いているいる方は、もちろん、フォロワーが沢山いるので、有効な方法なんだろうし、「なるほど」とは思う。けれど、つい、私は、「それじゃ、書きたいことが書けないじゃないか」と思ったり、さらに、自分の読者増やすために、コメントしたりスキするのも面倒だとなる。それで、結局、「なら、増えなくても、良っか、読者。」で終わる。

私がnoteに、最初に投稿したのは、『バームクーヘンをめぐるおとぎ話』と言う短編物語なのだが、この短編は、去年知り合った、在米日本人グループの人たちと、オンラインでチャットをしたとき、ドイツ哲学の話になり、誰かが「ドイツ哲学の(訳のわからない話)より、バームクーヘンが良い」と言ったところから、思いついたものである。何で、「バームクーヘン」なのかというと、私は、知らなかったのだが、ドイツのお菓子だからと言うことだった。

私は、以前、英語で詩や短編を書いていたのだが、やはり、外国語で自由に書くのは無理があったのだろう、何となくやめてしまった。書くことが好きなので、自分でドメインを取った、アートについての日本語ブログを持っているものの、それはノンフィクションだし、コロナ以降ほとんど更新しないので、『バームクーヘンをめぐるおとぎ話』は、私にとって、本当に久しぶりに、浮かんだ創作物となった。で、せっかくだから、タイプして、編集して、最近知ったnoteと言う場所に、あげてみた。その後、アイディアをもらったチャットループの人たちに、「こんなん、書きました」と紹介したところ、中の何人かが読んでくれた。その時、「挿絵があれば良いな」と言うコメントをもらったので、挿絵も描いてみた。そうすると、みんな、挿絵も見てくれた。この一連の出来事は、なんか、とても楽しく、書くという創作意欲を刺激され、noteを続けるきっかけにもなった。

その後、日記とか、続いて浮かんだ短編など、色々書いているけれど、知人に、宣伝などはしていない。ツィッターのアカウントを持っているので、投稿の半分くらいは、リンクを貼って出しているけれど、私は、フォロワーが80人とかなので、そのリンクから読んでいる人も少ないだろう。かくして、ここは、ほとんど読者もいないページなのだろうが、スキを時々もらったりするので、誰も見ていないと言うわけでもないようだ。

実は、今のところ、読者は少なくて良いかと思っている。逆に、読者が少ないから、気負わず書けているところもあるし、楽しくやれている。プレッシャーに弱いので、インフルエンサーとかなったら、萎縮して何も書けないかもしれない。もちろん、書いているからには、誰かに見てもらえると良いなーとは思ってるけれど、その人数は、一人でも二人でも良い。アート作品も、誰かが見てくれると良いな程度の、気持ちでいる。もちろん、販売に繋がれば、嬉しいけれど、それが一番の目的ではない。

それと、日常と言うのは、ストレスがたまるもので、書かずにいられないと言うところもある。あと、せっかく、湧いてきたものがあるなら、どっかに出しておくのが、自分としても気持ちが良い。これは、描くことや、作品を作ることでも同じである。アイディアがあるんだったら、形にして、あれやこれや考えずに、とりあえず出す。自分の中にとどめず、循環させたいと思っている。その先は、その先に見えるはずだ。





読んでいただき、ありがとうございます。よろしければ、創作活動を、サポートいただけると嬉しいです!