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短歌ネプリ①音忘信『IDEAL』 感想

音忘信(おんぼう・まこと)さんのネプリ『IDEAL』を拝読して色々と刺さってしまったので、特に好きだった歌の感想を書かせていただきました。
短歌界隈の皆さんはネットプリントを特に精力的に作られている印象があります。すごいな
※評の書き方に関して明るくないのですが、とにかくパッションで書きました。どうか寛大な心でお読みください。

●スピッツを聴くのにふさわしい場所がこの街じゅうにあって困るよ

完全に共感から好きな歌だな、と思った一首でした。「聴くのにふさわしい場所」というのはつまり曲に抱く印象と場所の雰囲気・空気感がぴったり一致するということだと思うのですが、もちろんそれは人それぞれです。この曲を聴きながら見たい景色がある、歌詞に出てくるあの場面はこういうところであった出来事なのかな、そんな風に自分の思いと重なる場所がいくつもある。なんて素敵なことでしょうか。
それらが結句の「困るよ」に繋がると愛しさが加速します。幸福感と切なさが混じったような印象でした。その直前の「この街じゅう」という言い回しに草野さんっぽさを感じるのも良い。歌の雰囲気を柔らかく整えています。

●偉人みなである口調で本当に話していたとお思いですか

妙にどきりとする歌です。暗黙の了解とまではいきませんが、昔々の学者先生や特に米国のルーツがある偉人に対して「である口調」を当てはめてしまうことは珍しくありません。メガネをかけて口髭を蓄え、時たま煙管を嗜む……容易に想像できます。が、そういったパブリックイメージにあえて疑問をぶつけるような歌だなと思いました。この歌は後半の言葉のはめ込み方が好みでした。最後の「お思いですか」が丁寧なのにどこか迫力を感じる問いかけで、なんだか柔道みたいな歌だと思いました(伝わりますか?)

●でも俺は火矢を射るのに長けていてすげー怖いんだよ法律が

火矢とは投射武器の総称で、敵の建築物や軍船に遠距離から火を放つための矢のことだそうです。敵陣へ近づかずとも確実に戦果を上げることのできる優れた武器。主体は用心深く計算高い、けれど行動力のある人物であると推測します。しかし歌の後半にある即物的な感情描写に彼の臆病さが垣間見え、それが歌に人間味を充満させています。とここまで考えて、主体は臆病ゆえに遠くからでも人の弱みを見つけ、それを正確に狙い打てるようになったのではないだろうかとも思いました。
最初の「でも」が上手く歌全体に効いていますし、下句の倒置法が“法律”という絶対的なものを恐れる心情をより強調しています。好きな一首でした。

◆その気になれば家じゅうの皿を割れるけどその気になったことなんてない

「その気になったことなんてない」、この着地がなんとも腑に落ちるというか、脱力感と爽快感を同時に味わうような心地よい感覚です。人間誰しも何かを諦めながら生きている、などと言うことがありますが、この主体からは悲観的すぎない明るい諦念を感じます。一見弱気な人間を描いているように見えて、胸中にはふつふつと凶暴性を飼っていることを示唆する上の句によって軸がしっかりと見えてくる歌です。とても惹かれます、この雰囲気。

◆とんでもない見積書なんて作れない俺の素晴らしき昼休み

非常に日本人らしさのある歌だと感じました。謙遜から入って自分の権利を行使しようとする終わり方、流れがとても綺麗でするっと飲み込んでしまいます。初手の「とんでもない」の印象は気弱なのに、最後まで読むと(お前よくもこの俺に時間外の仕事を頼めたもんだな休ませろ)と至極当然ながら強い主張が聞こえてきそうなギャップが良いです。
主体は新卒新人、または仕事を任され始めた中堅社員でしょうか。立場によっても意味合いが変化しそうですが、この歌からは日々汗水垂らして働くサラリーマンの姿が鮮明に見て取れます。

