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「好き」を持っている人の強さ

作家として考えること

作家を名乗り活動を始めて、はや15年くらいになろうとしている私です。
最近は作家として一番大事なことってもしかしたら、
自分の作ったものを自分が一番好きだってことなのかもと、
とても思うようになりました。

もちろんニーズを考えることも大切だけれど、
もしかしたら後からついてくるもののほうが多いのでは?
とすら思うのです。

上手い下手とかではなくって、自分の作ったもの好き!と思えたり、
例え作ってなかったとしても「好き!」という
ムクムクしたエネルギーを持てる人はそれだけで本当に素敵。
そういうエネルギーが他の誰かに刺さって惹かれるんじゃないだろうか。

Tverで刃牙の板垣先生の出ていた番組見て、
めちゃくちゃご自身の作品好きで、一番自分が続きを見たがっていて、
キャラクターが勝手に動いてくれるっておっしゃていた。
私が今一番欲しいのは、なんていうかそういう気持ちなんだよな…
と、とてもその心が美しく映りました。

私ももっと好きになりたい。かわいいとか綺麗とか、わくわくするものをちゃんとつかまえて抱きしめて形にしたい。

ちゃんとそれができているのか?と聞かれれば
頷ける自信が今はない。
それくらいにはなんだかいろんなものが削れてしまっている。
過去や育児を言い訳にしている部分もある。
正直自分の好きが分からなくなりかけている。

削れているのか?落としたのか?失くしたのか?
消えてしまったのだろうか?
それとも本当はちゃんと心の中にあって
私が見つけてあげられていないだけなのだろうか。
そうだったらいいなと思うのです。
無理やり拾ったんではダメなんですよね。
沸々と、湧き出るようなものを、見つけてあげたい。

自分ダメダメばっか言ってても仕方ないので、
こういう状況ながら小さな種火というか作ることを辞めずに、
なんとかコツコツ続けてきている自分を、
まずは褒めてあげることですかね...(褒めてもらえるとあたたかくなる)

化粧水のCMで茨木のり子さんの
『自分の感受性くらい』の引用があって、ずしりと響く。

「ぱさぱさに乾いていく心を
 ひとのせいにするな
 みずから水やりを怠っておいて」

きっと水やりはできるし、していいし、するべきことなんだ。
どんな時でも、どんな環境でも。
動くのは、生きていくのは、作るのは
自分しかいないから。
その自分に、水やりをするのは、ご飯を食べるくらい
必要なことなんだなと。


そして
私の作品を好きだって言ってくれる人、
見守り続けてくれている人、
大事なお金を出して買ってくれる人。
本当に奇跡みたいにありがたいんです。

私が表現することを辞めることは絶対にないし
辞められるとも思っていなけれど、
それでもどれだけ自分の足りない部分や
千切れそうな部分を補ってもらっているか。
そういう人たちに対して物を作るというよりは、
自分を回復することで表現の厚みが増えることが、
見てくれている人たちの「好き」を増やして
いずれ私の感謝の気持ちとなって伝わるといいなと信じています。


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