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「やりたいこと」はもう見つかっていて、そこに覚悟がなかっただけという話をしたい

仕事は忙しいし、相変わらず自分探しで吐き気がするほど悩むし…
で、忙殺されてる毎日です。いろはまるです。

ちょっと一息つけそうなので、久々のnoteでも。

「やりたいこと」はもう見つかっていて、そこに覚悟がなかっただけ
というテーマで話してみたい。

今までのnoteで何度か扱った話かもしれないけど、自分のやりたい事があったとしても、それがニーズがなければお金にならない。
なので、結局仕事にできず、また別の「やりたいこと」を探していく。というスパイラルに誰もが一度は陥っていると思う。

そうなると、やはり自分の「できること」にフォーカスするしかない。

いまぼくはRPA(Robotic Process Automation)という技術をメインに扱いながら、いろんな企業の様々なオペレーションを自動化するお仕事をしている。
これが本当に自分の「やりたい事」として認知しているわけではなく、ただ「できる」からやっているし、お客さんから喜んでもらえたり、頼りにしていると言われると続けたくなる。

ちょっと前のぼくは、「これが本当に自分のやりたい事なんだろうか?」と悩んでいた。
やりたいこと=楽しいこと、面白いと感じられることという定義を意識しすぎて、いま自分が楽しいかどうかを深く考え込むようになってしまった。

ただ、そこでちょっと思ったのは、学生の頃の遊びとかなら、楽しいことをしているときは「楽しい!」って思いながら遊んでたんだろうけど、仕事はちょっと違うのかな、ということだった。

たぶん、ぼくは仕事を楽しんでいるんだと思う。

でも、「楽しい!」って意識的に思っているかというと、それはどうかなぁ?って感じ。楽しいも何も、結果を出すので必死。できて当然、という意識の方が強い。
でもきっと無意識に楽しいと思ってるんだろうし、楽しいからこそ7年ほど同じ仕事を続けていられるんだと思う。

「これが本当に自分のやりたい事なんだろうか?」という問いに対して、「楽しい!」と感情爆発させるほどの仕事でなければ「やりたい事」認定してはダメなのか?というと、そうではないと思う。

静かに、熱く、楽しむ。そして結果を出す。

ぼくはこのスタンスでいいんじゃないか、と。
このスタンスでいられる仕事がきっと「やりたい事」なんだろう、と。

もっと言うと、この「やりたい事」という表現も、合っていない気がする。

前述した自動化の仕事は、もともと「やりたいこと」としてぼくの中に眠っていたものではなくて、知り合いから「RPAって技術に興味ある?」と紹介を受けて始めたのがきっかけだ。

それで何だかんだハマって、いまに至る。
知人から紹介されたのは偶然だったし、ハマったのも偶然。今まで仕事で関わった人たちが良い人ばかりだったからこそ、ずっとハマっていられた。
きっと悪い人?に囲まれて仕事をしていたら、全部トラウマになって嫌いになっていたと思う。

ほとんどが偶然の産物なのだ。
そこに1%くらい、自分の意思が働いただけに過ぎない。

最初から「やりたいこと」を明確に持っている必要はなくて、持つとしても方向性だけに留めておく。
あとはその方向性に合わせて行動して、人との出会いとか、偶然に身を任せる。

偶然、自分が楽しいと思える仕事に出会えたのなら、ガッツリハマってみる。

たぶんぼくは、楽しいと思える仕事に出会っていることに気づかずに、悩んでいただけなんだろうと思う。
きっと、その仕事をやり続けていく覚悟がなかっただけなんじゃないかと…💦

まずは目の前のお客さんのために「どうすれば力になれるのか?」「ありがとうと言ってもらえるのか?」を考えて、成果を出す。
その成果を自信や武器にして、他のお客さんにも使えるように汎用的なナレッジ、ツールなどに落とし込んでいく。これは覚悟が決まっていないとなかなかできない行動だ。

そうやって行動していけば、楽しい仕事をしながらも、たくさんの人から感謝されるようになっているはず。
いま自分ができることをやって成果をあげながら、徐々に自分が影響を与える範囲を拡大していく。

「目の前の仕事に集中しろ」とよく巷のビジネス本に書いてあるが、こういうことだったんだと腑に落ちた。

「できること」が木の幹だとしたら、偶然見つけた「楽しいこと」「面白いこと」は枝だ。
接ぎ木のようにいろんなものを取り込んでいくこと自体を楽しんでもいいんじゃないかと思ってる。

もっと力を抜いて、偶然に身を任せて生きていく。
もっと気楽に楽しく。自分に言い聞かせながら、3連休をゆっくり休みたいと思ってます^^;

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