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死と永遠
いつか見返す日のために、この体験を綴りたい、表現したいと考え、今ここに綴ります。
今なお、覚醒が続いており、いずれ加筆するかもしれません。
2023.9 コロナに感染しました。感染中は、そこまでの辛さはなかったのですが、発熱が終わったあと、喉の痛み、咳が続き、鼻が詰まりました。
コロナに感染したことのある方はわかるかもしれませんが、病、というよりは、世界を感じる病なのです。(突然スピリチュアル)
熱が出るとか、感染中が苦しいのではなくて、何か自分ではないものに苦しめられる感覚です。
その最中、私は傲慢にも、まだ何者かもわからないのに、自分は「できる」という錯覚に陥ったのです。今まで頼りにしてきたものから訣別しようと思ったのです。
それは明らかな間違いでした。
その夜、私は突然息ができなくなり、体が熱くなり、どうしようもなく、私は狂ったように、浄化のために水浴び、線香、半袖で10月の寒空に出ることもしました。
それで和らげど、どうしようもなく、辛く苦しく死した、と思いました。私はこのまま死ぬのだろうと思いました。
その時、ある人のことを思い、連絡をしました。神と自然と共に生きる方です。
深夜2時。息がふと戻り、涙しながらある人の音楽を聴きました。徐々に睡眠に誘われ眠気に襲われました。しばらくリビングにいたのち、下の子供の泣き声が聞こえ、子供を寝かしつけに戻りました。不思議ともう苦しくはありませんでした(夫は心底不思議そうにしていました)
翌朝、目覚め、傲慢にも何もわからぬままに、訣別してはならなかったのだと反省し、ある人へ連絡しました。そこから毎日ある人に会えるだけ会おうと、会い続ける日々を送りました。
何を見ても聞いても、涙が溢れました。
翌日、熊野神社へゆこう、と思い立ちました。なぜかはわかりません。何時間かかるのか物理的な時間のこともありましたが、ただ熊野神社に行きたかったのです。
飛行機を調べたりしましたが結局車が1番良いことがわかりました。
片道7時間。
ふと、調べるとその日にある方と共に活動されている方が京都で講演会をなさるとわかりました。
熊野神社から京都まで3時間半
11時半に熊野神社をたてば間に合うとわかり、夜中の4時に車を走らせ、和歌山に向かう事を決めました。
その時、事業パートナーのぺんぎんさんから連絡が来ました。行く?と聞くと、行きたいと。
それはまるで「生きたい」に感じました。
朝、4時。道中はそれは苦しく、大雨でした。
予報ではぱらっと小雨だったはずですが、まるで嵐のように雨は吹き荒れました。
日が出るとあたりは美しい光景でした。
必死に車を走らせ、ついたのは11時前でした。
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祈れば風はそよそよと優しく吹きました。
母に抱かれるような不思議な感覚でした。
八咫烏の導き守りを買いました。
「天命が知りたかったから」です
熊野の優しい風を後に京都に急ぎました。
京都にもちょうどオンタイムに着きました。実際は間に合わなそうだったのですが、オンタイムでした。
そこでも私は涙が止まらず、「天命」というDVDを買いました。
天命がわかりたいと、そのDVDをいち早く聴きたかったのですが、レンタカーにDVDを見る機能がなぜかありませんでした(ありそうなやつだったので意外)
そして帰ったらすぐ見ようと思ったのに、レンタカーに忘れたのです。
そして帰り道の最後に事業パートナーに聞かなければ、と感じたことを聞きました。
その時に、「なんとしてでも軌道修正しなければ」と思い、熱く語ったので、なんとも気まずく到着しました。
家に帰ると耳に圧がかかるような感覚や音を感じる体となっていました。
その時にふと、ずっと聴いていたはずの「愛とは何か」が、体感でわかったのです。
それはずっと聴いていたことと同じで、ずっとそばにあるものでした。
翌朝は1日脱力したように過ごしました。
その次の翌朝は子供を送迎する際に、レンタカーを見に行きました。もうないと思っていたDVDは座席の下にありました。
そしてこれからわたしは、「天命」を聴き続けるのでした。
続く
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