▲サイコパス診断当てに行くたびに蓄積されるサイコパスポイント

サイコパス診断と言うと、いろいろなウェブサイトで簡単に出来る心理テストのようなものでしょうか。この手の診断はしばしば“自分の個性を分かりやすく表出するための手段”として使われることもあり、わざと奇抜な答えを求める人が一定数いる印象です。主体もそんな人間の一人ではあるようですが、自分のそういった行動を俯瞰的に見ているところに冷静さを感じます。サイコパスと呼ばれる人間の思考や、どう振舞えば良いかをある種論理的に理解しているのでしょう。特殊性へ憧れを抱いているわけではなく、どちらかと言えば友人らのノリに合わせたり場が盛り上がったりするという理由で当てに行っているような。
診断結果とは別に自分の中のみに存在するゲーム性を密かに楽しんでいる主体。ポイントが加算されていった先、いったいどんな人間になっているのでしょうか。


▲でも俺はドッヂボールが上手いから石を投げられても避けられる

個人的に逆説から始まる短歌に惹かれるので、その法則に則りこちらの歌も好きでした。「ドッヂボール」という幼い頃の楽しい記憶を呼び起こすような単語と下句の「石を投げられても」の風当たり厳しい世間を想像させる言葉のコントラストが印象的です。上の句が自然と自分を慰め、励ましているように感じられ、それが哀愁や切なさを醸し出しています。石を投げられても「避けられる」、やり返すのではなく無抵抗に当たり続けるのでもないこの行動に主体の優しさや繊細さ、そして諦めを感じます。その上で、一人でも生きていける強かさがしっかり表されているところが好きです。

▲殺される夢は縁起がいいなんて殺される側の意見ですよ

死にまつわる夢は、再生・古い自分を葬る・成功の前触れという意味で吉夢とされています。特に近しい人が亡くなる夢はその人が長生きする・自分との関係に良い変化が訪れると言われていますが、そうした考えはエゴであると突きつけられるような歌です。一読して一番印象に残りました。この歌の魅力的な点は、“主体が夢で人を殺める側である”ことです。夢の中で殺されて不快感を露わにしているのではなく、この歌中にある憤りの軸は“どうしてあなたを殺さなくてはいけないんだ”という加害側の感情です。人を殺めるという行為は決して気持ちの良いものではありません。自分の深層心理が見せている限りなくリアルに近い状況でなら尚更強い嫌悪に襲われるはずです。加えて、夢の意味でいけば人を殺める夢はその人が“ストレスを多大に抱えていること”の暗示なので、主体は逃げ場のない状態で生きているように思います。冷静な語り口とは裏腹に追い詰められた日々が見え隠れする背景に惹かれました。

▲あー言えばこー言う ideal for you マジカルバナナの続きがしたい

理想的な。このネプリ全体にかかる大きな表題であるワードが効いた素敵な歌です。ああ言えばこう言う、でないところがまず良いですね。マジカルバナナの楽しいところは、言葉尻を取りながらも長い脱線を互いで作り上げていくところだと思います。負けないために単語を繋げていかなくてはだめだけれど、相手を困らせるために突飛な単語やおかしな言葉も紡いでいかなければならない。絶妙なバランスとおかしみで成り立つゲームです。そんなやりとりが続いていたはずの君と主体の間には今、何かしらの隔たりがあるのでしょう。ちょっとテキトーで、愛嬌があって、しかし主体のことを理解してくれている。二人には確かに幸せな日々があったと想像できます。
私の力不足で恐らく歌意を汲み切ることができていないのが残念ですが、ほんの少し物悲しさが漂う中に温かみを感じる良い一首でした。


──ということで自分でも驚愕するほどたくさん書いてしまいいろいろ心配ですが、とにかく私の好きな歌が詰まった連作でした。
まだ出力期間はもう少しあるそうですので、良いなと思った方にはぜひ読んでいただきたいです。
※現在配信は終了しています。

最後に音忘さん、素敵な短歌をどうもありがとうございました。